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支援につながり始めるとき...の記憶

こんにちは(^^

今日は、長男 T が2才半で支援や診断に繋がっていく最初のころを、思い出しながら綴ります。2003年 早春~です。

前回の記事の流れから「発達に心配のある親子のサロン」 月1回 を紹介され、さっそく参加してみます。

地域 保健センター内の一室で行われていた、そのサロンでは、10組以上の親子が参加。保健師や保育士など複数のスタッフが、手厚く親子の様子を見守りながら、丁寧に関わってくれていました。

ゆっくりしたタイムスケジュールで、身体を使った親子レクリエーションや手遊び、おやつタイム、みんなで歌ったり、お話を聞いたり、名前を呼んでお返事をしてみる...といった、疑似幼稚園のような流れを、少人数で体験。

複数のスタッフは、その様子を丁寧に観察しながら、個に応じて優しく、否定せずに、関わり続けてくれています。

その中で T は、明らかに浮いてしまうほど、待てず、名前を呼ばれても振り返ることもなく...自分の興味に過集中...の様子が、はっきりと際立っていました。

私は、現実を目の当たりにした ショックで、受け入れることに時間がかかっています。

2時間ほどの、初体験「発達に心配のある親子のサロン」の終わりに、スタッフ側から、個別に声がかかります。

「もし良ければ、もっと専門的な、毎週の療育サロンが、市の児童相談所内にあるのですが...そちらに参加、お母さん的には どうでしょうか?」といった案内と紹介でした。この時点で「利用のためには、診断を受ける必要性があります。」と、同時に説明されていたのかもしれません。(はっきりと覚えていなくてごめんなさい💦)

当時の私は「療育」という言葉に理解が及んでいないので、もっとかみ砕いて説明してくれていたと思います。

療育 とは障害のある子どもの発達を促し、自立して生活できるように援助する取り組みです。

その場で「長男のためになるなら、何でも、ぜひ!」と、二つ返事で承諾し、紹介していただく流れを、そのまま受け入れています。

この頃から、児童相談所 とのお付き合いが始まります。

指定された日時に、児童相談所へ足を運びました。毎週の「療育サロン」利用のための、前提条件の説明や手続き方法などと併せて、本当に必要か...を判別する、心理士さんによる最初のスクリーニング面談でした。

長男 T の出生からこれまでの育ちの様子、子育てで困っていることなど私へのヒアリングと、今、目の前で実際に T の遊び方や様子...を観察したり、関わったときの反応の様子を、詳細に記録していました。

ある程度の時間を共に過ごしたあと、担当してくれた心理士さんは「私は医師ではないので、診断できる立場にはないのですが...お母さんもお困りで、今後の見通しをお知りになりたい、とのご希望ですよね?」との前置きと念押しをされ、私が頷いた、そのあと...

「今の簡易検査の段階で、自閉症の傾向がみられます。毎週の療育サロンは、私から見ても利用できると思います。お母さん、子どもは育ちますよ。自閉症と言っても、今は、成人して働いている方もたくさんいるんです。一緒に子育て、頑張っていきましょうね。」と、共感と励ましの言葉を、優しく、温かかく続けられました。

「確定診断には、医師の診察が必要です。医師の空きを確認して、一番早いタイミングで予約しましょう。...ちょうど4月から、新年度の療育サロンが始まるので、T 君は4月からスタートできますよ。手続きには~...」

ある程度、予想はついていた...とはいえ「自閉症」の単語が出た後のことは、やはりショックが大きくて...。漠然と受け止めるだけで、その日は精一杯でした。何をどうして、どう家へ帰って来たのか、全く覚えていません。

4月までは、あと3ヶ月余り...。

※障害名は、当時、言われたままを記載しています。現在は、別な診断名ですが、どの症状が強く出ているか、で診断名が変化していく...という感じでした。近年は「自閉スペクトラム症」に統一されつつあります。

※ 当時は非常にショックでしたが、今 振り返ると、ここが分岐点でした。この後も紆余曲折ありますが、好意的な方々に出会い、たくさん支えられて、少しづつ乗り越えていきますので、ご安心を。(^^

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