カール・ブッセの詩「山のあなた」について
上田敏が訳したカール・ブッセの詩「山のあなた」は、国語教科書の定番教材だ。これまで小学校高学年の教科書や中学校の教科書に掲載されている。
ここでは、この詩について解説し、筆者の解釈やコメントを付け加える。
◆詩「山のあなた」
山のあなた
カール・ブッセ(上田敏訳)
山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとゝ尋めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。
語句の説明
あなた――かなた
「幸」――「幸せ」などの抽象的なものを歌うのは、それまでの日本にはあまりなかったことなので、特別にカッコでくくったようだ。これは上田敏が始めたとのこと(★1)。この頃の他の訳詩でも同じように抽象語がカッコで囲われていることがある(★2)。
「幸」住む――擬人法。
いふ――言う
噫――感動詞
尋めゆきて――「尋む」は「たずねる、さがし求める」。「尋めゆきて」は、「さがし求めて行って」
涙さしぐみ――涙ぐんで
かへりきぬ――帰ってきた
なほ――なお
カール・ブッセについて
ブッセは、ドイツの詩人、作家、批評家。
1972年、当時ドイツ領であったポーゼン(現在はポーランドのポズナニ)のリンデシュタットに生まれる。
1892年、19歳で『詩集』を出版。ここに「山のあなた」も含まれる。この詩集は高い評価を受ける。
その後、ベルリン大学やロストック大学で、文献学、歴史学、哲学などを学ぶ。
1896年、『新詩集』を出版するが、失望される。
1898年、ロストック大学で博士号取得後、作家、文芸批評家としてベルリンで活動。
1918年、スペイン風邪により、ベルリンにて死去。享年46歳。
岡田朝雄・リンケ珠子による『ドイツ文学案内』では、「日本ではあまりにも有名であるが、ドイツではさほど重要な詩人ではなく、むしろ忘れられた存在である」(186頁)とされている。
ドイツ語版のWikipediaを見ると、日本での特別な人気に言及している。Carl Busse の項目の「受容」欄に書かれているのは、
カール・ブッセの詩「山のあなた」は、日本では、1905年(2010年再版)に出版された上田敏のアンソロジー『海潮音』によって、今日でもなお知られている。
という一文だけだ。「2010年再版」とわざわざ書いているのは、「今日でもなお」読まれていることに対する驚きのゆえだろう。やはり、ドイツ人はほとんど読まないのだ。
上田敏の翻訳
上田敏の訳詩「山のあなた」は、1903年(明治36年)、『万年草(まんねんぐさ)』に「逸名氏」の名で発表された。1905年(明治38年)、訳詩集『海潮音』に収められた。
上田敏の翻訳の原本となったのは、ルートヴィッヒ・ヤコボフスキーが編集した、詩のアンソロジーのようだ。上田が、当時親交を深めていた鷗外からこの本を借りた可能性が高いとのこと(★3)。
上田敏の訳詞は、七五調の流麗なリズムになっていること、抒情性があること、山が重なり合っている日本の自然に合っていることことなどから、多くの日本人に受け入れられた。
一般的解釈
ところでこの詩は一般的には、次のように理解される。
>私は幸福を求めて故郷を離れ、はるばる山を越えていった。しかし幸福は見つからず、悲しい気持ちで帰ってきた。郷里の人々は、もっともっと山を越えていったら幸福は見つかるよ、と言う。
ここで、一つの問いが思い浮かぶ。それは、最後の「山のあなたになほ遠く/「幸」住むと人のいふ」という言葉を聞いて、故郷に帰ってきた人はどう思っただろうか、というものだ。
三つの答えが可能かと思われる。
1. よし、この次はもっと遠くまで行ってみよう!(あくまで希望を抱き続ける)
2. そうは言うけど、本当に幸福ってあるんだろうか。(懐疑を抱く)
3. そうは言うけど、おそらく幸福は実際にはなかなか得られないものなんだろうな。追い求めるものではあるけど……。(諦念、あきらめの気持)
いろいろな人に聞いてみたところでは、1がいちばん多いようだ。
ドイツ語の原詩(末尾に掲載)を見てみると、最後の1行は、"Sagen die Leute, wohnt das Glück...(幸福があると、人々は言うのだが……)"と点々で終わっている。つまり、人々はそう言うのだが、本当にあるんだろうかという懐疑、あるいは、おそらくないのだろうなという諦念となっているのだ。
でも、上田敏はこの詩の終わりを句点「。」にした。それによって、詩人の懐疑あるいは諦念ははっきり示されなくなった。解釈は読者に委ねられることになった。
