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バベる 新屋 喜奈の場合 ④

蔵木さんが出来上がったメニューを運んで来てくれた。
丁寧に造られているのがなんとなく分かる。
紗奈が口を開く。
「キレイだね。すごく」
とりあえずスマホで写真を撮りながら由奈がスマホ越しにえーやばいんだけどーと呟くのが聞こえた。
わたしは初めて来たワケではないので知ってはいたけどやはりキレイに造られている。
「おまちどう様。ゆっくりしていってね」
蔵木さんはそう言うとカウンターの方へ歩いて行った。
目の前に置かれたコーヒーからはくねくねと湯気が立ち込めている。鼻先に良い香りが通り過ぎていく。
ゆったりとのんびりとした心地よい時間が流れている。
由奈は写真を撮り終えたのかせわしなくケーキの乗ったお皿をくるくるとアトラクションのコーヒーカップの様に回している。
時々聞こえる、うわーやばいんだけど。見た目かわいくて食べられる気しないわーという呟きが微笑ましい。
紗奈は写真を1枚だけ撮りコーヒーを一口飲んだ。
大きく息を吐いて満足といった表情を浮かべる。
わたしは写真を撮るでもなく2人をなんとなく眺めているだけだった。
友達が幸せそうなのがかわいい。
とかそういう感情が湧かない。ただ目に映る現象を眺めているだけだった。
それは常にそうだ。もともと感じにくい。わたしの中の何かがきっとズレてしまっているのかもしれない。そしてそれと向き合うつもりも深く悩むつもりも無いのだ。
嬉しそうにケーキを由奈が食べ始めた。
「これ!やっば!マスター!これヤバいですよ!食べた事あります?」
蔵木さんは少しはにかみながら答えた。
「お客さんに出すのは全部一口かじってるよ」
冗談とすぐに分かったがわたしはこのテの冗談が好きでは無かった。
我ながら心が狭いなと思う。他人の冗談を楽しむにはわたしの心は狭く風通しも悪かった。
「マスター。軽いセクハラですよ」
紗奈は大人な感じでいなしている。こんな振る舞いがわたしにも出来たら良いなと思った時だった。
わたしのスマホが小さく震える。
目をスマホの画面に落とすと小さな文字が羅列されている。
「19時でオッケーです。楽しみ」
わたしの心が少しざわつく。自分で選んでる道だから仕方ないんだけど。選択の連続の中で選択を間違わないなんてそんなの無理。
それでどうしようもない結果が自分の目の前に転がって来て拾うのも拒否して足蹴に出来ない自分にも嫌気がさす。
誰かのせいでとか誰かのためにとかならずっと楽だだったんだろうか。
「マスターもバベル受けたんですよね?痛かったりはないんですか?」
紗奈の質問にマスターがそうだよ。と答えた。
「かなり昔の話だけどね。受けたよ。今とは大分違う感じだったけどね」
そう話す蔵木さんの目はどことなく寂しそうな感じがした。
「マスターの時バベられた人っていたの?」
由奈が遠慮なくズケズケと土足で踏み込んでいった。
あははと少し苦笑いに近いハニカミを見せながら蔵木さんは口を開いた。
「そうだね。いたね」
「どんな感じでした?痛そうとかありました??」「今と昔のBABELは全然違ったんだよね。昔は得体の知れない装置って感じでさ。何がバベられる境かなんてのは分からなかったんだよ」
蔵木さんは少し間を空けて話し始めた。
「ボクには友達がいてさ。それも親友って呼んで良い類の友達がね」
それでねと蔵木さんは続けた。
「そいつ自分の恋人殺してたんだよ」
あまりに店の雰囲気にも蔵木さんの雰囲気にも気軽に聞いたわたし達の雰囲気にも。どれにもそぐわない異質過ぎる答えだった。
「あっ。ごめんね。いきなり。重すぎる話してさ」
「そのお友達ってバベられたんだよね?」
由奈がまた土足で失礼します。
「由奈。そういう聞き方は」
紗奈がそう言いかけたトコで
「良いんだよ。実質そのとおりだし。お嬢ちゃんの言う通り見事にバベられたね」
そう言うとカウンターの奥の棚に置かれた写真立てをチラっと見てあいつなんだよと言った。
写真には若い時の蔵木さんであろう活発な雰囲気の男の子とクールとも冷たいともとれる端正な顔立ちの男の子が肩を組んで写真に収まっている。
蔵木さんが一方的に肩を組みもう一人はややはにかんだ感じで笑顔を浮かべている。 
「えっ。めっちゃカッコイイじゃん」
由奈の口からこぼれる。
「どっちが?」
蔵木さんがイタズラっぽく聞く。
「右の人」
それは冷たい感じがする男の子の方だった。
「あー!また弓削かー。これで1勝96敗くらいだよ」
でも1勝はしているみたい。
弓削と呼ばれた男の子は確かにカッコイイけれど浮世離れというか。そこにいるけどいない様な雰囲気が写真からもする。どちらかと言えばわたしは蔵木さんの方が良かった。
「でも男前だったし良い奴だったんだ。学校の帰りによくラーメンなんて食べに行ったりしてさ。ホントによく一緒にいたんだ」
蔵木さんの表情がワントーン暗くなった気がした。
「それでもボクは気付かなかった。止められなかった。それであいつはバベられてもういない。親友を失うって映画とか漫画じゃよくあるけどさ。実際になると結構キツイもんだよ」
きっと本当に大切に思っていたんだろう。蔵木さんの言葉の端々の全てからそれは感じられる。
わたしはこの2人をそこまで大切に思っているのか。そんな不安が一瞬だけ頭の片隅に居座った。
「まぁBABEL診断はもう当たり前になってますし。最近じゃほとんど引っかかる事もないですしね」
紗奈がわたしの不安を掻き出す様に話した。
「そうだね。でも単純に近くの友達の変化とか気付いたりしてあげて欲しいなとは思うよ。後悔は先に出来るモンじゃないからね」
後悔は先に出来ない。今のわたしにはいくらか耳の痛い言葉だった。ふと目に入った時計を見ると18時47分を指している。
わたしは心が少しざわつくのを感じながら
「あっ。ごめんなさい。この後バイトで」
と言葉を紡ぐ。
「ホントだーこんな時間じゃーん。喜奈気をつけてー」
「気をつけてね喜奈。また明日ね」
2人の友達に声をかけられてわたしは軽い学生鞄を手に取る。
蔵木さんが口を開いた。
「ありがとうね。喜奈ちゃん?だっけ。無理はしないんだよ」
何気なくかけられた声にひどく動揺してしまう。わたしが無理している様に見えたのだろうか。何故そう声をかけてくれたのか。分からないし知らない。
ただわたしはバイトと偽って待ち合わせの場所に歩いている。







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