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親を介護施設に入れるのはかわいそうなのか? 自分の気持ちだけ見つめてみると。

「お母さん一人で頑張ってきたんだから」

何度も何度も耳にしたこのセリフ。
その言葉がいつも側にあり、在宅介護を選択してきた。

父と母は私が3歳の時に離婚した。
自宅で学習塾をやっていた母は、
塾を続けながら、生命保険の営業レディになった。

母は頭がよかった。
さっぱりした性格で、信頼も厚かった。

当時、フルタイムで働く母親は珍しく、
いわゆるバリキャリだったと思う。

そんな母が難病になり、歩けなくなり、認知が進み、
やっとのことで独り暮らしをしていたが、
もう限界、施設への入居が決まった。

施設入居を反対していた親戚に伝えると、
「もう無理だよね、早い方がいい」
みんな覚悟が決まるほど、母は限界を迎えている

毎日転ぶ母、激しく転んで壊れていく家、
一日でも早く入居しないと。
施設と交渉を重ね、最短の入居日を決めた。

すると、叔母や母の親しい友人が母を訪ねては
泣いて抱き合っている。

「もうしょうがないよ、子供たちも大変だからさ」

ものすごい罪悪感が私を襲う。
施設に入れると決めた私はひどい娘なんだろうか?

私だって寂しい。
ふらっと帰れる実家がなくなることも
あの家で悠々と構えてくれていた母がそこにいないことも
本当は泣きたいくらい悲しい。

でも、私が泣きながら

「施設に入ることにしよう」

そう言ったら、母はもっと辛いんじゃないか?
悲しい選択をしていると思うんじゃないか?


そう思ったら、できるだけカラッと

「施設に入った方が安心だよね。お母さんは最初からそういってたもんね。
いい施設を探したよ、大丈夫だよ」

そう言って、送り出してあげたかった。

それでもオイオイと泣く老人たちをみて
きっと彼女達には私と違う整理しきれない感情があるんだと、言い聞かせる。

「しょうがないよ」
そう言ってくれるのはありがたいが、
しょうがない選択なのだろうか?

母は若い頃から、
「最後は施設に入る、そのために稼いできた。子供には迷惑をかけたくない」
そう言ってきた。

もちろんいろんな強がりはあるだろうけど
私も自分の子ども達に、同じように思うだろう。


親にしてあげたいことを
全部できるわけじゃない。

全部してあげることで、
自分の生活が壊れたら
母の病気や、母自身の最後が
もっと嫌な思い出に変わってしまう。



「お母さん、一人で頑張ってきたんだから」

その言葉が私は嫌いだ。

私たちは皆んなで頑張ってきた。
母と、姉と、私。
いつも三人で踏ん張ってきた

姉は小学生から毎晩夕飯を作っていたし
お風呂や洗濯、家の清潔は私が守ってきた。

宿題や持ち物、行事に至る全てを
母が把握することは一度もなかった。

工作の材料も
林間学校の準備も
プール開きの体温表も
なにもかも。


母が全力で働けたのは
専業主婦と子ども業を両立していた
私たちがいたからだ。

だから私たち家族は
最後までそれぞれが頑張れば良い。

母も一人で施設でがんばれ。
姉も私も自分の家族のために
一家の中心として働いている。

悲しさや寂しさは
母の周りのだれかのもの

私がその悲しさを感じて
一緒に悲しんだり憐れんだりしなくていい。

それは、だれかのものなんだ。

私は笑顔で見送ろうと思う。
母の入居まであと4日。


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