季節の移り変わりと新月詣で
今年に入って始めたことがいくつかある。その中の一つが、お朔詣りならぬ新月詣で。私の友人たちは信心深いのか、それとも何かしらの大きな力を信用しているのか、毎月1日に、もしくは15日にも神社参拝を行う人が多い。
私は日本にいた時に毎月1日のお朔参りはしていなかったのだけれども、割と家の近所や相性の良い神社にはお参りをする方だったし、ふとしたご縁から毎年お伊勢さんにもお参りをしている。コロナで日本に帰れなくてお伊勢さんに行けていないのもかなり残念。あと出雲大社もまた訪れたい。やはり空気がそれぞれに違う。お伊勢さんは浄化され癒されて静けさの中で芯が整い、出雲は目に見えないパワー貰えるんだよなぁ。
いつの頃からか自分の中で、神社の参拝は自分を整え感謝と宣言を伝える場となった。
いつだったか友人が、「パワースポットって力をもらいに行くんじゃなくて、自分を整え本来の自分の力を発揮しやすくする目の場所だよね」と話していた。本当にそう。そうなのよ。自分が整い、本来の力が発揮されれば、きっといい方向に進むはず。
だから神社へのお参りも、私の中では自分を整え、フラットな状態に戻し(中庸ともいう)、そしてまた自分の人生を生きていくための宣言の場となった。だから必ず「報告・感謝」と「こうしていく」という宣言が対になっていて、多分お祈りしている時間は長い、と思う。
そんなこんなで、今年の春節から新月詣でをしようかという気分になって、続けている。春節は旧暦の元旦(初一)なのだけれども太陰太陽暦の日付をもとに決められていて春節(旧暦元旦)は新月なのです。
台湾に来てから「春節のお休みはお店が結構閉まっっていて暇だよ」と聞いていたから、その連休は日本に帰ったり海外に旅に出たりしていました。それが、今年はコロナの影響で台湾国内で過ごすことに。ギリギリまで日本に帰るかどうか悩んでたから台湾国内での旅行計画もなく、台北に残っていた友人たちと春節を行天宮にお参りして迎えたのがまさにきっかけ。
厳かな雰囲気と初めてのお参りに、日本での年越しと、神社参拝の整う感じも感じたりして、そこから新月詣でを始めたのでした。
今回は当日の参拝が難しかったので前日の日曜日夕暮れ時に。ちょうど日が沈むぐらいのタイミングで家から歩いて20分ほどの行天宮へ。
今回もまた大勢の方々がお参りに訪れていました。私もそれに混ざりお参りを。少し思うところもあり、感謝と今後数年の行き方に関しての宣言を。
様々なことが不透明で出たとこ勝負な世界になる中で、安定した生き方なんて出来ないことは分かっています。たがらこそ、楽しんでいきたい。面白がったもん、楽しんだもん勝ちだとも思うわけで。
少し、お休みして、また次へと備えようと思います。大きなものを手放すことも決めたしなぁ。