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旅の話。 (後編)


「旅の話。 (前編)」から一週間も経ってしまった。

前回は旅の概要と僕の体重が減った話に終始したので、「忘れられない旅がある。」などという重々しい書き出しにそぐわない内容だった気がする。別にいいのだが。


待ち型のヒッチハイクというのは、車を運転しながら旅人のそばを通り過ぎる一瞬においてその人に興味を持った人のみが車を停めて声をかけるわけだから、面白い出会いが多い。僕は基本的に嫌な思いをしたことが無い。

もちろん、ある程度の良識をもって必要以上の好意を断ることで無用のトラブルを避ける(これも良し悪しだが)ことが前提。人は期待する生き物だから、「自分はこれだけのことをしているのだから」と勘違いする人がいても当然。

当然、待っている間は衆目に曝される訳で中には好意的でない人もいる。法を犯していないのに通報されることもあった。

ヒッチハイク中に通報されたのは広島で原爆ドームを見学し、本場の広島風お好み焼きを食べた後、出雲に住む友人に会うために北へ進路をとったある幹線道路沿いでのことだった。

コンビニの前でヒッチしている僕に原チャ?か何かに乗った老警官が近寄り、バイクを停め、「コンビニの店長から通報があった」と告げたのだった。

訊くと、「もしコンビニの前で事故でも起こされて責任を問われたら困るから」とのことだった。僕が立っていたのは敷地外の歩道であり、仮に事故が起きてもコンビニの店長が責任を問われるロジックが全く解らない。

まあ、体の良い「変なヤツ」いじめだ。

ただのビンボー旅をしている学生である旨を老警官に告げると、彼は「まあ君なら大丈夫(問題を起こさない)そうだから別にいいんだけどね、一応学生証見せてくれるかい?」と年季の入った対応をしてくれた。

トラブルはごめんだし、老警官の顔を立てる意味でもその場を離れる。

淡々と記述しているが、実は前夜宿泊していた場所を朝出発してからこの時点で3時間ほど経っており、その間移動とヒッチを繰り返していたのだ。盛夏の山陽は北海道での暮らしに慣れ切っていた僕には異国そのものの暑さだった。

そんなこんなで、ようやく僕がその日最初の車にありついたのは出発から4時間が経過していた時だった。

乗せてくれたのは、深い青色のシャツにピッタリした黒いパンツ、サングラスといういでたちのチョイ悪風オヤジで、車に詳しくないのではっきり覚えていないが、フォレスターやXトレイルのような四駆だった気がする。

「夕方に行くところあるんだけど、それまで暇だからドライブしてんの」

彼は自信のある喋り方をした。4時間かかった話を僕がすると、

「広島県人は山陰、山陽一帯の中で一番自分らが栄えてる都会っ子って意識があって、プライドが高いのさ~。俺は変わりモンだから、広島県人だけど広島の悪口言っちゃうけどね。ハハハ、、」

通報されたことを若干根に持っていた僕は彼と広島の悪口を色々喋った気がする。今となっては諸々含めて良い思い出で、広島も嫌いじゃないので。

彼は中卒で工場に勤め始め、所謂「エリートコース」とは言い難いのだが、そこは変わりモンの彼のこと、ただ流れ作業をこなすだけではなく物怖じせずに様々な提案を上司にして生産ラインの効率化を実現していくうちに出世して、40歳前後の今ではその工場のマネージャークラスにまでなったそうだ。

「若い人は旅とか色々挑戦するべきだよ。学の無い俺だって自分から色々上司に言って、そりゃ煙たがられることばっかりだけど結局それが今の自分を作っているからね」

恐らく結婚もしているのだろうが、彼からは家庭の匂いがしなかった。

結局、「暇だから」と島根まで送ってもらってしまった。夕方に予定がある、とのことだったので、時間を繰り下げてくれたのだろう。彼にとっては、既にある約束を遅らせてまで僕と話すのが面白かったのだと前向きに考えることにした。


僕をとあるスーパーの駐車場に下した去り際、この旅を僕にとって忘れられないものにした一言を、彼は残していった。

「『旅は若いうち』っていう人も多いだろうけどね、我々はこの世に生まれおちた瞬間から旅をしているようなものだからね。君も頑張って」


Airbnbのキャッチコピーは「暮らすように旅しよう」だが、僕の人生のキャッチコピーは「旅するように生きよう」だ。

これは他の誰よりも誇り高い広島県人の彼と出会ったことで生まれた感覚だ。


忘れられない旅がある。

▲"the culture may be are different but the illness is always same in the whole world" 広島平和記念公園のとある像の説明書きに添えられていたメモ。原文ママ。

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