見出し画像

ディマシュとグラミー賞/独立系アーティストとはどういうことか

(Dimash 29)
(9,575文字)
(第1稿:2023年11月3日)
 
 
dimash_dears_downunderのIGより。10月30日付
投稿者:
「ディマシュは2019年10月に自身のIGにこのクリップを投稿しました。」
(米プロデューサーでクリエイティブ・ディレクターのアンドレア・ジェラルディンと「グラミー賞」についての冗談を言っているディマシュ)




【「グラミー賞」について、補足】

 前回の投稿「ディマシュ、人民芸術家となる」で、ディマシュが「グラミー賞」を欲しがっていると書きましたが、補足を少し書いておきます。
 というのも、最近Facebookで知り合った方とメッセージ交換をしていた時、もしかしたらほとんどの人が「音楽業界」についてご存知ないのでは?と気がついたからです。
 といっても、私も詳しいわけではありませんが、長年ロックバンドのボーカルのファンをやっていた関係で、音楽業界については少しは知っていることもあって、その時に得た知識が、現在ディマシュの動向を判断する時の指針になっています。

まずは肝心の「グラミー賞」についてお話ししましょう。


【グラミー賞とは (個人の見解)】

 前回の投稿文の中で、ディマシュの「グラミー賞」を取りたいという願いについて、私はそれを「切ない」と形容しました。
 なぜかと言うと、現在の音楽業界における今の彼の立ち位置から考えて、ディマシュがこの賞を取ることが出来る可能性、特に主要4部門を取ることが出来る可能性は、ほぼ無いと、私は思っているからです。
 
 それには「グラミー賞」がどういうものかが関わっています。

「グラミー賞」は、ウィキペディアの文章によると、
 
『アメリカ合衆国の音楽産業において優れた作品を創り上げたクリエイターの業績を讃え、業界全体の振興と支援を目的とする賞』


  まさしくその通りで、この賞は「アメリカ国内」の「音楽産業全体」つまり、レコード会社、CDプレス工場、スリーブや封入冊子の印刷会社、レコード販売網、音楽関連機材制作販売網、その他、CDという物品のヒットによって潤う予定の全ての音楽インダストリーに「お金を落とした」作品が、その貢献を表彰される賞です。

 これまでに日本人24人ほどが様々な部門で賞を受賞していますが、彼らは全員海外、特にアメリカのレコード・レーベルと契約しているか、でなければアメリカのアーティストとのコラボ企画やゲストとして名を連ねているかのどちらかです。
 故オノ・ヨーコが日本人初のグラミー賞受賞者ですが、彼女の夫ジョン・レノンの『ダブル・ファンタジー』(1981)の共同制作者としての受賞でした。(ジョン・レノンがアメリカ国籍を取得したのは1976年)
 坂本龍一の『ラストエンペラー』サントラは、映画が「伊中英仏米」共同制作、1989年の受賞部門は「ベスト・アルバム・オヴ・オリジナル・インストゥルメンタル・バックグラウンド・スコア賞」でした。
 喜太郎は1985年にゲフィン・レコードという米ユニバーサル・ミュージック傘化のレーベルと契約し、2001年にアルバム『Thinking of you』で第43回グラミー賞「ベスト・ニューエイジ・アルバム賞」を受賞していますが、初ノミネートは米ロックバンド「グレイトフル・デッド」のミッキー・ハートとの共同プロデュース作品『THE LIGHT OF THE SPIRIT』の収録曲で、「ベスト・ニューエイジ・パフォーマンス賞」でした。
 B’zのギタリスト松本孝弘は、グラミー賞4回受賞のジャズ・フュージョン界のレジェンド・ギタリスト、ラリー・カールトンのパートナーとしての「最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム賞」受賞(2011)です。

 つまり、基本的には「クラシック」や「ワールド・ミュージック」のような部門「以外」では「外国人お断り」という雰囲気がありありと漂うのがこのグラミー賞であり、これは同時にその他「アカデミー賞」を含むアメリカの主要な賞の内実です。

 ちなみに「レーベル」というのは、レコード会社の中でCDを作る部署のことです。
 ひとつのレコード会社が複数のレーベルを持つことが多く、レーベルごとにテイストがあり、そのテイストに合ったアーティストと所属契約を結んでCDを作ります。
 現在、海外のメジャー・レコード会社、特にビッグ3と言われるのが、
●「ユニバーサル・ミュージック・グループ(UMG)」=14のレーベル
●「ソニー・ミュージック・エンターテインメント(SME)」=4つのレーベル
●「ワーナー・ミュージック・グループ(WMG)」=5つのレーベル
この3社です。

