夢を叶えたはずだったのに感じた 不透明な違和感の正体を突き止めた
新年早々、
ダサい気づきがあった。
「遊ぶように働く」
そんな働き方がしたくて
仕事と遊びの境界線がないような生き方をしている。
“わたしにしかできないこと”
を仕事にするライフスタイルを提唱しつつ
自分でも体現しているのだけど
1年間やってみたからこそわかったダサめの気づき。
このわたしのダサい気づきが
何かの参考になったら嬉しいです♡
夢だったはずなのに…
2021年、「遊ぶように働く」ということで
遊びと仕事の境がほぼないような感じで
1年過ごしてきて
毎日が楽しかったし
これが一生続いたら最高だな〜
って思ってた。
これは紛れもない事実なんだけど、
いざ、2021年を振り返る
っていう年末のタイミングになって
なんか
「え、何もやってないわ〜」
っていう感想が出てきた。
周りからみたら
色々やっているように見えたのかもしれないけど
(よくそう言われる)
自分の感覚とはチグハグ。
何もやらず、
いつの間にか叶ってる!
これがわたしの望みだったはずだけど
いざ叶えてみちゃったら
なんか違うな〜
って言葉にできない違和感があった。
違和感の理由が
つい2日前に判明したのだけど、、、、
違和感の正体
「いつの間にか実現している」
「遊ぶように働く」
この夢を叶えたはずだったのに
感じた不透明な違和感。
これの正体を考えた。
🤔達成感が足りなかったのかな
→ひとつひとつの物事への達成感や1日1日の達成感は少なからずあったはず
🤔成し遂げたことがなかったのかな
→いや、新しいこと結構実現してた
🤔本当の望みじゃなかった?
→今も一番叶えたいことはやっぱり「自由」だし、この辺は変わってない気がする
まあ、そんな感じで
いくつも考えてみたんだけど…
結果、見つけた正体は
/
全力を出していなかったこと
\
これだった。
何となくできちゃった
くらいのチカラでやっていることがほとんどだった。
これが悪いとか良いとかではなく
わたしがモヤモヤした本当の理由は
まだまだこんなもんじゃない
何となくできちゃった
くらいのことの連続で
結果、色々やってきた1年だったけど
所詮、
「何となくできる」
くらいのチカラでしかなかった。
これが良いとか悪いとか
その評論はきっとそれぞれなんだろうけど
わたしがモヤモヤした理由は
わたしはもっとできる
って自分自身がわかっていたから
だと、思う。
色々できた。
評価もされた。
これは紛れもないもない事実だけど
自分の中のわたしが
「ねえ、まだまだこんなもんじゃないでしょ!?」
って、囁いてる感じ。笑
ごめん。
自分に妥協してたわ!!!!!
って、はっとした。
降参するわ。
正直なところ
人の目をごまかすことは
わたしの一種の特技だと思う爆
勉強したフリをして
練習したフリをして
聞き分けの良い子のフリをして
何にも知りませんよ〜
みたいな顔をして生きてきたら
なんか、自然と身についた笑
でも、「自分」を生きると決めた日から
日に日に、自分自身の感度みたいなものは高くなって
もはや、自分をごまかすことは
できない世界まで来たのかもしれない。笑
楽なことが好き。
楽に生きたい。
これは、ダミーの願いだったと
わかっていたはずなのに、
やっぱりまだ
楽な方へ行こうとしちゃう。
低い方へ低い方へと水が流れていくのと同じように
人間は楽な方へと流れていくんだろうな〜。
と思ったら、
あ、わたしもちゃんと人間やってるじゃん
って。
もう、自分に降参しよう。
気の済むまで自分を叶えてあげよう
だから
2022は気の済むまで自分を叶えてあげようと思う。
多分、結果が重要なんじゃなくて
その時の自分の全力を出してみる
っていうプロセスが、
わたしの自己満には必要なんだと思う。
人から見て
頑張ってるとか頑張ってないとか
すごいとかすごくないとか
やってるとかやってないとか
そんなことは
モチベーションにはするけど
判断基準にはしない。
2022年
まだまだ自分実験中。
さあ、今年は
どんな未来が待ってるのか♡♡
予想もつかないから楽しいよね!
わたしの人生最高!
「我が人生、悔いなし」
って言って死ぬのが夢。
2021.01.05
YOKO