原詩には余韻がないが、訳詩は多様な解釈を許容する。ここにも、この詩が多くの日本人に愛誦されてきた理由があるだろう。
僕の解釈
ところで、僕はずっとこの詩の意味を次のように考えていた。
「私」は幸福を求めて故郷を離れ、山を越えていったが、結局、悲しい気持ちで故郷に戻ってきた。というのも、山向こうにいる人もまた、幸福はさらに山を越えたところにあると言ったからだ。結局、幸福というものは、憧れるだけのもので、どこまで行っても見つかることのないものだ。
2行目の「人」は故郷の人々であるが、最後の行の「人」は出かけていった先の人々であると捉えていた。つまり、「山のあなたになほ遠く/『幸』住むと人のいふ」という最後の2行の前に、「というのも」を補って読んでいたのだ。
一般的解釈の方は、1行目の「人」も最終行の「人」も、同じく故郷の人々と考えている。最後の2行の前に「だがしかし」を補っているのだろう(★4)。
詩は「空所」が多く、そこに何を補うかでいろいろな意味に取れる。僕にはやはり自分の解釈がしっくりくる。最初に読んだときに、なるほどと納得したからだ。
別の解釈
「『幸』住むと人のいふ」の「人」と、「噫、われひとゝ尋めゆきて」の「ひと」が使い分けられている。前者が一般的な人であることは明らかだ。後者の平仮名のほうはやさしい感じがする。「恋人」と解釈することはできないのだろうか。
たとえば、西原大輔(2015)は、次のように書いている。
「われ」と一緒に出発したはずの「ひと」が、その後どうなったかは明かされない。「ひと」とは、恋人のことだろうか、それとも友人や仲間のことだろうか。「われ」は恐らく、単独で「かへりき」たのだろう。(52頁)
ドイツ語の原詩では、「人」は「die Leute(人々)」となっている。「ひと」の方は「ほかの人々(die andern [Leute])」となっている。「ほかの人々と一緒に出かけていった」という意味だ。
つまり、ドイツ語の原詩からは「ひと」を恋人とみなすことはできないということになる。しかし、原詩から離れて、上田敏の訳詩を一つの独立した詩として鑑賞するなら、「ひと」を恋人とみなすこともできよう。
原詩至上主義になる必要もないのだ。ドイツ語がわかる人は原詩と訳詩を比べて味わえばいいし、訳詩を詩として愛唱する人は、原詩を無視して自由に想像をふくらませればいいのだ。
それゆえ、「われ」は恋人とともに幸福を求めて故郷を離れたが、結局、幸せにはなれずに、絶望して一人で帰郷した、あるいは、二人で悄然と戻ってきた、そう理解することもできるだろう。
批評
手近にある批評をいくつか見てみよう。
吉田精一(1966)
この詩は現実の生活に満足し得ず、はるか彼方の幸福を憧れ求め、遂に求め得ずして失望落胆する人間の姿、しかもなおどこか遠いところに未知の幸福があるという人々の言葉に動かされずにはいられない人間の心を歌っています。失望しながらも、また失望することがわかっていながらも果しなく幸福を夢みずにはいられない――それは古今東西を通じての、変らぬ人間の姿でありましょう。(『鑑賞現代詩1 明治』、322-323頁)
この吉田精一の評が、この詩の基本的解釈として定着しているようだ。うまく表現するものだなあ、と感心。
三浦仁(1969)
いずこともしれぬはるかの幸福に憧れ、それを探し求めて結局は裏切られ、裏切られると知りつつそれでもなお幸福を求めずにはいられぬ人間普遍の心情――その憧憬と悲哀は、あますところなくここに盛られている。(『近代詩鑑賞辞典』、42頁)
吉田精一の評をコンパクトにまとめている。うまくまとめるものだなあ、と感心。
中学校国語教科書(1上)の学習指導書、光村図書、平成24(2012)年
「幸い」という理想を仲間ととともに追い続け挫折する、人間という存在の哀しさ、寂しさ、そして、終わることのない希望。/5行目の「なほ」に、挫折を経た後も幸福を追求し続ける人間の姿が表現されている。(209頁)
後半を見ると、教育現場を考慮してか、前向きだ。
読者反応論の立場からの見方もある。どの批評もこの詩を絶賛する中で、批判的に見ているところが新鮮だ。
鍛治哲郎(2003)
『海潮音』の時代の日本は事情が違っている。彼方への憧れ、彼方の幸せへの憧憬は、まだ陳腐化していなかっただろう。(51頁)
だが、山の彼方にある幸せへの憧れは、今日なお「翫賞」できるだろうか。山の彼方という地理的設定についてはどうだろうか。また、憧れというロマン主義的な心情自体も、時代錯誤の気味があるかもしれない。(52頁)
なるほど、時代が変わったのかもしれない。
国語教材としてみると?
