カフカ『変身』の主人公の名前は「グレゴール」か「グレーゴル」か?
新潮文庫の高橋義孝訳『変身」冒頭の一文は、1985年の改版以前は次のようになっていた。
ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変っているのを発見した。(新潮文庫『変身』、高橋義孝訳、1974年38刷、初版1952、改版1966)
ところが、1985年の改版で次のように変わった。
ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。(新潮文庫『変身』、高橋義孝訳、2013年109刷、初版1952、改版1985)
二つの大きな変更がある。一つは「毒虫」がただの「虫」になったこと。そしてもう一つのは主人公の名前が「グレゴール」から「グレーゴル」に変わったことだ。
前者については、「カフカの『変身』の主人公―「毒虫」から「虫」へ」で検討した。ここでは主人公の名前について見ていく。
諸家の訳
今回も、岡上容士氏が作成した、『変身』訳書の冒頭文リストを参考にする。
訳語の頻度数比較
2021年10月10日現在、岡上リストには全部で34の訳書の冒頭文が掲載されている。これらの訳書で主人公の名前がどのように表記されているのかを頻度順に並べてみると、次のようになる。
グレゴール:18
ゴレーゴル:13
グレーゴア:1
グレゴオル:1
ぼく:1
「グレゴール」か「グレーゴル」が圧倒的だ。「グレゴオル」とした中井正文は後に「グレゴール」と修正するので、それも加えれば「グレゴール」が19例、「グレーゴル」が13例となる。
では、時代的な変化はあるのだろうか。
通時的変化
1952年に日本で最初に『変身』を訳した高橋義孝は、原語の Gregor を「グレゴール」と表記した。以後、「グレゴオル」としている中井正文も含めれば、1966年の辻瑆までの7冊の訳書において「グレゴール」と訳されることになる。
1966年に高本研一が初めて「グレーゴル」とする。以後はこれが優勢になる。高橋義孝も、1969年発行の集英社版『世界文学全集56』で「グレーゴル」としている。ただ、高橋義孝訳の新潮文庫が「グレーゴル」に変わったのは1985年とかなり遅れている。
高本研一が「グレーゴル」として以降、これが多くなったとはいえ、「グレゴール」が消えたわけではない。ただ、2000年以降の新しい訳はほぼ「グレーゴル」となっている。
それでも「グレゴール」は消えない。2013年の真鍋宏史、2015年の多和田葉子、2018年の田中一郎らは「グレゴール」としている。「グレゴール」が少し復活しつつあるのだろうか、それとも一時的な現象なのだろうか。
特筆すべきは、日独両国で小説を発表している作家の多和田葉子が「グレゴール」としていることだ。「グレゴール」よりは「グレーゴル」が原語 Gregor の発音に近いことは熟知しているにもかかわらず、「グレゴール」としている。
原語のドイツ語では?
原語の Gregor のアクセントは「e」にあるので、「グレゴール」ではなく、「グレーゴル」のほうが原語の発音に近い。
1966年に高本研一が初めて「グレーゴル」としたことの背景には、外国人名はできるだけ原音に近いカタカナ表記にしようという意図があったのだろう。
このような原音主義と慣用に従う寛容主義――外国語のカタカナ表記には常にこの問題があってややこしい。
たとえば、ドイツの地名 Weimar は日本語の Wikipedia では「ヴァイマル」の項目に説明がある。「ワイマール」と入力しても「ヴァイマル」の方に転送される。ただ、「慣用的に「ワイマール」と表記されることが多い」と付け加えられてはいる。「ヴァイマル」とするのは原音主義だ。
Wagner はどうだろう? これはWikipediaでは「ワグナー」となっており、「ワーグナー」ではこちらに転送される。この「ワグナー」は英語発音だ。「ドイツ起源の姓」であり、「ドイツ語での発音はヴァーグナー。日本ではワーグナー 、ワグネルという呼び方・表記がされることも多い」と付記されている。これは原音主義でもないし、また慣用主義でもない。英語中心主義か。
Google翻訳の発音
最近は「Google翻訳」なる便利なものがある。高橋義孝や初めて訳した1952年とは大違いだ。そこで次のような文を発音させてみた。
Gregor stand um halb sieben auf.(Gregorは6時半に起きた)
Gregor に耳をすませてみると、僕には「グレーゴア」と聞こえる。Gregor 1語だけの発音でも同様だ。
つまり、1969年の菊池武弘の「グレーゴア」がもっとも原音に近いということになる。
ドイツ語の発音自体もどんどん変化していく。Gregorの「r」は今では、母音化されて「ア」と発音されるほうが普通だ。
原音主義に従って、「グレーゴル」はこれからは「グレーゴア」になっていくのだろうか。
それとも、さらに進んで Gregor と原語をそのまま使ったりするようになるのだろうか。最近の歌の歌詞がそうであるように。
英語訳では?
岡上氏は、『変身』冒頭の英訳リストも作成している。
カフカの『変身』の英訳リストです‼️【再々々改訂版】
誰もが予想するとおり、英語訳はすべて、
Gregor
だ。変えようがない。「Google翻訳」で次の文を読ませてみる。
Gregor got up at half past six.
