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北海道の大晦日って、こんなに独特だったのか!

大晦日。それは、日本全国で新しい年を迎えるための特別な一日。だけど、北海道となるとちょっと様子が違う。何が違うかって?寒さに負けるどころか、その寒さを言い訳にして、美味しいものをとことん食べ尽くす日になるのだ。そう、ここでは胃袋が主役の大イベントが繰り広げられる。

たとえば、おせち料理。普通はお正月に食べるものだけど、北海道では大晦日の夜にいただくのが一般的。「年取り膳」なんて名前もついていて、一年の締めくくりを豪華なご馳走で祝うのが風習だとか。でもさ、この習慣、最初に考えた人にちょっと聞きたい。どうしてこんなことになったんですか?胃袋、正月までもたないよ。

さらに、毛蟹や寿司、そして年越しそばまで登場するとなれば、もう胃袋の祭り状態。寒さをしのぐため、なんて言われるけど、本音はただ食べたいだけじゃないのかって思う。いや、私もその一人だから文句は言えないけどね。

そんなわけで、北海道の大晦日は「寒さを理由に食べまくる日(違ってたらごめん)」として、毎年大盛り上がり。どうしてこんなことになったのかって?うーん、それは私も知りたい。


北海道式おせち—詰めれば詰めるほどカオス

おせち料理といえば、普通は何層にも重なった重箱に整然と詰められ、それぞれの品目に意味が込められているもの。例えば黒豆は健康、数の子は子孫繁栄なんてね。でも、うちの母親はそんな伝統なんて知ったこっちゃない人だった。

「重箱に詰めるなら、自分が食べたいもの!」と豪語して、早朝から函館朝市へという戦場に赴く。そして買い集めたものをそのまま詰め込むのだ。

そんなこんなで、実家の重箱は、和洋中のカオス状態。たとえばエビチリの隣に昆布巻きが並び、その横には唐揚げが鎮座。え、それが“家族の健康”を願う料理だって?誰が信じる?

極めつけは、寿司と毛蟹が別皿にドン!もう重箱という概念を超越している。実家のおせちは、ルール無視の自由スタイル。これが伝統的だなんて言われたら、日本全国のおばあちゃんたちが黙っちゃいない。

母の実家は北海道の長万部。毛蟹の名産地だから、毎年時期になると毛蟹が発泡スチロールでどっさり届く。最初の頃は嬉しかった。でも、年に数回も毛蟹を食べていると、ありがたみが薄れるというもの。結婚してからは、定山渓に泊まるときは、毛蟹を肉に変更してもらう技を使うこともしばしばある。

「正月に毛蟹を食べるなんて最高じゃない?」と思うでしょ?でも、うちでは違う。むしろ「また毛蟹かよ」なんて空気が流れる始末。母に至っては、「ズワイもタラバもカニじゃない」と豪語。毛蟹がカニ界カーストの頂点にいたりする。さすが、長万部出身。
いやいや、タラバは確かにヤドカリだけどもさ。

そんな母親が仕切る我が家の大晦日は、もはや北海道というより“うち流”。寿司、毛蟹、おせちが混ざり合った光景は、まさに食のバトルフィールド。胃袋にこれでもかと詰め込むスタイルで、年越しそばまでは辿りつけない。

そんな母も平成18年に三途の川を渡ったが、伝統無視のおせち事情は、見事に私に受け継がれた。食べたいものを食べたらいーじゃんスタイル。それでも昨年までは、おせちを買ってはいたのだ(あ、夫婦二人なんで、作るとコスパが、モゴモゴ)。今年はそれすらもやめた。だって、美味しくないんだもん。というわけで、2024年の我が家の年越しは、好きなものを買ってきて、テーブルに並べて食べる!だ。←母と同じく、料理はしないスタイル。

年越しそばのタイミング論争

年越しそばといえば全国的には夜に食べるのが一般的だけど、北海道では家庭ごとにルールがバラバラ。基本的にどさんこは自由だ。その自由さゆえに、実家では年越しそそばを食べなかった。買いもしなかった。だって。胃袋のどこに蕎麦が収まるスペースがあるっていうのよ。

っていう感じで育ったので、結婚してから旦那に「年越しそばは、天ぷらそばが食いたい」って言い出したので、「は?」ってなった。ごめん。そこ、脳のシナプスが切れてんのよ。っていうか、シナプスない。年越しそばのシナプス、存在してない。ところが、旦那が「蕎麦蕎麦蕎麦蕎麦天麩羅蕎麦」って呪文のようにうるさいので、まあ、買ってたよね。海老天とそば。でも、食えないの。お腹がいっぱいで。←ほらみろ。
どうやら、料理の苦手が義母が提供していた大晦日の料理の品数と、私が「これでもかっ」とテーブルに並べた品数にだいぶ差があったらしい。それ以降は、あまり「蕎麦蕎麦蕎麦蕎麦天麩羅蕎麦」って言わなくなったけど、やぱり大晦日にはそばってインプットされてるらしく、買うことになる。でも、お腹いっぱいなので、食べるのは元日だ。←年越しそばの意味とは?

雑煮でけんちん汁!?

正月といえば雑煮。でも北海道の雑煮は地域によってスタイルが異なる。我が家の雑煮はけんちん汁風で、餅を入れるだけというシンプルなもの。それだけ聞くと平和なんだけど、一度だけ母が“冒険”に出たことがある。

なんと昔の函館スタイルの“鯨雑煮”を作ってきたのだ。鯨汁に餅をぶっ込むという代物。「これが函館流だよ」と胸を張る母に、家族全員が一斉にドン引き。確かに、道南地方では正月に鯨汁を食べる風習はなくもないけど!「分けて!そこは分けて!雑煮と鯨汁は分けて!」と全会(父、私、弟)一致で即却下。その後、この鯨雑煮は我が家の“黒歴史”として封印された。

現在の我が家の雑煮は、けんちん汁風が完全固定。シンプルだけど安心感がある。とはいえ、北海道では家庭ごとに雑煮文化が異なる。鮭が入ったり、イクラをトッピングしたり…もう雑煮なのか海鮮丼なのか、もはや判別不能。

そんな自由すぎる雑煮も含めて、北海道の正月文化は奥深い。胃袋に余裕があるなら、ぜひ体験してみてほしい。

年取り膳ってナニモノ?

で。なんで、北海道は「年取り膳」なの?
私もさっき調べましたよ。あまりにも内地の人がびっくりするから。

えっとですね。時の流れが、旧暦なんですよ。
昔の人たちは、一日の始まりをなんと…日暮れに設定してたんですよ! これが旧暦の考え方なんですけど、「夜から新しい日が始まる」と聞いて、ちょっと夜型生活に憧れる私(笑)。で、まあ、その流れで、大晦日の夜に行われる特別な儀式が「年取り膳」なんですって。

簡単に言うと、

  • 神様に感謝の気持ちを伝えつつ

  • 新しい年の幸せを祈る そんな特別な食事会。

まさに、大晦日のごちそうパーティーって感じです!Welcome年神様!

とはいえ。蝦夷地開拓の時代には、「おせちは、いつ食べる論争」があったんじゃないかな。大晦日VS元日。「おせちの乱」とかなかったのかな。夫婦喧嘩とかさ。

ちなみに、本来おせちは大晦日に食べるもので、江戸後期以降から元旦に食べるようになったとのこと。
すげーな、道産子。伝統通りじゃん。結婚式は会費制だけども。お赤飯はどピンクで甘納豆が乗ってるけれども。

そんなこんなで、2024年も今日でおしまい。
2025年も、どうぞよろしくお願いしまっす。



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