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リルケの「墓碑銘」(1)―薔薇よ 純粋な矛盾よ

これだけは手を出すまいと思っていた。詩として特にすぐれていると思っていなかったし、また手を出せば迷宮に入り込むことがわかっていたからだ。

「これ」とはリルケの墓碑銘だ。リルケが遺書で自分の墓碑銘として指定した詩だ。

わずか3行の詩。簡単に理解できそうに見えて、実はよくわからない。研究者の間でもさまざまな解釈がある恐ろしい詩だ(★1)。

ふと、訳だけでもちょっと載せておくか、と思ってしまった。それで泥沼にはまった。次々に調べ始めて、あれこれと頭を悩ますことになってしまった。

■リルケの原詩とその訳

▲リルケのドイツ語原詩

Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter soviel
Lidern.

これが全集に掲載されているものだ。見出し画像に示したのは実際の墓に彫り込まれているもの。そちらは5行になっているが、縦長の墓碑の「空間的制約によるもの」(★2)のようだ。

▲日本語訳
日本語訳はたくさんあるので、どれを挙げたらいいか迷うが、神品芳夫訳にした。原詩にもっとも忠実な訳と思われるからだ。

薔薇よ、おお 純粋な矛盾、
おびただしい瞼の奥で、だれの眠りでもないという
よろこび。

神品芳夫『リルケ 現代の吟遊詩人』

▲英訳
英語の訳も挙げておこう。

Rose, oh the pure contradiction, delight
of being no one's sleep under so many
lids.

J. B. Leishman訳、高安国世『詩の近代』44頁

日本語訳では「だれの眠りでもない」というのがわかりにくい。この点、英語訳は簡単だ。niemadをno oneに置き換えるだけでいい。うらやましい!

■ヨジロー旧訳

わかりやすくしようと思って、筆者はこの詩をずっと次のように訳していた。

▲ヨジロー旧訳

薔薇よ 純粋な矛盾よ
こんなにもたくさんの瞼の奥で
誰でもない人として眠る喜び

死者としてもはや「誰でもない人=いない人」となった自分が、好きだった薔薇の花びらの奥で安らかに眠るというイメージだ。

この訳をちょろっと掲げて、この記事をあっさり終えようと思っていた。ところが、生野幸吉の解釈に行き当たってびっくり。

■眠りはない?

生野幸吉の訳自体はごく一般的なものだ。

▲生野幸吉訳

ばらよ、おお、きよらかな矛盾よ、
あまたの瞼のしたで、だれの眠りでもないという
よろこびよ。

生野幸吉『リルケ詩集』

これについて生野幸吉は次のように解釈している。

「きよらかな矛盾」とは、具象的には、多数の瞼のように見えるばらの花びらの下に、じつは眠る人自身はいないという観察から来ており、そのような純粋の矛盾である、あらゆる所有から放たれた眠りへの願いを詩人は碑銘に託したわけです。

生野幸吉訳『リルケ詩集』201頁

なんと、「眠る人」はいないとされているのだ。瞼がたくさんあるのに「眠る人」がいないこと、それが「純粋な矛盾」とされる。

誰も眠っていない? 僕の理解とはまったく逆ではないか。

ウィキペディアを見てみると、次のように訳されている。

▲ウィキペディア

薔薇よ、おお純粋なる矛盾、
それだけ多くのまぶたの下に、誰の眠りも宿さぬことの
喜びよ

ウィキペディア「リルケ」の項――訳者不明

「眠り」がないことが、この訳でははっきり示されている。あわててほかの人の訳や解釈を調べてみた。

■眠りはある?