僕は小学校高学年の国語受業でこの詩を習った。その後、「幸せとは何か」について作文を書いてくるようにという宿題が出た。
幸せは遠いところにはなく、身近なところにある、といってようなことを書いたような気もするが、はっきりしない。それでも頭を悩ませた覚えはある。それまでそんなことは考えたことがなかったからだ。
この詩を教え、その後に幸福についての作文を書かせるというのは当時の授業の常道だったのかもしれない。ただ、今から考えると、ここにはなかなか深い意味があるように思う。
「幸せとは何か」という問いは、結構高度な問いだ。なぜなら、普通、人は「こんなふうにおいしいものを食べているときが幸せだ」とか「海で泳いでいるときが幸せだ」と、幸せを述語として使うが、「幸せとは何か」などと語ることはないからだ。これは哲学的な問いだ。「善とは何か」「正義とは何か」というふうに「~とは何か」という思考をしたのが、ギリシャの哲学者、ソクラテスやプラトンなのだ(★5)。
国語教材としてみると、この詩をきっかけに子供たちが、「幸せとは何か」という問いの立て方を知ることはとても大事なことだ。思考のレベルにおいて、具体的思考しか知らなかったそれまでの状態から、抽象的思考を身につけるに至る第一歩となる。これは家庭では獲得できないものだ。
この詩は、これまで小学校5年生の教科書と中学校の教科書に掲載されてきた。中学校の教科書で取り扱われてきたのは、表現が古いからだろう。でも、今述べた、新しい思考レベルに生徒が到達するきっかけという点で見れば、小学校高学年の方が適当ではないだろうか。
◆おわりに
翻訳詩というのはややこしい。「山のあなた」はカール・ブッセの詩なのか。それとも上田敏の名訳で日本に広まったのだから、もうほとんど上田敏の詩と言っていいのか。
カール・ブッセの詩を解釈しようとするのであれば、ドイツ語の原詩が基本になる。その場合は、訳は参考程度の添え物となるだろう。
だが、ブッセの詩の上田敏訳を解釈しようとするのであれば、テクストは日本語の「山のあなた」となる。原詩は参照する必要はない。自由に解釈してもいいはずだ。
誰が本来の作者で、誰が訳者かということは、読者には関係ない。目の前にあるのは、詩の「山のあなた」だけだ。
それが人の心を打つかどうか、重要なのはそれだけだ。
補足:カール・ブッセの原詩と直訳
Über den Bergen
Carl Busse
Über den Bergen, weit zu wandern,
Sagen die Leute, wohnt das Glück.
Ach, und ich ging im Schwarme der andern,
Kam mit verweinten Augen zurück.
Über den Bergen, weit, weit drüben,
Sagen die Leute, wohnt das Glück...
(ヨジロー訳)
山々を越えてはるかに行けば、
幸福があると人々は言う。
ああ、私は他の人々にまじって出かけ、
目に涙を浮かべて戻ってきた。
山々のはるか、はるか向こうに、
幸福があると人々は言う……
注
★1:関良一『近代文学注釈体系 近代詩』、338頁。
★2:たとえば、上田敏に大きな影響を受けた永井荷風によるランボーの訳詩「そゞろあるき」では、「自然」という語にカッコがついている。
★3:島田謹二『日本における外国文学 上巻』朝日新聞社、1975、321-322頁。
★4:何年版か忘れたが、東京書籍の『新しい国語 五上』の教師用指導書(指導編)では、意味の説明のところに「だが」が入っていた。
★5:藤沢令夫『プラトンの哲学』、78頁以下参照。
参考文献
岡田朝雄・リンケ珠子『ドイツ文学案内』朝日出版社、増補改訂版、2000(初版1979)
鍛治哲郎「「読み手」のあなたへ――読者反応論」(丹治愛編『批評理論』講談社、2005(初版2003)、31-53頁)
亀井俊介・沓掛良彦『名詩名訳物語』岩波書店、2005
関良一『近代文学注釈体系 近代詩』有精堂、1963
西原大輔『日本名詩選1[明治・大正篇]』笠間書院、2017(初版2015)
藤沢令夫『プラトンの哲学』岩波新書、1998
吉田精一『鑑賞現代詩1 明治』筑摩書房、1974(初版1966)
吉田精一・分銅惇作編『近代詩鑑賞辞典』東京堂出版、2000(初版1969)
*見出し画像は、MAYUさんの「Processingで折れ線グラフみたいなのを描く」を参考にしています。