出会って1年スピード結婚!翌年出産!子育ての魅力にハマり気付けば高齢出産から4児の母(よじまま)になってた!?
20代で好きになった人が運命の相手だと信じ、彼女が居るにもかかわらず、ずっと待ち続けて数年後、ようやく付き合えたものの破局に終わる。
すでに30代になっていたので、急に焦って本気の婚活を開始!
婚活パーティに参加するもうまくいかず、趣味のスキー繋がりの中で探すことに。
そこで出会ったS男と意気投合。
とんとん拍子で話は進んでいった。
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電撃結婚、60km離れた見知らぬ土地へ
『スキー』という共通の趣味を持ったS男と初めて話してから約1年後に結婚。
翌年には第一子である長女を出産するというスピード感で、私の最重要ミッションである『結婚して、子供がほしい!』は達成された。
そして結婚と同時に私は神戸から60kmほど離れた、S男の住む他県へと引っ越した。
というのも、S男はこの数年前に親との共同名義で家を購入しており(S男と両親が住んでいる)、結婚後は両親の近くで別居するが、将来的にはその家に戻って同居するという話が出ていたからだ。(この家に関しては後々問題になってくる)
その時も私は「早く結婚したいモード発動中」で、家のことも親と同居のこともあまり深く考えておらず「そういうのもいいかもね」くらいにしか考えていなかった。
神戸を離れることも「車で1時間半くらいなら東京より全然近いから大丈夫!」と思っていた。
ところが引っ越してすぐに私は後悔することになる。
なぜなら、今まで当然のようにあったものが無くなったからだ。
私はそこそこ都会っ子だ。
神戸には鉄道が数多く通っていて、新幹線も飛行場も港もある。
お店も、遊ぶところも、美味しいものもたくさんあるし、大阪にだってすぐ行ける。
仕事帰りにまっすぐ家に帰ることなんてなかったし、夕方6時半に職場を出ても帰宅するのは毎日10時過ぎだ。
なのに、引っ越し先にあるのは、遠くに見える山と広い空(高層ビルがない)、お店といったらコンビニとスーパーだけ。
あまりの落差にカルチャーショックを受け、神戸に帰りたくなった。
せめて子供ができるまでは都会へ出て働きたい!
そう考えて仕事を探そうとしたら、S男に猛反対された。
「仕事するなら近所でパートすればいい」
「周りの奥さんはみんなそうしてる」
は?
なんで私の仕事をアンタに決められなきゃなんないの?
「遠くに働きに出たら帰るのが遅くなるやん。俺が仕事から帰ってきてまだ晩ご飯できてないのは困るし」
チョット ナニヲイッテイルノカ ワカラナイ。
S男の職場は地元にあり、家からバイクで10分もかからない。
寄り道することなく、ほぼ毎日判を押したように夕方6時前には帰ってくるのだ。
早すぎだろ!
もっと寄り道して帰って来いよ!
と思うが、そもそも寄り道するところがなかった。
とはいえ、私は私のやりたいことをしたいので、絶対に外に働きに出てやる!と思っていたのだが、失業保険の受給期間に職業訓練学校に通うことになり、その学校が都会だったことで私のカルチャーショックによるストレスはかなり軽減されることとなった。
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第一子長女出産、今までにない感情
結婚後の引っ越し先があまりに何もなく、ショックを受けたものの、半年後には第一子の妊娠が発覚したので、ひとまず私の「外に働きに出たい」病は影をひそめた。
出産は私にとって人生で最も衝撃的な体験だった。
出産と同時に自分も新しく生まれ変わったような、そんな体験だった。
それまでは自分は子供は苦手だと思っていたが、目の前にいる自分の中から出てきた自分とは別の存在を前にして、全く別の感情が湧き出てきた。
私は子育てに夢中になった。
子供と過ごす時間が楽しくてしかたがなかった。
そして、何の疑いも計算も無く、全身全霊で私を求め信頼を寄せてくるこの無垢な存在を見ていると
「自分が居なければこの子はどうなってしまうんだろう」
「この子を残しては絶対に死ねない」
「この信頼を裏切ることだけは絶対にできない」
という思いがどんどんと強くなった。
でももし自分が死んでしまったら…という想像も同時にしてしまい、残されたこの子が自分を求めて泣いている姿を想像しては、一人涙することもよくあった。
(父親がいるから大丈夫とは考えない)