筆者と同じく、眠りがあることを明示した訳もある。

▲徳永恂訳

薔薇、おゝ矛盾の奥の純粋さよ、花びらの
八重のまぶたに包まれて、誰としもなく
眠るよろこび

徳永恂『異郷こそ故郷』

「誰としもなく」は、「誰というわけでもなく」という意味だ。

徳永訳では薔薇の奥に眠っている人がいる。ウィキペディアの訳と正反対ではないか。

いろいろ見てみると、解釈は次の三つに分けられることがわかってきた。

・花びらの奥に眠りはないとするもの
・眠りがあるとするもの
・両者が矛盾のままに併存しているとするもの

ヨジロー旧訳や徳永訳のように「眠り」があるとすると、「喜び」の理由は理解できるが、「矛盾」の意味が不明になる。逆に、ウィキペディア訳のように眠りがないとすると「矛盾」はすっきり理解できるが、「喜び」がなんのことかわからなくなる。

眠りと、眠りの不在の両方があるとする解釈も参考にして、筆者も解釈してみた。

■筆者の解釈

◆作品内在解釈

リルケの墓碑銘であることは忘れて、ひとまず詩だけに注目してみる。

薔薇が「純粋な矛盾」と言い換えられている。だが、何が矛盾なのか? それを説明するために、薔薇の花びらが「瞼」にたとえられる。

瞼はたくさんあるが、その奥には「誰の眠りもない」。それが矛盾だ。ある人の瞼が見えるとき、その人は眠っているからだ。

薔薇にはたくさんの花びらがある。しかし、それが当然予想させるはずのものは花びらの奥にはない。花びらの奥にあるものとは何だろう?

たくさんの花びらは華やかなものだ。そして奥にあるものはそれと矛盾するもの、正反対のものだ。花びらが、華やかさや活動や生命力を表しているとすれば、奥にあるのは空虚、静寂、死などとなるだろう。あるいは、存在に対する非在と呼んでもいいだろう。

『若き詩人への手紙』で語られているように、リルケは愛の中に困難を、孤独の中に成長を、悲しみの中に変化の兆しを見た。通常肯定的とされるものの中に否定的なものを、否定的とされるものの中に肯定的なものを見た。そして、相矛盾したものが共存しているのが世界の本来のありようであると考えた。そのような世界を「世界内部空間」と呼ぶ。「世界内部空間」においては、生と死、有と無、存在と不在が矛盾したままで表裏一体のものとしてあるのだ。

このような世界のあり方を象徴しているのが薔薇だ。薔薇はその矛盾したありようで、リルケの思想を象徴的に示すものとなっている。だから、「純粋な」と形容されるのだ。

「喜び」とは誰の喜びだろうか? 薔薇の喜びである。薔薇は自らの矛盾したありようを喜んでいるのだ。

このようにリルケは薔薇を褒め称える。

◆墓碑銘であることを考慮して

だが、この詩はリルケの墓碑銘である。リルケ自身が墓碑銘として指定したものだ。そう考えると、この詩にもう一つ別の意味が含ませられているように思えてくる。

つまり、リルケはこの薔薇に、自身の姿を重ねているのだ。

Niemandes Schlaf(no one's sleep)は「誰の眠りもない」という意味だが、これは「誰でもない人の眠り=いない人の眠り」とも訳せる。生きているとき人はjemand(誰かある人)であるが、死ねばNiemand(誰でもない人=いない人)となる。

この詩の解釈が、眠りはないとするものと眠りはあるとするものの二つに分かれたのは、niemandという語の持つ二重性のゆえだ。

・誰の眠りもない(誰も眠っていない――Niemand schläft.)
・誰でもない人の眠りがある(いない人が眠っている――Niemand schläft.)

リルケが後者のNiemandに重ねているのは、死者としての自分だ。死者として薔薇の花びらに包まれて眠る喜びをこの詩に込めている。

最後にもうひとつ。ヴォルフガング・レップマンは、「瞼」を表すドイツ語のLiderは、「歌」を表すLiederと同音であることを指摘している(★3)。

また、高安国世によれば、リルケ自身が墓碑銘をフランス語に訳しており、その中で――戯れかもしれないが――Lider(瞼)をChants(歌)としている(★4)。Chantsはドイツ語ではLieder(歌)である。リルケ自身がLiderにLiederを重ねていたのだ。

つまり、「瞼」はリルケが生涯にわたって作り上げてきた詩を表しているとも言えるのだ。たくさんの薔薇の花びらとしての自分の詩――それはリルケの生そのものだ。そしてその奥で死者となった自分が無となって眠る。薔薇はリルケの生と死、存在と非在を象徴するものともなる。

■ヨジローの新訳?

