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もう、片付けられない人で人生を終わりたくないと思った私がたどり着いた片付けメソッド 〜片付けスキルと物量の法則〜


思えば子供の頃から自分の部屋は、大体散らかっていた。それでも母から「床に物は置かない!」と口酸っぱく言われていたので、渋々脱いだ服は床に置かずベッドの上に置いていた。だからいつも寝る時にはモグラのように服を掘り下げて布団に潜り込んでいた。
片付ける意味が今ひとつ分からなかった。
片付けても片付けても、すぐに散らかる。
これって何の意味があるんだろう?
キレイな部屋がいいに決まってるけれど。
私にとって片付けは、とてつもなく終わりのない、何も生まない行為に思えた。
しばらく私が片付けないでいると、辛抱できなくなった母が「もう!」と言いながら部屋を片付けてくれた。すると私は母の性格と傾向を元に、多分ここ!と引き出しを開けると大抵そこに欲しいものが見つかる。お陰で私は、探し物の達人となった。だから自分で片付けなくても困らない。
「そのうち大人になったらできるようになるわよ。」と根拠のない希望を抱いていた母には申し訳ないけれど、大人になったからといってできない片付けができるようになる訳ではない。片付けられない大人が出来上がる。
結婚前に、夫に私が片付けが苦手だと涙ながらに告白した。すると「僕は片付けが得意だから、得意な方がやればいいじゃないか!」と、なんとも男前な返事をもらえた。
仕事大好き片付け苦手女子にとっては、これぞ神様がくれたキラキラの免罪符。
嗚呼!ワタシ、だったら結婚できます!
夫にとっては一生の不覚に違いないけれど、この言葉は無期限有効とさせて頂きます。

そんな夫には「片付けとは平面を立体にする行為である」という持論がある。彼のクローゼットを開けると、そこはまるでキヨスク。おそろしいほどの物量がぴっっっっちーと収められている。
新居に引越しをした際に、元の部屋から持ち出された彼の荷物の多さに驚愕した。ダンボール箱を持ったお兄さんがウンザリ顔で何往復もして部屋に荷物が運び込まれる。
え?この部屋にどんだけ物が入ってたんだ??
部屋キレイだったよね??
その辺りから私は気づき始める。
どうやら私と彼では、扱える物量が違うようだ。

○第一の法則

「片付けスキルと物量の法則」

夫を見ていて私は気づいた。
「片付けスキルの高さと扱える物量は比例するんじゃない?」
名付けて「片付けスキルと物量の法則」
世の片付けスキル高すぎの民は、神業の如く沢山の物量を自在に収納し扱える。眩しい。眩しすぎる。それはもう神々の領域。
だけど私達片付け難民は、まずはそこを見誤っていた。神と難民が同じ物量を扱うのはそもそも無理なのだ。
でも、何も無いところにポン、ポンとおしゃれ気に置くことはできる。
そう、物さえ減らせばできるのだ。
おしゃれ気にさえ、できるのだ。
まずは、自分のスキルに合った物量まで徹底して減らすこと。そして初めて、難民は安住の地に辿り着ける。そこはきっと片付けられないコンプレックスから解き放たれた桃源郷。
さあ、彷徨える片付けの民よ、共に行かん。
安住の地へ!

○第二の法則

「一度捨てた物は二度と片付けなくていい」

ネット情報に捨てる時のコツとして、古のウルトラマンセブンという番組の歌の「セブーン、セブーン」から始まる歌を替え歌にして「ショブーン、ショブーン、ショブン!ショブン!ショブン!」と家族で円陣を組んで歌うというのがあった。こんな歌、知ってる人は今や限られた年齢だけれど今時の歌で代わりが思いつかない。
エイヤ!と捨てる為にはまず捨てる脳に切り替える必要があるので、私も1人で気合いを入れて歌う。
そしてBGMはアップテンポでノリノリに。まったりしたスローテンポは、どうも脳がまったりしてしまう。以前なぜか童謡がかかって、はかどらずに逆にイライラしてしまった。集中力アップにはイヤホンを付けると、より没頭しやすい。
更に着るものには脳を切り替える力がある。お気に入りのエプロンなどつけてやる気を見せる。
誰に?そう、私自身に。苦手な事を取り組む時には、楽し気な雰囲気は大事だと思う。
ゴミ袋片手に捨て始めると第二の法則に、私はふと気がついた。
「一度捨てた物は、もう二度と片付けなくて、いいんじゃない???」
嗚呼、そこはガンダーラ。そこに行けばもう二度と片付けなくていい夢の国。片付けたくない私にとって、捨てるという行為は二度と片付けなくてもいい事だという気づきは、捨てるエンジンを加速した。
迷ったら捨てる!
だって!これでもう同じ物を何度も何度も片付けなくていいんだよ?捨てるってサイコーじゃん!
もしヘレン・ケラー先生なら「ウォーター!」って叫んでしまうところだ。ついに私は、捨てる意味とメリットというエクスカリバーを手に入れたのだ。
こうして私は、捨てるハイにたどり着いた。

