仲間を作りに行っているのになぜ?
私はたまに人付き合いの幅を広げるために、よく知らない人の輪の中に混じることがあります。例えば、同業者同士の勉強会後の懇親会に出てみたり、異業種の交流会に出てみたり。
ですが、その度にだいたい孤独な思いをして帰ることがほとんどです。
そのときに前から思っていることとして、そこに来る人たちは、多かれ少なかれ仲間を作るために懇親会やら交流会に出ていると思うのですが、彼らの行動として最も多いのが、「親しい人、既知の人を見つけて楽しく談笑する」というパターン、また「(彼らにとって)偉い人にご機嫌伺いの挨拶に行く」パターンも良くあります。
それでは、新しい出会いを得られないのではないか、と思ってしまうのですが、そうなってしまうのにはいくつか要因がある気がします。
まず一つ目の大きなカテゴリーとしては、仲間作りはしたいとは思っているけれども、私とは別に関わることにメリットを見いださないパターン(パターン①)が考えられます。
そのなかでも二つに分類され、一つ目が私が相当怪しい人に見え、お近づきになりたくないと思われているパターン(パターン①-a)。
私は別に見目麗しい部類ではないですが、特別風変わりな外見というわけでもなく、男女のマッチングでもあるまいし、仮にそう思われたとしたらもうそこで積んでいるのでこちらとしてはどうしようもないと思うので深掘りしません。
もう一つ目が、私のような無名な若手と付き合っても何のメリットもないから、というパターンがあると思います(パターン①-b)。
こういう考えをしても別に何の悪いこともないですが、ただ一つ思うことは「とても近視眼的だな」ということです。
今無名だからと言って、将来に渡ってずっと無名とは限りませんし、どこかで化ける可能性もあります。(自分自身への期待を込めて!)
また、私自身が花開かなくても、近しい知り合いが何かを成し遂げる可能性もありますし、既に私が誰か凄い著名な人とコネクションがある可能性もあります。
さらに、仮に私が将来に渡ってそういうことと無縁だったとしても、人それぞれ違う考え方をしているので、誰と話しても、何かしら得るものはあると思うのです。
これらの可能性に気づかない、もしくは少し考えても過小評価する時点で、かなり視野が狭いなと思ってしまいます。(やさぐれていてすみません。)
もう一つ大きなカテゴリーとしては、「そもそも新しい出会いを求めているわけではない」というパターンがあると思います(パターン②)。
私は勝手に「新しい仲間を作るぞ」的な感じで燃えちゃってましたが、参加者の中には、「知り合いが出るから付き合いで仕方なく」とか「旧交を温めるために」とかの理由で参加している人も確かにいそうです。
また、もう一つのカテゴリーとして、「仲間作りをしたいとは思っているけど、結局うまく行かない」パターンもありそうです(パターン③)。
その事情としては「人見知りで知らない人に話しかけられない。結局同じ人を見つけて安心して終わってしまう」というものが多そうです。
パターン③は私は痛いほど分かります。というか私がまさにこのパターンです。
パターン①②はそもそも需要がないから諦めるとして、私が滑り込める余地のあるものはパターン③のみ。
でも、誰がパターン③なのか見分けが付かないこともあるので、「ひとまず話しかける→反応が悪かったら引く」を繰り返すしかないのかなあとは思います。