寺山修司の短歌「紫陽花の芯まっくらに」
歌集『血と麦』の「血」の「第三楽章」に収められている歌。
この歌については、すでに「森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし」についての記事で少し触れた。
そのときはこの歌について何かを書くつもりはなかったが、何度も目にしているうちに、しだいに心に染みてきた。
■語句
まっくらに――「真っ暗になって」。「真っ暗に」は、形容動詞「真っ暗だ」の連用形。動詞「なる」などに連なる。ここでは「なる」は省略されている。
咲きし――「咲いた」。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。
消ゆ――「消える」。
■解釈
「われ」の頭の中に、紫陽花の花が咲く。ただ、その芯はまっくらだ。しばらくすると紫陽花は母の顔となり、やがて消えていく。
そんな意味の歌だ。
ぱっと見ると、「咲きし」の主語は「紫陽花の芯」のようだが、実際には紫陽花の花が主語なのだろう。芯の暗さが際立たせられているが、紫陽花の花自体が咲かなかったわけではない。
紫陽花の「芯」とは、一つの大きな花房の中のこと。紫陽花は小さな花が重なり合って大きな花房を形成している。見ばえのする花だが、小さな花の重なりを透かし見ると、その奥は表面の華やかさとは対照的にとても暗い。
「われ」は少年か青年か? いずれにせよ、母親は遠く離れている、あるいはすでに亡くなっていると想定できよう。
「われ」は紫陽花に自分の母親を見ている。母のやさしい面影だけを思い描いてさびしがっているのではなく、暗い側面もまた複雑な気持ちで思い出しているのだ。そのことは、「まっくらに」という口語が唐突に使われ、強く響くことからも感じられる。
歌を読むと、まるで花火を見ているような気がする。暗い夜空に紫陽花が見事な大輪の花を咲かせる。それが「母の顔」に変わり、しだいに薄れていく。すべてが消えた後には暗い夜空だけが残る。だが、「われ」は母の残影を求めて夜空を見続けるのだ。
■おわりに
補足を二つ。
寺山修司の俳句に、
がある。紫陽花を見て母を思い出し、寂しくなった。母に手紙を書こう、という句だ。ここでも母親が芯の暗い紫陽花の花にたとえられている。
俳句は二枚の画像から成る。紫陽花の花と、母に手紙を書いている少年の画像だ。だが、短歌の方は動画だ。映像が静かに流れて行き、最後に暗い空となって終わる。
もう一つは中城ふみ子の次の歌の影響もあるのではないかということ。
病に苦しみながら寝られないでいると夜が明け始める。その薄明りの中で窓に誰かの顔が映るように見える。そして、自分を憐れんでいると思う。
窓に見えたのは中城自身の顔だったろう。自分が自分をいちばん憐れんでいるのだ。
寺山修司は、早稲田大学に入学が決まった後、青森の書店で、友人の京武久美と、『短歌研究』昭和29年4月号を立ち読みした。そこには、「第一回五十首応募作品」で特選を受賞した中城ふみ子の一連の歌「乳房喪失」が載っていた。
以下は京武の報告。
上に挙げた中城ふみ子の歌はそのとき読んだ一首だ。
意識的か無意識的かはわからないが、寺山は中城ふみ子の歌を部分的に利用していると思う。ただ、内容はもちろん違い、それぞれに味わいがある。
■参考文献
『寺山修司全歌集』講談社学術文庫、2011
『寺山修司俳句全集』全一巻、あんず堂、1999
『新編 中城ふみ子歌集』菱川善夫編、平凡社、2004
小川太郎『寺山修司 その知られざる青春』中公文庫、2013