○第三の法則

「引き出しを制す者はリバウンドを制す」

捨てるハイ。ゾーンに入ったと言っても過言ではない。とにかくまずは、目に付いた分かりやすく捨てられる物をゴミ袋に捨てまくる。イケる。イケるぞ。けれど案外目の前の物は捨てづらい物が多いなと、はたと気づく。
表に出ているものは今、必要で使っている物で引き出しや棚に入っているものはあんまり使ってない物。あれ?これを引き出しに入れるには、まず引き出しを片付けないといけない。
そうか、そこに無理やりねじ込んでいたから片付かなかったんだ。リバウンドの原因はこれか!ハハハハハ!
リビングから取り組んだのでリビングの引き出しから手をつける。本当に大したものが入っていない。文房具、なんかよく分からないケーブル、薬、などなど。
文房具は使えない物は即捨てて、文房具だけを袋にまとめる。よく分からないケーブルはとりあえず袋に入れておく。まだまだ出てくるはず。薬は消費期限の切れたものは処分し袋にまとめる。とにかく使えそうに無い物や、期限の切れたものは速攻捨てる。うーん、と迷った時には捨てる神が脳内でささやく。
「捨てたら、二度と、片付けなくて、いいんだよ!」
そうして空にした引き出しに表に散らかってた物を、ここにあったら便利!と思う場所にしまっていく。
さあ、ここで問題!必要な物がしまいきれなかった場合にどうするか?

①収納を増やす
②今ある収納に合わせて物を減らす

①はありすぎると部屋が棚だらけになる。家具好きの母はとにかく棚を買う。スキル神レベルだとそれはそれで片付くけれど、難民には物が増えて手に負えない要因になる。物が増えたら片付けないといけなくなる。片付けたくない。とにかく片付けたくないのだ。
私は②を選ぶ。
空間が欲しい。
空間にこそお金を払いたい。
35年もローンを払って手に入れるのは快適な空間か、倉庫か、はたまたでかいゴミ箱か。
マンションの購入金額を部屋数で割って、一部屋あたりの金額を出してみる。ゴミ箱には高すぎる。
長年難民だった私ごときがおこがましいが、こうなればゴミ箱から一気にジャンプアップして下剋上!快適空間を手に入れたい。
それこそが、私の目指すガンダーラ。
今ある収納に合わせた物量まで減らす方向で、心を決める。

○第四の法則

「いつかは来ない。何かの時も来ない。絶対来ない事にする。」

リビングで手応えを感じた私は、とにかく大きな物から片付けろ、と母に言われていたのを思い出しクローゼットを開いて中身を出す。片付けのゼウス、こんまりさんはまずは服って言ってたな。私はときめくかどうか?で脱落したんだっけ。
でも今回は違う。
私自身の法則を手にした上に、今や捨てる事に何の迷いも罪悪感も感じなくなった捨てる界のシリアルキラーと化した私は「片付けないなら捨てればいいのよ!オホホホ」とアントワネットばりの高笑いと共に、クローゼットの中身を全部出す。

まず今着てる物、今から確実に着るものをクローゼットにしまう。
これだけでも結構一杯になる。
残された服の山から、汚れた服、痛んだ服は迷わず処分。この辺はシリアルキラーに迷いはない。
問題は状態はいいけど、着てないなーの服。
まずはその内、捨てると心が痛んでしまうほどコレクションとして置いときたいもの。かのファッション の女神、萬田久子さまも気に入ってる服は無理して捨てなくていい、って言ってたな。そうよ、あの萬田さまが言ってるんだもん!大丈夫。これは大切に保管する事にした。
そして私には幸いにも服をあげて喜んでくれる仲の良い友人が二人いる。これは彼女に似合いそうだな、サイズも状態もいいな、流行りも大丈夫という物だけ友達用セレクトの紙袋にステイ。
それでも決めきれない残りは、紙袋に入れてクローゼットの片隅でしばらく寝かせて判断することにする。