 また、この賞の主要目的は、ウィキペディアに書かれている内容の順番とは違い、クリエイターの業績を讃える「前」に、「業界全体の振興と支援を目的」としているのが実情です。
 要するに、商業としての音楽産業をいかに支えたかが、最も大きな受賞理由なのです。

 そのため、この賞は時折、アーティストや評論家から批判されています。
 グラミー賞史上初めて授賞式参加を拒否したのは、アイルランド出身のミュージシャン、シンニード・オコナー(最近はシネイド・オコナー)でした。彼女は1991年グラミー賞4部門にノミネートされ、「最優秀オルタナティブ・ミュージック・パフォーマンス賞」を受賞しましたが、グラミー賞が商業的な祭典であり、業界の物質主義的な価値観に抗議することを理由に、授賞式への参加を拒否しています。



 最近のグラミー賞の話題といえば、2021年に「秘密委員会」の解体というものがありました。
 この「秘密委員会」は1989年に設置され、2021年までレコーディング・アカデミー内20人前後が主要4部門の最終選考を行っていたというものです。
 事の発端は、エチオピア系でカナダ出身のシンガーソングライター「ザ・ウィークエンド(The Weeknd、eが一つ欠けている)」の全世界的な大ヒット曲『ブラインディング・ライツ』とその収録アルバムが、2021年度のグラミー賞に1部門もノミネートされなかったことでした。
 彼はグラミー協会を猛批判して「秘密委員会」の解体を要求、今後のグラミー賞ボイコットを発表し、世論が彼を支持したため、グラミー協会は2021年以降の「秘密委員会」の廃止を決定しました。
 組織というのは、長く続くとどうあれ特権を貪って腐敗するよなあ、という一例でした。
 
 ともあれ、現在のところ「外国人」であり、「アメリカの主要レーベルと契約」していない独立系で、「アメリカ人アーティストとのコラボレーション」の予定もないディマシュ・クダイベルゲンという歌手が「グラミー賞」の主要4部門(最優秀アルバム/シングル/作詞作曲/新人)を取ることは、万にひとつもない、という計算になります。


【ディマシュのグラミー取得の可能性と、それを阻むマイナス点】

 ディマシュがもしも「グラミー賞」を取れるとしたら、最も可能性が高いのは、カザフスタンのトラディショナルソングを民族楽器などを多用して、現代風にアレンジした作品集を、中国ではなく、全世界を販売対象にしたレーベルから発売することだろうと思います。
 そうすればもしかしたら「ワールド・ミュージック」系列の部門で何かの賞を取れるかもしれません。
 かなり以前に彼がそういうCDを制作中だと言っているのをなにかのインタビュー動画で見たことがあるのですが、現在それがどうなっているのかはわかりません。

 また、現在の世界情勢が非常に混沌としている状況、同時にITのこれからの進捗具合によって、今後10~20年のあいだに世界の産業や流通の仕組みが変わって行き、その影響を受けて音楽業界も変化する可能性もないこともないかもしれないかもね、みたいな強引な妄想はできます。

 さらに、カザフスタンという国が順調に発展していき、産業的にも文化的にも世界にとって重要な国になることで、(ディマシュがひとりで八面六臂の大活躍、ってのに頼るだけでなく)カザフの音楽に世界が興味を持つようになる可能性もあります。
 これは少し可能性が高いかな。

 そして、世界の若いポップ/ロック・ファンの意識が、何かのきっかけでどういうわけかくるっと真反対にひっくり返って変化し、今現在の若い彼らが最も嫌うプロフィールの持ち主であるデイマシュを気に入ってくれるような機会が来れば、というさらに妄想的な可能性です。
 そのプロフィールとは、
 
「西洋オペラの声楽の訓練」を受けた「音楽大学11年在籍中の院生」という「超優等生」であり、「テコンドーで(たしか)赤帯取得一歩手前」まで行ってて、「顔良し、たっぱありの高給取り」なのに「浮いた噂ひとつなく」「子供大好き」「お父さんお母さん家族大好き」で「酒もたばこももちろんクスリもやりません」という「品行方正」さ。
 
 まあ要するに、現代の先進国の若者から見たら「19世紀末の少年少女文学全集」の物語の主人公みたいなプロフィールの持ち主であるディマシュを、この大変動と混沌の時代に生きる彼らの大多数が大好きになるかどうか。
 ちょっと、無いかな。
 若者「以外」(要するに私を含む、お年を召した方々)にはめっぽう受けるけどね。
 