「グレーゴア」と聞こえる。
おもしろくなったので、フルネームも発音させてみる。
Gregor Samsa
Samsa の最初の「a」は、発音記号で示せば「æ」だ。アとエの中間の音、sad, mad, cat, hand, manなどの「a」と同じだ。
英語訳では表記は Gregor Samsa と原語のままだが、発音は読者が英語風にするのだろう。
どう表記したらいいのか?
本筋に戻ろう。「グレゴール」と「グレーゴル」、どちらがいいのか。
慣用主義なら「グレゴール」だろう。原音主義なら「グレーゴル」か、あるいは「グレーゴア」か。原音原理主義ならもう「Gregor」とするしかない。ただ、その場合も、読者のためを思ってカタカナでふりがなを付けようとすると、また同じ悩みに戻ることになる。
僕自身はと問われれば、断然「グレゴール」だ。
「グレーゴル」は確かにアクセントの位置は原音と同じだ。だが、この主人公の名前を5回呼んだら、もう発音したくなくなる。なんか、嫌な感じがあるのだ。
どうしてなのかを考えてみるに、「グレーゴル」が日本語らしくないからだ。日本語には欧米語のような強弱アクセントがない。しかし、「グレーゴル」と発音すると、「レ」のところを強く読むことになる。日本語だらけの中で、無理に向こうの言葉を読まされている感じがする。それが不快なのだ。
それに対して、「グレゴール」は、確かにアクセントも長音のところも原音とは違う。しかし、日本語として発音して心地よい。何度でも発音してみたくなる。知らない人にも「グレゴールはね」と言ってみたくなる。「グレーゴルはね」と何度も言うのはしんどい。もう、『変身』について語りたくなくなる。
高橋義孝の訳語の変化
僕は最初、高橋義孝の「グレゴール」は間違っている、昔の人だから発音がよくわからなかったのだろう、と思っていた。
しかし、ふと、いや、高橋義孝は Gregor という名前さえ日本語に翻訳したのだ、「グレーゴル」のほうが原音に近いことを知っていたにもかかわらず、あえて「グレゴール」にしたのだ、と思うようになって、昔の翻訳者はすごい! と思い直した。
ところが、高橋義孝も1969年にあっさり「グレーゴル」に変えていることを知って、なんだ、間違っていただけなのか、とまた思い直すことになった。
似たような例
ところで、「グレゴール」と「グレーゴル」と似たような例がいくつかある。
エリザベートとエリーザベト
ウラジミールとウラジーミル
後者が原音に近い。
Wikipediaの「長音符」の項を見ると、前者は間違いとされている。
外国語の原語で長音になる部分には日本語でも長音符をあてがうのが原則であるが、しばしば誤った位置に挿入される。
しかしこのようなことが起こったのは、「誤り」のゆえではなく、外国語の音を日本語の発音体系の中に組み込もうとしたからではないか。
原音主義では、カブールはカーブルになる。
コラーゲンはコラゲーンになる。
僕の感じではカーブルもコラゲーンも日本語らしくない。カブールやコラーゲンのほうが発音しやすく心地よい。
カブールやコラーゲンというカタカナ表記のほうが一般的になったのも、グレゴールやエリザベートやウラジミールが流通したのと同じ理由によるのではないか。
僕が言いたいのは、人名や地名などの固有名詞は原音通りにカタカナ表記するべきだと単純に考えるのではなく、それらもまた日本語に訳すべきではないか、ということだ。
つまり、Gregor は「グレゴール」にしようよ、ということだ。だから、最新の訳でまた「グレゴール」とされるようになっているのはうれしい。
おわりに
と、最後は、グレゴール派として勢いのままに書いてしまった。
しかし、これも「毒虫」と「虫」の場合と同じく、僕が最初に読んだ、1985年以前の高橋義孝訳の『変身』で「グレゴール」となっていたからにすぎないのではないか、と言われるとあまり反論できない。
僕が「グレゴール」になじんでいるように、「グレーゴル」になじんでいる人もいるはずなのだ。
1981年刊行の新潮社の『決定版 カフカ全集11』の付録NO5に、作家の吉田知子が「グレーゴル・ザムザの記憶」として、次のように書いている。
グレーゴル・ザムザは、ついこの前まで私たちの間で一種の流行言葉だった。グレーゴルでもザムザでもなく、必ずフルネームで言わなければならない。それは、まさに魔法の言葉だった。誰かが「グレーゴル・ザムザ!」と言うと、とたんに世界が停止するのだった。
そういう時代もあったのだ……。
それはともかく、吉田知子にとっては「グレゴール」ではなく、「グレーゴル」でなければならないのだろう。
吉田はまた僕が忘れていたことを思い出させてくれた。
ザムザ
そう、この、これまで聞いたこともない姓、どこか暗い地下から響いてくるような音――それが「毒虫」という語と一緒になって、「グレゴール」以上に僕を圧倒したのだった。