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「早く書いてよ。」がもたらしたこと
外に出ると異常に汗をかく。特に、歩いてる時よりも、止まって涼しいはずと思っているときに、マスクや服の内側にダラダラと汗が流れてるのに気付く。あれ?こんなに暑かったっけ。ついこの前まで、雨で寒かったと思ったら、あっという間にこういう悩みに変わる。インドネシアに4年半住んでいた身としては、これも日本の四季だなぁと実感するし、儚くて美しい。
そのインドネシアで出会った日本人夫に、前回の記事を読んでもらったら、「で、記事を探したけどなかった。早く書いてよ。」と言われた。私的には、前回の記事も立派な記事なのだが、彼からしたら記事には思えなかったらしい。なぜか?それは「これから書いていこうと思う。」と書いたからだ。たぶん。
不思議なもので、普段の生活の中で、夫から「よかよかがどういうこと考えているか早く教えてよ。」とは中々言われない。大抵は、私がとうとうと喋ってることをうんうんとかふ〜んとか、優しさで相槌を打ってくれる感じである。
その優しさにいつもは満足なのだが、こうして「早く書いてよ。」と言われたことにより、ここで書くことはしっかり読んでもらえるんだ、という期待に変わった。もしくは、日々家にいる私からしたら、世間と通じ得る「希望」という言葉で表せられるかもしれない。
聞いてもらうことのセルフケア
発信する、という言葉は現代社会においてよく聞かれるようになった。見てるだけじゃなくて発信しなきゃ、とか、今年の目標は発信することです!なんて、私も言ったことある。
でも、中々発信しないうちは、まだ聞いてもらわなくてもなんとかなっている状況だったのかもしれない。いわゆるリア充というやつだ。
人は大人になるにつれ、人生が複雑になる。20歳くらいの時は、初対面でも数行もあれば説明がつく経緯が、30歳を超えると、いちいち全部説明するのも面倒くさくなってきてしまう。
自分で説明するのが面倒くさいなら、周りの人も聞くのが面倒くさいのではないか。私は説明下手だしな〜。なんて思って、中々人に話せなくなるのだが、noteを書き始めて早速気付いたことがある。それは、書くこと、聞いてもらうことがセルフケアになるということだ。
noteでは自分1人で、考えながら書く。何回か読み返して、文章チェックをしたり書き直したりする。そういった経緯が、単に向かい合って人と話すことと違うこと。つまり、人に伝えるための努力をじっくりすることができる。
また、1人で紙の日記に書いてるだけでは、この行為には辿りつかない。なぜなら、「早く書いてよ。」という読んでくれる確約があることで、人に伝えるための努力を安心してできることになる。自分自身の気持ちを的確に言語化することができたら、最終的に自分自身にも届く。
2021年に、内閣官房に孤独・孤立対策担当室が設置されたらしい。2018年にもイギリスに孤独担当大臣が新設された。人に聞いてもらうということは、孤独問題に大きく関わってくる話と思うのだが、ここでは気軽な話として置いておく。
夫よ、率直な感想をありがとう。
これからも是非読んでね。