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遺伝する衝動

私は書くことが好きだ。
飽きっぽい性格なのに、文章を綴ることだけは何故だか続いている。
日々何かを書かなければなんだか落ち着かないほどだ。
ゆくゆくはそれだけで食べていきたい、なんて思ったりもする。

また、「書きたい」という衝動に取り憑かれて書くこともある。
刻一刻と生まれては消えてゆく言葉を少しでも書き残さなければ、というある種の使命感に駆られる。

そうした傾向は最近になってより顕著になったものだが、思えば片鱗はずっと前から示されていたような気がする。

学生時代、私は度のクラスにも一人はいる、「国語がよくできる子」だった。
「勉強のコツを教えて」なんて言われたりもしたが、教えられることなんて何もなかった。

たいして勉強もしないし、かといってたくさんの本を読むわけでもない。
国語はよく出来たけれど、教科自体が好きかどうかは別の話だったので、安易に「好きになったらいいよ」とも言えなかった。

でも、文章を綴ることに対しての思いは人一倍強かった。

文章を誰かに見せるような機会があれば目の色を変え、ただひたすら書いた。
時間を忘れて先生に怒られるほどだった。

無意識レベルで刷り込まれた文章への執着。
私はどうして、こんなにも書くことにこだわるのだろう。

ひとつだけ、思い当たる節があった。
そうだ、これは遺伝かもしれない。
親の、その親の、もしかしたらずっと前の誰かの、遺伝。
私は緩やかに流れる川の一部に過ぎなかったのかも、なんて。

私の母は小説を書いていた。
私の物心がついた時には既に、赤い線がたくさん入ったA4の紙束がクローゼットの中にあった。
内容はいまだに知らないし、この先も知ることはないのだろうけど。

ただ、小説を書いているということだけは知っていた。
そしてそれは、ごく自然な母の所作の一部だった。
分厚い原稿をクローゼットから取り出し、定期的にどこかへ持って行くのは、世の母が皆そうしていると思いこんでいたほどだ。

いま、私が小説を書いていると知ったら母はどう思うだろうか。
私と同じように「遺伝だ」と思うのだろうか。
そんなことを、最近ずっと考えていた。

そして、先週のこと。

一通の封筒が届いた。母からだった。
中には短い手紙と、新聞のスクラップのようなものが入っていた。

ついつい、古い記事と思しきものから開いてしまった。
息をのんだ。
幼い頃に他界した母方の祖父が、その頃のままの姿でそこにいた。
筆者として載っている名も、祖父のものだ。

仕事中大きな事故に遭い、祖父は全身麻痺の身となった。
今までできていたことが、何一つできなくなった。
そこまでは祖父本人や、祖母や、母親から聞いていた。

その記事は、その先の私が知らなかった部分を祖父の言葉で伝えていた。

身体がほとんど動かなくなってしまった祖父だったが、それでも文章を書き続けようともがき続けた。
キーボードを打つために自作の道具をこしらえ、1年の練習の末ようやく短い文章を書くことができるようになった。
目の前の記事もそうして書かれたものだった。

祖父は当時、そう長くない余命宣告を受けていたはずだ。
それでも、書くために相当な時間と労力を割いた。

きっと最後の砦だったのだろうと思う。

そして記事は「同じような境遇になった人の役に立てるように願っている」という旨の文章で締めくくられていた。

なぜ母は今、この記事を私に送ってきたのだろうか。
手紙になにか書いてあるかも知れないと期待したけれど、祖父の「最後に書いた文章を送ります」とだけ書いてあった。

祖父が書いた文章だから送ってきたのだろうか。
それとも、最後に書かれた文章だからだろうか。
…はたまた両方か。

きっと母は私が文章を書いていることは知らないはずだ。
でも、母もどこかで私と母と、そして祖父が同じような遺伝子を持っていると思っているのかもしれない。

これがある種の遺伝だったとして。
だからといって母や祖父の伝えたかったことを私が書けるとは思えない。
ただ事実として受け止めることしかできない。

でも、少しだけ嬉しくなった。
私は私なりの文章を書いていく。
その過程で、私の文章が誰かの心を動かすことができたら。

そんな思いこそが受け継いだ宝物だったりして。

こうして私は、今日も文章を書いている。

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