いつか着るかも?との戦いが、そこにはある。
でも、いつかっていつよ?
でもほら、何かの時にあれがあったら!と思うかもしれないよね?
でもさ、結局いつも「着て行く服がない」→買わなきゃとなってるよね?結局買うよね?
シーズン毎に新しい服が出て、流行も体型も変わっていく。服にはパワーがあって、賞味期限もある。でも確かに本当に良い物は、そのパワーが長持ちする気がする。特別な思いのある服にもある。こういう服こそタンスの肥やしは女の肥やし。心の栄養分になる。
それに服は大好きだ。時々新しい物も買いたい。
だから捨てる時には「いつかも、何かの時にも、この服が必要な事は絶対来ない」と思う事にした。
もしいつか今より痩せたら、その時には新しい似合う服をご褒美に買って着よう。過去に似合った服は残念ながら、その時以上にはきっと似合わない。過去の自分と比べてがっかりする位なら、いっそもっと似合う人に着てもらうほうが服も活きる。
その服が似合った過去最高の私を記憶に残して、今の私に似合う服だけをクローゼットに並べる事にした。

○そして安住の地へ

片付けの法則を手にした私は、とうとう安住の地を見つけた。台所だろうが冷蔵庫だろうが郵便物だろうが、同じ法則で乗り切れる。捨てる基準を自分で作って、バッサバッサと捨てまくる。
あれ?なんか散らかってきたな?と思うとまずクローゼットの服や棚の中を減らす。それで解決できるようになった。
それでも生粋の片付けスキル高すぎの民の前では、まだまだヒヨッコらしい。でも、もう片付けが出来ない人ではない。長年のコンプレックスからはフーッと解き放たれた気がする。
片付けスキル神レベルの人が書く、こうすればお部屋は誰でもキレイになる系のネット記事のコメント欄は大抵、片付け難民の落胆や怒号で溢れてる。
「これが出来ないから片付けられないのよ!」「もっと手前の事が知りたかったのにガッカリ」
いや、神には到底理解出来ないと思う。
そもそもネットに記事を依頼される人はほぼ片付けスキル神レベル。難民がなぜ、どこを彷徨い続けてるのかなんて理解不能。まさかこんな初歩的な、スタートにも立ってない地点でウロウロしているなんて思いもしないのだろう。
私には母と夫という、似てるようで違うタイプの片付けスキル神が二人いた事が良かった。そして、なぜ母の言う片付けが腑に落ちていなかったのかも少し理解出来た。片付けられないながらに持っている理想のお部屋像は、母が好きな棚に寸分の隙もなくピッチリ物が一杯の部屋ではなく、快適な空間だった。母の言う通りにすると、棚と家具で一杯になるんじゃないかという恐怖心がどこかにあったようだ。母はそんな事ないわよ!と憤慨するが、自分で片付けられるようになってから初めて母の言ってた事が理解できるようになった。

片付けられないというコンプレックスは苦しい。ずーっと自分に張り付いていて、時々ふっと顔を出す。助けを求めて買った片付け本が部屋に山盛りになり、それが散らかる。
結婚してからは、家族にも影響する。
私の寛大な夫も、ずーっと何も言わなかったけれど部屋が片付いてから家にいる時間が長くなった。外に飲みに行く頻度が激減した。肝臓の数値も良くなった。
洗剤やガス缶のストックも、片付け始めた時に膨大な量が発掘されて驚いた。最初の一年は買わずに過ごせた。それらを笑って一緒に過ごしてくれている夫には、感謝しかない。
今は、実家に帰ると私が家を片付けて帰る。両親がまだ存命中に片付けできるようになって良かったなと思う。
片付けスキル神レベルには到底まだまだ及ばないけれど、負い目を感じずにいられるようになって楽になった。

どうやら私は、片付けられない人のまま人生を終えずに済みそうだ。
end

私の初めてのnote、最後までお読み頂きありがとうございます!

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