望む部分だけを語る。自分の感情にだけ集中する。
エイブラハムの教えを知ってからは、自分が「この人はすごいな~」「こんな風になりたいな~」と思う人を見ると、
その人が叶えている物質現実ではなく、普段の思考や言葉や感情を観察するようになった。
その中で「いいな」と思った要素は真似させてもらってる。
余計なこと(これ以上現実化させたくないこと)は語らず、望む部分だけを語る。他人にも自分にも。
少なくとも、私や夫が「すごいな~」「自分もこんな風に許容・可能になりたいな」と思うような人は、みんなそうしてる。
彼ら、彼女らのSNSやYouTubeを観察してるとよくわかる。
「あなたがいてくれて、どれほど恵まれているのか、とても表現できない。本当にありがとう」
「この景色がとても綺麗で、帰りたくなかったぐらい」
「今日は家族と一日中遊んで過ごせた。こんなにいい気分になったことはないよ」
「今日もとても楽しく仕事できた。〇〇さんも素晴らしい仕事をしてくれてありがたい。みんなにもいい反応をもらえて幸せだな」
などと、いつも肯定的なことばかり言ってる。
(どちらも英語圏の人なので、ニュアンスはわからないけど)
波動が改善されれば、もちろん現実もついてくる。
私自身、最近ますます気分がいいのは、他者への正当化や説得、証明を辞めたことが大きいと思っている。
「自分と価値観が異なる人には理解できないんだろうけど、自分はこんなに幸せなんです!」「こんなに現実創造もできてて、うまくいっているんです!」
みたいな、ひねくれた幸せアピールを辞めたことだ。
まあそもそも、そんな風に主張してる瞬間は、幸せを感じている状態とは程遠いので、
「幸せ」を「(他者に)アピール」なんて不可能なのだが。
それから、他者の考えを変えてもらおうとか、自分の考えを他者に納得してもらおうとか、そういう「説得」という概念も放棄した。
「自分はこんなに正しいのに対して、この人はここがこんなに間違っている」などと言えば言うほど、どんどん目の前に茨の道が敷かれるだけで、なんのメリットも無い。
「誰かの考えを変えない限り、特定の望みを叶えることができないはずだ」という思い込みを手放せば、そんなものは必要なくなる。
本当に幸せを感じている時は絶対にそんなことを考えないし、
いつまでも幸せに拡大し続けている人は、誰もそんなことをしない。
まあ幸福感と、正当化や説得では、波動が違いすぎるから、当たり前なのだけどw
幸せな人は、決して他者に向けて説明しない。
その上、他者からのフィードバック(=他者の反応)にも意識を向けない。
常に自分自身の感情、つまりソースからのフィードバックだけを重視している。
もちろんそうやって感情を重視し、気分の良さを選び続けた結果、他者に対しても良い影響力を持つことになるし、
他者から認められたり、理解されたりすることにもなるが、
それはあくまで結果なので、それをまず第一の目標とすべきではない。
人生なんて、自分ひとりで勝手に幸せになればいいだけだ。
誰の理解も必要ない。
重視すべきものは、自分の感情だけなのだ。
(追記)
なるべく望むことだけを語ろうと決めたからと言って、
私が昔、今よりも機嫌が悪かったときに書いていた、機嫌の悪さ丸出しの文章も、べつに後悔はしていない。
なぜなら、そのぐらいの波動の情報がちょうどいい段階の人もいるからだ。
当時の私と同じぐらいか、もっと機嫌が悪い人にとっては、
あまりに波動が高すぎる情報は、とっつきにくいばかりか、理解できなかったり、誤解する可能性まである。
今の自分と同じか、少し高いぐらいの波動が、一番理解しやすく、活用しやすいものだ。
私の過去記事も、シンクロニシティによって、その情報が必要なタイミングの人に読んでもらえていると思うので、
それはそれで良いことをしたと、自分では思っている。