 その上、現代の若者からすると、ディマシュの歌を聴くには相当な「音楽的・文学的・言語学的教養」(それらを拒否しない鷹揚さとでも言うか)が必要で、「14か国語」だったっけ?で歌ってて、しかも「音楽の技術に忠実かつレベルが高すぎる技術の持ち主」が「きれいすぎる声」で「6オクターブものレンジ」で歌ってて理解不能だし、あらゆる音楽ジャンルをミックスした、わけわからん「ディマシュ印」の楽曲群。第一、カザフスタンってどこよ、みたいな。
 これ、1項目だけでも持ってたら凄いのに、全部持ちのディマシュ……。自分で書いてて笑ってまうわ(笑)
 この異常さを受け入れるユルさを持つという意味で、これもまた、若者以外の(以下同文)
 
 つまり、ディマシュのこの「マイナスがひとつもない」という人物像こそが、現代、特にアメリカの商業的な音楽産業の好みからすると、彼の最大の「マイナス点」なのです。
(あ、マイナス2個あった。鼻炎持ち。料理できない。関係ないか(笑))


【独立系【インディペンデンス系)の弱点】

 ディマシュが現在までにメジャーなレーベルと契約をしていない理由は、憶測ではありますが、メジャーが巨大な資本力と自前のCDプレス工場・宣伝・流通・販売網を持つかわりに、レーベルに合わせた音楽を作ることや、資金回収のために売れる音楽を作ることを優先させられやすいという現状を、彼が良しとしないからだろうと思います。
(中国のマネージメント会社が彼を独占したがっているという話もどこかで読んだ記憶があるのですが、裏取りが出来なかったため、とりあえず保留)

 昔からディマシュを知っている彼のファンのひとりが、インスタグラムでこう言っていました。
 彼は中国で大ブレイクしたあとに「アイドル路線」に乗りかけたものの、結局そちらには行かず、彼がやりたい方向につき進んで行ってしまい、その信念を曲げることは一切なく、彼のあまりの頑固さに驚いている、と。
 ディマシュは商業や産業としての音楽制作には興味がなく、ただ、自分の中にある音楽がこの世に出たいと願う通りに音楽を生んでいるだけだと言えます。
 それは、商業音楽の観点から見ると「売れる気は全くない」生き方であると言えます。
 彼のこの生き方の潔さ、その強烈な「光」がもたらすものが、独立系アーティストであることの「影」の部分です。
 
 それは、彼がメジャー・レーベルの親会社が持っている巨大な販売宣伝網を利用できないため、CDなどの物販販売ルートの確保と宣伝、ライブ活動の企画宣伝が難しい、ということです。
 これが、独立系(インディペンデンス系)アーティストが抱える1番大きな弱点です。

 この弱点を克服するため、彼はカザフスタン政府もしくは地方の行政機関とつながりが強い彼の両親の経路を使って、各国の政府に働きかけ、その国の文化事業としてコンサートを開くという形式を取っているようです。
 父カナト氏が、息子である彼のマネージャーを務めているのはそのためです。父カナト氏は、彼のマネージャーを開始するまで、国か行政機関の文化部の部長だったそうです(カナト氏は、今回ディマシュが受賞した称号の下部の称号「功労芸術家」を受賞している人でもあります)。母のスヴェトラーナさんは現在、オペラ歌手と同時に地域の評議会で幹部を務めているそうです。
 またディマシュはその経路、つまり外国の政府の文化大臣などと会ってライブの話を自力で取り付ける際、彼らからの好印象を得るため「大学院生」という身分を手放すことが出来ない可能性も考えられます。

 ただし、この経路にも別の弱点があって、それは、その国の文化的な事業としてコンサートを開催する時には、商業活動を目的としての「宣伝広告」を打つことが出来ないという事情です。
 いつぞやのNYライブでは、いわゆる普通の商業的宣伝が一切できず、そのためアメリカのFCとdearsの有志達が何千枚というフライヤーを手配りして宣伝して歩いたのは有名な話です。
 また逆に、トルコ・アンタルヤでのライブでは、天候不良が予報されたため屋外スタジアムから屋内の会場に変更になりましたが、元の会場から変更になった会場まで「無料!」のバスやタクシーなどの送迎サービスが出ていました。民間のプロモーターだったら、ここまでの面倒は見てくれません。ていうかこんな対応、聞いたことがないわ。(私が聞いたことないだけかもしらんけど)
 これまでは、そういう方法でのコンサート企画と開催が、割合スムーズに行われていました。


