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「延命治療はしない」の希望を叶えるとき、家族が向き合う現実とは?
「お母様ですが、血圧も酸素下がってしまって、救急搬送してもよいですか?本人も苦しいから病院に行きたいと言っています。」
救急搬送の結果、誤嚥性肺炎だった。神経難病である進行性核上性麻痺を持つ母は、近頃の見込みが難しくゼリーのような食事しか取れない。それでもうまく飲み込めず、誤嚥性肺炎となった。
肺炎自体はすぐに治り、施設(現在は特別養護老人ホーム)に戻るにあたり、今後の方針を話し合うことになった。
※以下は私個人が医師から説明され、自身の理解に基づいて意見を記載するため、責任は負えません。人により症状や病状には差がありますので、自分自身や大切な人、その医師としっかり話し合って決定してください。
口から食べられなくなったらどうなるのか?
人間が生きるためには栄養が必要だ。口から食べると飲み込めず、誤嚥性肺炎を繰り返す。それでも口から食べ続け、誤嚥性肺炎と共に生きるという道もある。
ただ、その度に入院するかしないかの判断が必要だ。あれだけ延命したくないと言っていた母も病院に行きたいという程苦しいようだ。
その都度、判断を仰がれ、なかなか辛い。
医師と面談の中で以下の選択肢が提示された。
経鼻栄養:鼻から胃まで管を入れて置き、食事のタイミングで液体タイプの高カロリーな栄養を入れる。鼻と喉に違和感があり、結構辛い。
胃ろう:胃に直接管を入れるためのベグ(ボタンのようなもの)を造設し、そこに毎食液体タイプの高カロリーな栄養を入れる。手術が必要。
中心静脈栄養:首の近くの太い血管から高濃度の栄養剤の点滴を入れる。高濃度のため、一般的な点滴(腕や手背)から入れる末梢点滴から入れると血管炎になるため、入れられない。
末梢点滴:いわゆる普通の点滴。栄養素はそこまで高くなく、主に水分を補う。
母の場合1-3は延命にあたるため、本人が拒否している。4はできなくはないが、体の端っこからどんなに水を入れても、浮腫が進むだけかなぁと、どれもしない選択をした。
https://note.com/yokko_home/n/n709e80309118%0A
今私の手の中に、母の命の期限を決めるボールがある。尊厳死宣言書なんて無視して、何かできることをしてあげた方が、優しいのでは?とよぎる。
強い気持ちで、「経管栄養も、中心静脈栄養もしません。末梢もしなくてよいです。」そう答えた。
「何もしないということですね。お若いですが本当にいいんですか?」
心が揺らぐ。
何が正しいのか、死に方を決めるなんてやったことないもん。わかんないよ。
何もしないという選択をするということは、言葉を選ばずに言うと、餓死するのを選択するようなものだ。食べられなくて、飲めなくて死ぬ。こんな死に方でいいのだろうか?
「いいです。」
そう言ってサインして施設に戻れることになった。
退院までは点滴をするそうだ。
よくわからないけど、母の気持ちを汲んであげるしかない。本人が意思を示してくれているから言えたYes。そうでなければ、家族として選ぶのはもっともっと覚悟がいる。
これでいいのだろうか。
本当にいいのだろうか。