では、どう訳したらいいのか。いろいろ迷うが、思い切って次のように訳すのはどうか。

▲ヨジロー試訳1

薔薇よ 純粋な矛盾よ
たくさんの瞼の奥に眠りはなくて
誰でもない人が安らいでいる

「矛盾」の意味が詩を読むだけで理解できる。また、これが墓碑銘であることから、「誰でもない人」がリルケ自身のことであるとすぐにわかる。「喜び」は直接訳し出さず、「安らいでいる」の中に含める。

でもなんだか説明的で平板になってしまったような。やっぱり次のように、普通に訳す方がいいのだろうか?

▲ヨジロー試訳2

薔薇よ おお 純粋な矛盾
こんなにもたくさんの瞼の奥で
誰の眠りでもないという喜び

「純粋な矛盾」とは何か、「誰の眠りでもない」とはどういうことか、なぜ「喜び」なのか――よくわからないが、いろいろと読者の想像をかき立てる。

いやいや、僕にはどうしても「誰の眠りでもない」という表現が気になる。

▲ヨジロー旧訳――これに決定!

薔薇よ 純粋な矛盾よ
こんなにもたくさんの瞼の奥で
誰でもない人として眠る喜び

結局、原詩は完全には訳せないのだ。それならば、少しくらいずれがあっても、旧訳のほうが僕にはしっくりくる。

長いさすらいの果てに、元にもどってしまった!

■おわりに

最初に、詩として特にすぐれていると思っていなかった、と書いた。その思いはあまり変わらないが、解釈してみると、リルケの墓碑銘にぴったりの詩だなと思わずにはいられない。こんな墓碑銘のある墓に入っていることが、ちょっとうらやましくもある。

リルケの墓は、スイスのヴァレー(ヴァリス)州の寒村ラロン(ラローニュ)の教会の庭にある。リルケ自身がそこに埋葬されることを望んだのだ。ミュゾットの館のあるシエールから少しローヌ河上流とのこと。スイスの山脈を望む、風と光の地だという。

矢内原伊作の訪問記を引用する。

下ではほとんど風がなかったのに、この高みに登ると意外に風が強い。雲は見ている間にも姿を変える。しかしこのひろびろとした空間をみたす日の光の清らかさ。眼下にはローヌの谷が遙かにひろがり、正面にも左にも右にも雲をいただいた高い山々が望まれる。左はシンプロン峠、南正面はマッターホルンに続く山脈、そして銀色にうねるローヌの流れが視界から消えて西の地平が空に溶けいるあたりに輝いているのがモン・ブランの連峰ででもあろうか。ここからは見えないが、北にはユングフラウを中心とする山塊が空を支えているはずである。(……)空中にさしかけられた天使の椅子、天と地はここで触れあい、太古から変わらぬ人間と自然の営みの中で、死と生は溶けて歌となる。

矢内原伊作『モンマルトル便り』160頁

「誰でもない人」として眠るのに最高の場所だ。

■注

★1:次のように言われている。

これは、文学史が知るもっとも有名な墓碑銘のうちのひとつである。すでに1972年までに、少なくとも26種以上のさまざまに異なる解釈がこれについて試みられた。

ヴォルフガング・レップマン、塚越敏監修『リルケ全集 別巻 伝記』621頁

この詩の解釈となるとたいへんむつかしく、従って訳も困難ということになる。

高安国世『詩の近代』33頁

難解で、多様な解釈のあることでも有名である。

星野慎一博士喜寿記念論集刊行会『近代ドイツ抒情詩の展開』33頁

★2:高安国世『詩の近代 ドイツ文学エッセイ』31-32頁。

★3:塚越敏監修『リルケ全集 別巻 伝記』622頁。

★4:高安、上掲書、40-45頁。

次の記事に続きます。

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