【国家との接点】

 カザフスタンは、つい最近ソビエト連邦から独立した国です。それまではカザフ・ソビエト連邦共和国という、ソ連の属国でした。
 私たち日本人は、WWⅡ後の先進国の仲間入りから長い年月が経ち、現在は国の政治状況があまり良くありません。深いところで腐敗が相当広まっているなという気配を感じますし、それは現在のどの先進国についてもあまり変わりがありません。WWⅡ以後に成立した社会構造や政治スタイルが時代の変化についていけなくなっているのです。そのため、私たちは政治に対して信頼感を持つことが出来なくなっています。
 だから私たち先進国の人間には、ディマシュがどうして彼の母国や周辺国や中国の政府と関係を持ち、政府関連の行事に出演するのかが、よく理解できません。
 しかし、彼の祖国カザフスタンは、近代的な独立国家になってまだ32年と非常に「若い」国です。
 そして、同じように国家がこのように若かった頃の日本、明治維新前後の日本も、実は優秀な若者は政治に深く関わっていました。「王政復古の大号令」の1868年当時、西郷隆盛40才、大久保利通38才、木戸孝允35才、坂本竜馬は生きていれば32才、山形有朋30才、高杉晋作29才、伊藤博文は27才でした。大河ドラマや写真などから知っているイメージとは、相当にかけ離れた若さだと思います。
 ディマシュが音楽活動をするうえで、「建国に燃える、超優秀な若者」としてカザフスタン国家や行政と深く関わったり、若い周辺国の行政と連携を取ってコンサート活動をするのは、彼の祖国の状況と彼の国家に対する意識が、我々のような衰退しつつある先進国の国民のニヒリスティックな意識段階とは全く違って非常に「若い」段階にあることを考えると、それほど不可解ではないのです。むしろ、主権在民であるはずの我々が政治に関わらない方がどうかしているのです。
 また、実に根本的なことを言ってしまうと、ディマシュが現在も在籍している大学が「国立芸術大学」なので、日本の「東京芸術大学」と同じく国家の省庁が設立・運営しており、ディマシュの音楽活動は最初から国家絡みということになります。


【そうも言っていられなくなった去年(2022年)】

 しかし、新型コロナによる「制限」がやっと解除されるかと思われた昨年(2022年2月)、ロシア・ウクライナ紛争が勃発し、カザフスタンや中国に次いで大きなファンダムを持つであろう両国でのディマシュの音楽活動が、封じられてしまいました。
 この紛争がすぐには終わらないだろうと、ロシアの隣国であるカザフスタンに住むディマシュと彼の周辺の人々(政府関係者も含むかもしれない)は判断し、これから先の彼の音楽活動をどうするべきかについてディスカッションを重ねただろうと思います。
 ディマシュはあのように可愛らしい顔をしていながら、実は相当な策士でもあって、周到な計画を立てて物事を進めるタイプです。……と、インドの映画祭で本人が自分で発言していました。
 そしてディマシュは、これまでの国家と連携した活動経路「以外」の道を探す必要があると判断したのだろうと思います。
 そのためのLA居住と、アメリカの有名プロデューサーとの仕事(具体的に何してるかは知らんけど)、アメリカの若手ボーカルコーチとその周辺との親交だろうと思われます。
 ここら辺の動きから、おそらく彼は最も分かりやすく、最も中道であり、最も困難な道である「グラミー賞への道」を選択したのではないか、と私は推測しました。まあ、私のマンガ脳の妄想ですけどね。
 この推測が正しかった場合、もしかしたら彼も、自分が実際に「グラミー賞」を取れる核心は持っていない、という気もします。
 ただ、それを目標にして動いた方が、彼にとってはきっと面白いんだろうな、と。
 これまで地元の大学で学んできた「現代音楽」と「ジャズ」の本場アメリカのLAで、それらの音楽の本質を知り、本物を吸収し、自分の音楽性にそれらをブレンドさせてさらに豊かな音楽世界を育て、世界と勝負する。
「自分」というチェスの駒を動かして「キング」を取りに行くような、男に生まれたなら一度はやってみたい、スリル満点の勝負。
 たとえ結果としてその勝負に負けたとしても、その道中で身についた能力と知識は、その後の彼の人生に大きく役立つだろうということは容易に想像がつきます。
 そんな感じなんじゃないかな、と思ってます。
 なんたって生まれながらの「帝王」ですからね、彼は。
 


【ファンとアーティストの関係】

 以下は、私が長年ひとりのロックバンドのボーカリストのファンを長年、えーと46年ぐらいやってきて、その間に同じファンの人達や、他のバンドのファンの人達と交流した感想のようなものです。
 