自分の子供ができて嬉しかったことに『自分でつくったおもちゃで遊んでもらえる』もあった。
昔、東京で一時は叶えることができた夢と挫折。
その時の想いはまだ自分の中に残っていた。
子どもの日々の成長を目の当たりにしながら、興味を刺激しそうなおもちゃを手作りする。
それを子どもに見せた時の反応や、どうやって遊ぶのか、どれくらい遊ぶのか、楽しそうか、すぐ飽きるのか。
いろいろと観察するのは本当に楽しかった。
「自分がやりたかったおもちゃづくりはこれだったんだ」
不完全燃焼だった夢への想いが、この瞬間に報われた気がした。
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第二子長男出産、未知との遭遇
長女出産の2年後、長男を出産。
S男とは子作りにおいてはビックリするほど順調そのものだった。
相性がいいのか、なんなのかは分からないが、長女長男とも欲しいと思った翌月には妊娠しているという的中率だ。
長女の出産で「育児」に目覚めた私は「3人は産みたい!」と強く思っていた。
なので長女出産時点で十分高齢出産だった私には、この的中率はありがたかった。
長男出産時もまた、衝撃的な体験だった。
生死の境を行き来するような、激痛と緩和。
感情の波がジェットコースターのように押し寄せ、自分の中から別の人間が出てくるというアメージングな体験だ。
これはクセになる。
長男の育児は、二人目なのに長女とは全く違う驚きの連続だった。
長女はおっとりしていて動きが少なかったが、長男はよく動いて目が離せなかった。
長女でうまくいってたことが、長男では通用せず頭を抱えた。
新生児の時はまだよかったが、長男が歩き出すと買い物が超絶にストレスになった。
買い物カートにも乗らないし(降りようとする)、手も繋がない。(秒で振り払う)
商品を触りまくるし(食品パックのラップに指で穴を開ける)、一瞬目を離せばいなくなる。
悪魔の申し子か?
と思った。
三人目の出産を同じ2歳差で考えていたが、全く思い通りにならない長男の育児に手を焼いて、1年見送ることにした。
今思えば、この頃から長男の特性は現れていたのだと思う。
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第三子次女出産、しんど過ぎた出産前後
長男が2歳を過ぎて、ようやく言葉でのコミュニケーションがとれるようになると、かなり育児にも余裕ができていた。
これなら、3人目も考えられそうだ。
そして3人目の妊活を開始。
すでに私は40歳を超えていたので、当然リスクのことは頭にあった。
でも子育ての魅力にすっかりハマっていたので、チャンスがあるなら頑張りたいと強く思っていた。
そして長女長男の時ほどすぐではなかったものの、3ヶ月ほどで3人目を妊娠。
後にも先にもこの3人目の妊娠期間から出産後半年にかけてが一番キツかった。
長女はもう幼稚園に通う年齢になっていたが、家にはまだ悪魔の申し子がいる。
40歳オーバーの妊婦生活は想像以上に過酷だった。
長女長男の時には無かったあらゆる身体的トラブルが勃発した。
つわり、むくみ、貧血、頻尿…そして情緒不安。
それでも日常の家事と育児はノンストップだ。
S男は家にいる間は子供たちの相手をしてくれたが、家事についてはノータッチだった。
S男はそれを「役割分担やろ」と言った。
「俺、仕事してるし。そっちは家にいるんやから」と。
もういい。
ムカつくから黙ってて。
S男の両親も近くに住んではいるが、手伝ってくれる気配はない。
でも義母はヘビースモーカーで、妊婦が居ようが新生児が居ようがお構いなしだった。
やっぱり来てくれない方がいい。
臨月に入って、幼稚園が夏休みになってからが、さらに地獄だった。
幼児2人とずっと家に引きこもっているわけにはいかず、自転車の前後に一人ずつ子供を乗せて臨月の妊婦が電動自転車に乗るという危険を冒していたが、歩いてる時に長男が道路に飛び出しても追いかけれないので、まだ自転車の方がリスクが少ないと判断した。
なんとか妊婦期間を乗り切り、無事に次女が産まれてくれたが、なかなか夜にまとめて寝ない子だったので、出産後半年くらい布団で寝た記憶がない。
それでも、3人の母となれたことは私の誇りだった。
自分の人生の中でとてつもなく大きなことを成し遂げた気持ちにでいっぱいだった。
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第四子三女出産、まさかの四人目!?
