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『日本の弓術』を読む┃古典に触れる100日
#30分読書習慣 、101日目からの100日間は、過去の著作物を読むことにしています。で、101~104日目でオイゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』を読みました。
30分読んだあと、「ちゃんと読んだよー」と報告するツイートを流しています。少し前から手元の DayOne にも記録を残していますが、振り返りもかねて、読み終えたら note にツイートをまとめることにしました。
#30分読書習慣 #101日目 は、オイゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』。『弓と禅』を読んだことはあるけど、この本は知らなかった。昭和11年の講演記録だけど、すでに日本人と西洋人の考え方の違いが指摘されていて、昔も今も変わらないのかと思った。だからこそ、対話をあきらめちゃいけないのよね。 pic.twitter.com/xdNAmX2oX3
— kurobonsai (@kurobonsai) January 23, 2020
オイゲン・ヘリゲルは、かつての上司に『弓と禅』(福村出版)を勧められたのがきっかけで知りました。昭和30年代に出版された本で、ものすごく読みにくかったのを覚えています。
じつは最初、この本は『弓と禅』と内容がまったく同じで、翻訳者が違うだけだと思っていたんです。
確かに、話題の中心はヘリゲル自身の修行のことだから同じではあるんですけど、『弓と禅』は修行そのものの記録、『日本の弓術』は師匠の境地に近づくまでに気づいた、日本人と西洋人のコミュニケーション文化の違いに焦点を当てているところが異なります。ひとつの出来事を2つの視点からとらえることができておもしろかったです。
#30分読書習慣 #102日目 も『日本の弓術』。講演内容に移り、力で矢を放つのではなく、気づいたら矢が飛んでる感覚を身につけるまでのこと。『弓と禅』で「それが射ました!」と師匠が叫ぶ場面が出てきたのを思い出した。一点に集中すると、集中してることすら忘れて、あらゆる感覚が無になる感じ…? pic.twitter.com/sSYepJ0PSk
— kurobonsai (@kurobonsai) January 25, 2020
「それが射ました!」の「それ」が、力や自分の意志といったものではなく、無意識の何かが働いたものなんだろうと思います。でも、読んでいたときは文字を表面的に理解しようと脳みそに力が入りすぎていたせいか、「『それ』ってなんやねん……」と途方に暮れたのを覚えています。
#30分読書習慣 #103日目 。師匠のもとで5年間過ごした話から、弓術を通して学んだ禅の話へ移る。とはいえ、具体的な話に入る前の前置きが長い(理論理屈だけで分かろうとしてはならず、もしそれでわかったと思ったならそれは危険)。それだけ慎重に話を進めないと、勘違いしやすい事柄なのかも。 pic.twitter.com/eKuvPrjjFB
— kurobonsai (@kurobonsai) January 25, 2020
京極夏彦さんの『地獄の楽しみ方』に、言葉で言い表した瞬間にこぼれ落ちるものがある、といった話が出てきたのを思い出します。そのことと、本書に出てきた「言葉で説明し尽せない何か」が同じかどうかわからないけれど、言葉で説明できていない何かは絶対にあるし、予想外の反応が来ても過剰反応しない心のゆとりを持つことが大事なのだと思っています。
#30分読書習慣 #104日目 、『日本の弓術』読了。西洋の人からしたら、日本人ってヘンテコな民族なんだろうな、なんて思いながら読んでました。ヘリゲルさんの弓の師匠として仙人をイメージしてたんですけど、私とたいして年齢が変わらないと知ったのが、今日一番の驚きでした…。 pic.twitter.com/BSeDf99UVT
— kurobonsai (@kurobonsai) January 26, 2020
読んでいるときは、自己犠牲の精神を持つ日本人って、西洋の人からみたら宇宙人並みの変ないきものなんだろうなぁ、と思っていました。でも、けさふいに「神風特攻隊が生まれた背景にはこうした思想があったから、だったりして」と背筋が寒くなりました。
『弓と禅』を勧めてくれた上司が「情熱と理性とそのバランス」とよく言ってたのを思い出しました。でも、「やりすぎ」かどうかはその時点ではわからなかったりするから難しいのですが。