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コントロールしない・させない、無条件の愛
最初に言っておくと、今回は恋愛やパートナーシップに限らず、人間関係全般の話。
今の私からはかけ離れているが、幼い頃の私は子供らしくないほどに聞き分けがよく、周りの大人たちにも「(従順で)いい子」「お利口」という評価をされていた。
わりと最近でも「あの頃はいい子だった」と言われたほどだw
でもこれって感情の部分に着目すれば、「自分の心の声を押し殺して、周囲の大人を喜ばせようとすることを常に優先している」ということなので、
感情のスケールは低いし、ソースとも断絶している。
(もちろん、たまたま自分の望みと周囲の他人の望みが一致していた時間もあっただろうし、ソースと同調していた時間もたくさんあったけどね。)
他にも「正義感が強くて真面目」とも評価されていた。
以前実家で自分の子供時代のアルバムを見たときに発見したんだけど、なんと1歳の時には「正義感が強い」と評価されていた(笑)
どんだけ気難しい1歳なんだ!?w
これって要は、従順であることに加えて、「周囲の大人が善とみなすことを善とみなし、周囲の大人が悪とみなすことを悪とみなして積極的に批判する」ということなのかなーと思う。
もちろん、まだ1歳だから、特に意味もなく、たまたまそういった反応を示しただけかもしれないが。
でも、少なくとも周囲の大人と善悪の基準が一致していた、ということだとは思う。でもソースは善悪など眼中に無い。
感情のスケールはおそらく「非難」あたりなので、これもソースと断絶されている。
感情のスケール↓
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私は1歳から5歳ぐらいまでは保育園にいたんだけど、
その頃には男の子を追っかけたり、ファッションにこだわったり、女子同士の人間関係で悩んだりしてた記憶がある(笑)
なんか、今の私の方が子供みたいに無邪気な気がするけど、まあいいやw
その後は2年間フランスにいて、現地の学校に行ってたんだけど、
日本とフランスはどちらもいいところがあるけど、フランスの個人主義的で、あまり過保護ではないような風潮はわりと好きだった気がする。
色々と私の子供時代のことを書いているけど、冷静に考えれば当然、恵まれて幸せだったことの方が圧倒的に多かったことは一旦明記しておきたい。
その後帰国してからは、色々あって、先述の従順すぎる特徴がエスカレートしてしまったように思う。
周囲の大人に言われたことを何でも聞いたり、学校で学んだことを何でも鵜呑みにしたり、なぜか過剰に努力や忍耐をしたりして、
小学生のくせに、勉強も家事の手伝いも習い事も、色々とキャパオーバーになるまでやりすぎて、度々ぶっ倒れてた(笑)
今思えば、なんかアホすぎて可愛いなって思うし、面白くて笑っちゃうんだけどねw
しかもそうやって倒れた時に、
「は?誰も倒れるまでやれなんて言ってねーし。疲れたら休めばいいじゃん。嫌ならやらなきゃいいでしょ?自己管理ぐらいちゃんとやってくれない?他人はあなたの状態まで察するなんて無理なんだから。」
とでも言ってくれる人がいればいいものの、
周囲の人(大人も子供も)は「まあ、こんなになるまで頑張って健気…!」だの「身体が弱くて可哀想」だの言いながら、どこか悲劇的なドラマに陶酔しているような反応だったので、ますます混乱したんだと思うw
そういうのが悪いとか間違ってるとか言うつもりは無いけど、今思うとなんか面白くて笑ってしまうw
まあ一時は、そんな風に周囲にコントロールされたとしても、
他人と自分では、思考も願望も価値観も全然違うんだから、その後も何十年も誰かに対して従順でい続けるなんて絶対に不可能だし、
ソースから断絶されていれば、その悪影響の方がずっと大きいから、コントロールしたりされたりするのは不幸でしか無い。
っていうことが今回の記事で言いたいこと。
私自身も、そんな風に自分の感情を抑圧したり、蔑ろにするのを十何年も続けてたら、
当然、ひどい人間関係を多く体験したり、重い病気になったり、あらゆる波乱のドラマに振り回される体験をした。
今思えば当たり前すぎるんだけどね。
それで、結局は最初に喜ばせようと思っていた相手にも、迷惑をかけることになるし、
いつか必ず、コントロールして来た人たちのことを恨む時が来る。
それに、従順な素振りをすればするほど、相手に「こいつはちょっと強く言えば簡単にコントロールできる。そうすれば自分の思い通りになって良い気分になれる」という勘違いをさせてしまう。
これは200%間違ってるから、相手を幸せにするどころか、真逆の結果になる。
1日2日ならまだしも、何年も何十年も、常に相手に認められる行動をするなんて、絶対に誰にも不可能だし、
そうやって自分の感情を殺し続けても、あるタイミングで強制終了が起きて、結局いつかは自分の感情を優先する生き方に軌道修正するしか無くなる…っていうケースも多々ある。
それが起こった時に、相手がソースと同調していなければ、たぶん
「あれだけ従順だったのに、突然自分の期待に反することばかりし始めた!信じてたのに裏切られた!」とか、
「自分がこれだけ頑張って、何年もかけて教えたり、尽くしてきたことが全部無駄になった!」
とか言って絶望すると思う。
だから最初からコントロールしない・させないに越したことは無いのだ。
それに、たとえ今誰かにコントロールされていても、いつからでも遅くないから、他人の期待に応えようとすることを放棄して、自分の感情にだけ従うべきなのだ。