 そのバンドやミュージシャンが目指していた最高の「栄誉」、たとえばプラチナやゴールドディスクを取ったとか、全米や全英のヒットチャートでNo.1を取ったとか、今回のディマシュのように祖国の芸術家として最高の称号を授与されたとか、そういう時に彼らのファンが抱く典型的な感情があります。
 
「この人はもう、私から遠いところに行ってしまった、私の助けはもう必要ではなくなってしまった」
 
 非常に典型的な心理状態で、典型的な「ジョニーとマリーの物語」です。
 本当は、ファンの側も彼らと同じく長年の目標をかなえてしまって、気が抜けて、次の目標を見つけられないだけなのですけどね。
 そしてこのファン心理のために、多くのバンドやミュージシャンは、そういった「栄誉」を得た瞬間に、初期からついていたファンをごっそり失ってしまうのです。

 けれど、私が長く「ファン」という立場を続けてきて、わかったことがあります。
 それは、彼らバンドやアーティストが最初から夢見ていた最高の「栄誉」を得たそのあとの数年間こそが、彼らにとって本当の正念場であり、彼らが最もファンの力を必要とする時期だということです。

 ディマシュは今まで、自分はアーティストとしてまだまだ未熟だと思っていて、自分のずっと先のほうにいる自分のファンの「dears」になんとかして追いつき、彼らが自分を自慢に思ってくれるようなアーティストになろうとして頑張ってきました。
(どうしてディマシュよりファンの方が先を行っているのか、それは創作の発信者と受信者の心理の違いであって、優劣ではありません)
 そしてこの10月24日、彼はやっと、自分のファンに追いついたのです。

 私たちは今まで、私たちに追いつこうとして私たちの後ろから懸命に走って来ていたディマシュの顔を、振り向いて正面から見ていた状態でした。
 彼の表情をすべて見ることが出来ていました。
 彼が私達に追いついたということは、彼はやっと私たちの隣に立つことが出来たということです。
 しかし彼の顔は、今までもそうだったように前を向いているため、私たちは横にいる彼のその横顔、その表情の半分しか見えません。
 下手をすると、背中しか見えない時もあります。
 それが、「彼が遠くなった」と感じてしまう正体です。
 ですが、よく見てください。
 彼の手は、あなたと手を繋ぎたくて、あなたの手を探しています。
 そして、繋いだ手をもっとしっかり握っていてほしいと願っています。
 なぜなら彼は、今回の受賞によって、自分がこの称号に値するかどうかを生涯試され続ける人生を本当に決定づけられてしまったのです。
 彼が『OMIR』で白状したように、これほど特殊な人生を生きる彼の「心細さ」も、ますます強くなってしまったのです。
 遠くなったように感じる彼の横顔は、彼が横にいる私達ファンを信頼しているから見せる顔です。
 そして彼は、「グラミー賞」が象徴するような、音楽家にとって一世一代の賭けに出る資格をやっと手に入れたと感じ、そこに向かって歩き始めたばかりなのです。
 彼のその手を離さないであげてください。
 たとえ彼が生まれながらの「帝王」であったとしても、人の子であることに変わりはないのです。
 彼、そして彼らミュージシャンが自分のファンや支持者をどれほど大切にし、どれほどたよりにしているか、その気持ちはファンのほうが考えるその何万倍も強く、あのフレディ・マーキュリーでさえ、お忍びで来日した時にレストランから出て来た彼を出迎えたファン数人に向かってそういった本心を思わず打ち明けてしまうほどの、切実な強さなのです。

 私はディマシュが何世紀先になっても多くのファンを獲得するような偉大な音楽家であることを確信してはいますが、そのためには、今彼と同じ時代を共に生きている私たちの存在が非常に重要です。
 遠い未来にデータとしてしか残っていない彼を選んで彼の音楽を聴く人々が、彼らのその選択に自信と確信を持つために、生きていた頃の彼がどれほど素晴らしい音楽家でどれほど人気者だったかという歴史的な証拠を残しておく必要があります。
 この世で生きて歌っている彼の存在感、彼がそうしたいと望んで差し出した彼の手を、心の領域で繋いだ時のその手の温かさ、それらを感じることが出来るのは、彼と同じ時代を生きている私たちの特権であることは確かなのです。
 そして、何世紀も先の未来にいるであろう「dears」のために、彼が生きて歌っているその声や姿を決して見ることが出来ない「dears」のために、実際に見聞きした生の彼の実像を、彼の声を、彼がどれほど素晴らしい音楽家であるかを、心の中で伝言として残す必要があるのです。
 彼がどれほど彼の「dears」を愛し、彼がどれほど同時代の私たちに愛されていたかを。


いいなと思ったら応援しよう!