100年前の日本が分かる貴重な映像と100歳になった母のこと・そして大正時代のラップ?
先月母が100歳になりました。
現在日本の100歳以上の人口は8万人を超えていて、毎年増え続けているそうです。男女比で見ると圧倒的に女性が多く、88%が女性だそうです。
ちょっと前にYouTubeで見つけたのですが、母の大正世代がいかに大きな変化の中で生きてきたのかがよく分かる映像があります。
下にあるのは1919年の日本の様子を映した映像です。母が生まれる一年前です。
A Trip Through Japan with The YMCAという動画をカラー化したものだそうです。松島、函館、日光などの風景もあります。
今風の豊かさは感じられないけれど、子どもたちの笑顔はいつの時代も変わらないようです。
そして、魚に粉をまぶしているおばちゃんは「こう見えても昔は美人だったんだよ」と今でもあるあるの冗談を言って笑っています。
出会い頭にぶつかりそうになって喧嘩しているおっちゃんたち。これもあるあるですね。
庶民の生き生きとした生活を映し出しています。生活は厳しそうだけれど、庶民の人々はどんな気持ちで暮らしていたのでしょうか。
アイヌの人々の姿などもあり、とても貴重な映像です。
この後、人々は戦争を体験し、第二次世界大戦後は敗戦から立ち直り、現在の日本の基礎を作ってくれました。
この100年は、有名な政治家とか学者さんなどの知識人だけではなくて、庶民一人一人の日常生活の積み重ねの100年なのだということを感じさせる動画です。
100歳になった母親も、親として見る時と、この時代の変化を生き抜いてきた一人の女性として見る時には、違う印象になります。
私が物心ついた時から知っている母親と、私には知り得ない時代の大きな流れの中で生涯を送っている母親。
子どもの時から母との心の葛藤があった私は、このギャップの折り合いをつけるのにちょっと時間がかかりました。
母はなかなか波瀾万丈な人生を送っています。母だけでなく、特に戦争を体験した人たちは皆そうだと思います。
人を見る時の低い視点と高い視点。
高い視点では、今この時代に共存していながら、まるで別のタイムラインに生きているようです。
考えてみれば、全ての人が、自分が生まれた時からのそれぞれのタイムラインに乗って生きています。
こちらは私のタイムラインがスタートした1956年の銀座四丁目、東京駅、皇居の映像です。戦後たったの11年後の東京。…と書きながら、自分も戦後たった11年後に生まれたのか…とびっくりしています。
Σ( ̄。 ̄ノ)ノ
都会ということもあり、見ていてあまり違和感はありません。
100年前と大きく違うのは、服装と車ですね。
和服から洋服へ。そして、車が走る為に道路は舗装されて、急ピッチの復興の努力がうかがえます。
変わりゆくものと、変わらないもの。
私たちは、これまでの100年に経験した以上の変化を、もしかしたら、これから10年、20年の間に体験することになるかもしれません。
変えたいもの、変えたくないものは何でしょうか。
そして、私の母は、私は、その変化のどこまでを見届けて行くのかな…なんてことを思います。
さて、大正の人たちの娯楽としての音楽はどんなものだったのか…とYouTubeで検索してみました。三味線に合わせた唄がいくつか上がっていますが、こちらの「オッペケペー節」をどうぞ。
このタイトルは聞いたことがあるような無いような。
聞いてみたら、これ…
ラップですね!(^o^)♪
ラップのスピリットである風刺も効いています。
さあ、音楽もこれからどんな変化を遂げて行くのでしょうか。
(リンクさせて頂いた動画のチャンネル主の皆様、貴重な動画をありがとうございます。)
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