そしてコントロールしようとしてくる他人には、早いとこ「もうこいつは何を言っても聞かない。もう手に負えない」と呆れてもらった方が、お互いに無駄なことをしなくて済むので、お互いのためだ。
これはべつに冷たいことではなくて、愛し合っているからこそ、どんな人間関係でも、その方がお互いにより良い気分になることができるし、幸せになれるのだ。
誰でも同じように、他人の振る舞いは一切関係なく、自分がソースと同調することでしか、安らぎや幸福感、パワーがあるという感覚は得られないのだから。
まあ今回書いたことも含め、私は(みんなそうだと思うけど)大小様々なコントラストを体験したけど、
そのおかげで意識的にせよ、無意識にせよ、強い望みがたくさん生まれたし、
感情が上向きになってからは、その望みが叶うのをどんどん受け取っているのが楽しいので、
私は自分の人生をとても気に入っているし、何一つ間違ったことは無かったと実感している。
全員がそうなのだ。
何年も感情を抑圧して絶望的な体験をしたことも、
その結果、「いい気分になりたい」という強烈な願望が生まれたことも、
その後紆余曲折あって至福を感じられるようになったことも、
一連の体験を全部気に入っているし、
自分自身が絶望から至福まで体験しているおかげで、こういった感情に関する文章も書けるから、過去のどの自分にも感謝している。
でももし、今の私が昔の私にアドバイスするとしたら、こう言うだろう。
「嫌な気分の時は、絶対に動かないで!」
笑
さらにこんな風に言うだろう。
「絶対に他人にコントロールされないで。させないで。
いつも自分の感情にだけ従ってね。
いい気分になることを考えて、いい気分になる行動だけをしてね。
それはその時々で変わると思うから、自分の感情をよく観察してみてね。
何かをするように言われても、気が乗らなかったらやらないでね。
『やりたくなくても、頑張ってやれ!』とか言われても、完全に無視して、頑なに動かなかったらいいんだよw
どんなに否定されたり、怒鳴られたり、脅されたり、泣かれたり笑われたりしても、ぜんぶ無視していいから。
自分がいい気分でいれば、自分の身に悲劇が降りかかることも、他人に危害を加えることも絶対に無いから安心して。
できるだけ、楽しいこと、好きなこと、ホッとしたりワクワクすることを考えることに集中してみて。
それを執拗に続けてれば、全ての他人はコントロールすることを諦めてくれるよ。
その方がお互いにいい気分になれるから、お互いハッピーなんだよ♪」
そういえば、昔の私が従順になった理由とかは、昔のことすぎてわからないけど、
たぶん、周囲の大人の言うことを聞かなかったら、自分の身に何かデメリットが起こる…という思い込みはあったのかなーと思う。
でもそれは間違っていて、実際は自分の感情だけが自分の現実を創っている。
たとえ誰か筋力の強い大人が、子供に殴りかかろうとしたとしても、その子供がとてもいい気分だったら、その大人は闘う気が失せて、その子のことは放っておくのだ。
エイブラハムもそういう趣旨のことを言っていた。
それに私自身の体験からも分かるのだが、いじめとかも、いじめっ子といじめられっ子はどちらが先ということは無く、
いじめられっ子はいじめられる前から怯えたりイライラしているので、いじめっ子も自然とそういう子をターゲットにしたくなるのだ。
どちらもひどく悪い気分だから起こるドラマであって、どちらかの気分が回復すれば、そのドラマは終わるか、メンバーが変わる。
そういえば、今回の記事で書いたような体験のおかげで、今の私が得ている恩恵は計り知れないが、
一部を挙げるとすれば、もちろん今では誰も私のことをコントロールしようなどと思わないし(不可能なのでw)、私も誰かをコントロールしようとは思わないから、とても快適な状態になった♪
そして、
絶対に微塵もコントロールされたくない!
個人の自由が当たり前っていう人とじゃないと一緒にいたくない!
恋愛においても、付き合うなら絶対に100%無条件に愛してくれる人がいい!そうじゃなきゃ独身でいる!
…などといった強い望みのおかげで、そういう夫と結婚できた(笑)
夫はどのぐらい無条件に愛してくれているかというと、仮に私が突然男になるとか言っても「いいね😄」って言ってくれると思うw
仮に私が他の男性との子供を妊娠しても「おめでとう〜!😄何か手伝えることある?」って言ってくれる、そんな人だw
それに私が病気でボロボロだった時に付き合ってるのもあって、もちろん容姿も関係無いし、今後私が突然、容姿を大きく変えるとか言っても「いいね😄」って言ってくれる。
ある日突然、私が「今後もう家事を一切やらない!」とか言い出しても「おっけー😄」って言ってくれる。
(※例え話であって、実際にそうしたいとは思ってないけどw)
まあそのぐらい無条件じゃなかったら結婚してないけど、でもほんと、こんなに完璧に叶うなんて、ありがたいなって思う♪
夫は「それ以外何があるの?」って言うぐらい、無条件なのが当たり前っていう価値観なんだけどねw
それに、お互いにそうだから、私も夫をコントロールしないし(不可能だからw)、期待に応えてもらおうとか思うことは全く無いから、毎日ハッピー♪
もし私が生まれてからずっと、こういう無条件の愛の人間関係しか知らなかったら、
それが当たり前で空気みたいなものだから、こんな風に感激したり、ありがたみを感じたり、詳しく文章に書いて説明したり、できなかったかもな〜って思う。
だからやっぱり全部完璧だったなーって、何度も何度も思っている♪
自分の人生に満足することほど、幸せなことは無いね☺️
やっぱりありがたいことしか無いな☺️
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