3人の子どもを持てて、私は非常に満足していた。
同じ親から生まれてきたのに、3人それぞれ違う個性をもっていて、毎日新しい発見があり、子どもたちに教えらることばかりだった。
その頃から「子どもと関わる仕事がしたい」という気持ちが芽生え始めていた。
4人目が欲しいとは全く思っていなかったのだが、長女が小学校に上がって、長男が幼稚園に入り、次女が3歳を迎えたある夜のこと。
いつもはなかなか寝ない3人の子どもたちが、その日は3人とも夜9時には寝息を立てていた。
この時間からS男と私だけが起きている状態になるのは数年ぶりかもしれない。
次女の妊娠以降、日々の家事と育児に翻弄されていた私は、夜は子供たちと一緒に早く寝ないと体力がもたなかった。
なのでS男とは完全にレス状態だ。
時々S男が誘ってくることはあったが「無理」とバッサリ切り捨ててきた。
ヤりたきゃ私がその気になれるよう、もうちょっと家事もしろや!
と思っていた。
あとS男に対して男としての魅力を全く感じなくなっていたというのも大きい。
でもちょっとは私の中に断り続けている罪悪感もあったので「今日くらいは相手してやるか」という気になった。(なってしまった)
突然の私からの誘いにS男は驚いていたが、すぐにその気になった様で(チョロイ)じつに4年ぶりの夫婦の営みが開催された。
そこで事件勃発!
ゴムがない!
突然訪れたこの状況に、お互い久しぶり過ぎて事前準備のことなどすっかり忘れてしまっていた。
「まぁ、中に出さなきゃ大丈夫か」
と、お互いが思った。
それに私の経験上、今夜は危険日ではない。(たぶん)
という訳で、営み再開。
あっという間に終了。
早すぎだろ!
と思ったが、久しぶりだったし、しょうがないか。
私の方はイケてないが「義務は果たせた」ので、これにて営み終了。
その2か月後。
第四子妊娠発覚。
マジで? あれで?
いやいや、中で出してないよね?
え? 出しちゃってたってこと?
頭の中であの夜のあれやこれやを思い出してみる。
ゴムは無かった。(避妊せず)
危険日じゃなかった。(素人の思い込み)
中出ししてない。(自己申告)
可能性は十分にある。
とはいえ、40代半ばで、4年ぶりで、あんな中途半場で、
どんだけ出来やすいの!?
驚愕だった。
そして今後の展開について脳をフル回転させる。
常識的に考えれば、4人目を産んで育てることはかなり厳しい。(3人でも危ういのに)
でも…
もうこのお腹には、命が宿っている。
1分だけ悩んで、答えは決まった。
というか、最初から決まっていた。
産みたい
S男に妊娠のことを何と言われるか不安だったが、思い切って妊娠のことを伝えると
「子ども好きやし、いいんちゃう」
と意外なほど、アッサリ認めてくれた。
この時ばかりはS男のことを見直した。
(でも、後になってS男は先のことを全く考えてなかっただけだったと分かった)
大変だったのは、自分の親とS男の親から4人目出産を猛反対されたことだ。
でも私はもう決心しちゃってるので、周りから何を言われようが関係なかった。
しばらくして両親たちも諦めたようで、出産を認めてくれるようになった。
じつは4人目の妊娠出産は3人目よりだいぶ楽だった。
上の3人が学校や幼稚園に行きだしてることも大きかったし、上の子が大きくなった分、手がかからなくなったことも大きかった。
私自身、家事を上手く手抜きする術も身に付いていたので、身体への負担も最小限にできた。
順調に妊娠期間を終え、4度目のアメージング体験を経て、無事に第四子三女誕生!
こうして私は『よじまま』(4児のママ)となったのだ。