満開。
数日ぶりに見た北大のイチョウ並木は満開だった。
先日の低気圧通過に伴い朝晩の冷え込みが加速し、一気に北大構内の木々を色づかせたようだ。
多くの観光客のみならず、この時ばかりは北大の自然に慣れ切っているはずの北大生もスマホでの撮影を楽しんでいる。
「満開」という言葉は普通は花にしか使わないのだろうか。
紅葉の場合は「真っ盛り」などという表現がふさわしいのだろうが、満開という言葉がふっと思い起こされたので素直に使ってみる。
梶井基次郎を特に愛読する訳ではないのだが、僕は満開の桜というものを毎年イマイチ楽しめない。田舎の出で花見の人込みが苦手だから、という訳ではない。異論反論はいくらでもあろうが、いかに満開だろうと桜の木の一本一本は特に見事だと感じられないのだ。
しかし日本人にとって桜というものは昔から特別な存在であり、どういうわけかとにかくたくさん密集させて植えたがる。満開ともなると多くの人が狂喜する。そのテンションに僕はついていけないのだ。
今年の五月には僕も級友らと花見をした(北海道はゴールデンウイークあたりが花見の時期)。学校の芝生のゾーンにレジャーシートを敷き、なぜか一本だけポツンと立っている桜に逆にわびさびを感じながら(なんの逆だ)、酒を呑んだのだ。まあ、呑めればいいのだ。
桜と異なり、満開のイチョウは一本一本が本当に美しい。
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