相模の獅子(さがみのしし)の涙 その1(全3回)



「私ほど臆病者はない。」と相模(さがみ)の獅子と言われた北条氏康(ほうじょううじやす)の言葉さ。「一生のご勝利36度、ついに一度も総角(あげまき)を見せ給わず。」だって。総角(あげまき)とはね、昔の子供たちの髪型のことなんだ。頭の後ろにふさふさと結わえた黒髪があったんだね。氏康の鎧(よろい)の後ろ側には、そんな総角(あげまき)みたいのがついていたんだね。総角(あげまき)を見せずとはね、敵に背中を見せて逃げたことがないってことなんだ。なので、神奈川県の相模にいた武将だから、相模の獅子と言われていたんだ。

ポンと昔。戦国時代。氏康(うじやす)のおじいさんは北条早雲(ほうじょうそううん)、氏綱(うじつな)がお父さんさ。北条氏の三代武将たちは、作戦も上手で大きく領土を拡げていった親子三代の有名な武将家族さ。

永正(えいしょう)12年、1515年生まれの氏康(うじやす)。織田信長や豊臣秀吉たちより20歳くらいも年上さ。初陣(ういじん)は16歳の時。初陣とはね、初めての戦いのことさ。扇谷(おおぎがやつ)上杉家の上杉朝興(うえすぎともおき)を相手に大勝利。弓矢の腕は抜群だったんだって。一生に上げた勝利は36回、一度も敵に背中を見せることはなかったんだ。正面から戦いを挑んでいったよ。刀傷(かたなきず)は7つ。顔にも2つの刀傷があったって。だからね、顔に受けた傷を「氏康傷」なんて呼んでいたんだって。

そんな氏康もね、12歳の時、初めて聞いた火縄銃の大きな音に驚いて怖がってしまったんだ。そうさ、初めて聞いた鉄砲の音さ。そりゃあ怖いよね。その氏康を見て、まわりの者たちが笑って馬鹿にしたんだよ。

今日はここまで。
バカにされた北条氏康は、思いもない行動に出るよ。続きは明日のお楽しみ。読んでくれて、ありがとう。

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