聖徳太子(しょうとくたいし)ゲームって知ってる? その3(全3回)


厩戸皇子(うまやどのおうじ)は2歳でもう仏教のありがたさを知っていたのですね。また、7歳になると、朝鮮半島にあった百済(くだら)という国から献上された経典(きょうてん)の数百巻も読んでしまったとのことです。大人の学者さえそんなことの出来る人はありませんでしたのに。
経典とは、仏教のことなどを書いた難しい本のことです。びっくりですよね。また、これはとても有名なお話しで、厩戸皇子は一度に10人の人が別々のことを相談してもそれを聞き分けて10人に答えることができたといいます。それはとても耳が良くて、頭が良いということなのです。このお話は大変に有名なんですよ。そしてまた、厩戸皇子は未来のことをあてることもできたといいます。

聖徳太子が大きくなりますと、お父様の用明(ようめい)天皇がお亡くなりになって、推古(すいこ)天皇の時代となっていきました。推古天皇とは、日本で初めて女性の天皇になった人です。聖徳太子のお父さまの用明天皇のお姉さんだったのです。聖徳太子は摂政(せっしょう)となりました。摂政とは、天皇のお仕事を手助けする人のことです。聖徳太子は推古天皇とその時身分の高かった蘇我馬子(そがのうまこ)と3人で良い日本を作るために、いろんなことをしていったのです。推古天皇は用明天皇のお姉さんですから、おばさんにあたります。蘇我馬子はお母さまのお兄さんですから、おじさんになりますね。聖徳太子は親戚のおばさんとおじさんとお仕事をしていったんですね。法律を作ったり、大坂の難波(なにわ)に四天王寺(してんのうじ)を建てたり、奈良の斑鳩(いかるが)に法隆寺(ほうりゅうじ)を建てたり、また難しい仏教の本を書いたり、隋(ずい)の国、今の中国へ人を留学させて、良い文化を日本に広めたり、といろんなお仕事をしていったのです。

聖徳太子っていろんなことをした人なんだね。聖徳太子は一度に10人の話しを聞くことが出来たというね。君は一度に何人のお話を聞き分けることができるかなぁ。一度に違う歌を歌ってもらって、何人までの曲を当てることができるなかぁ。これ聖徳太子ゲームっていうんだよ。大人だって難しいよ。さぁ、聖徳太子ゲームっていって、皆と遊んでみてね。

お休み、ポン。

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