「第6回香川靖嗣の會」(喜多六平太記念能楽堂・平成24年4月7日)
能「安宅」 延年之舞・貝立
シテ・香川靖嗣
ツレ・友枝雄人・内田成信・粟谷浩之・佐々木多門・大島輝久・金子敬一郎・狩野了一
子方・内田貴成
ワキ・宝生欣哉
アイ・野村萬斎・深田博治
後見・塩津哲生・内田安信・友枝真也
笛・松田弘之
小鼓・鵜澤洋太郎
大鼓・国川純
地謡・友枝昭世・粟谷能夫・出雲康雅・大村定・粟谷明生・中村邦生・長島茂・粟谷充雄
初回より毎年欠かさずに拝見させていただいている香川靖嗣の會も6回目。身辺の慌しさ故に観能の機会を絞って後は、この会が その年に拝見する最初の能となるというのにも何時しか慣れてしまい、生活のリズムのようなものになっていると感じられる。と同時に、 昨年は東日本大震災の直後で、演能中にも余震があるという異様な状況であったことが否でも思い出される。今年は暦のいたずらで 4月の第1週の週末の開催となり、2月から4月初頭にかけての慌しさが収まりつつあり、気力・体力が徐々に恢復する途上での観能 となった。番組は初めて拝見することになる「安宅」、題材はあまりに有名な話である意味で過剰な程の先入観に浸されている物語が 香川さんの演能ではどのような舞台になるものか、想像もつかないまま目黒の舞台に到着した。
そういう次第だから、このストーリー性が強く、場面の変化に富み、為所、見所の多い有名な現在能にあるであろう様々な演出上の 工夫による差異について書くことは私にはできない。そのかわり震災から1年を経て、未だ傷の癒えぬまま、(移動の電車の中での読書の題材として、 丁度ヘーゲルの「精神現象学」を読み返している最中であったので、その用語を借りるならば、)「世の成り行き」(Weltlauf)に揉まれ、 「不幸な意識」の裡にあって展望もないまま一難去ってまた一難の状況に右往左往している自分にとって、慰藉され、力づけられるところの 多い舞台であったことを劈頭に記すとともに、回を追う毎に芸境を深められ、ご自身で「不得手」と語られる曲において、かくも完成度の高く、 感動的な上演を達成された香川さんに深い敬意と感謝の気持ちを述べておきたい。 この会では恒例の冒頭のお話で、馬場あき子先生は「弁慶はわたしたち庶民が生み出した」といった意味のことをおっしゃっていらしたが、 そうであるならば「私の弁慶」を投影した拝見の仕方にも一分の理があることになるだろうと考えることにして、以下に拝見した印象を 記しておくことにする。
開曲は宝生欣哉さんの富樫の名乗りから。太刀持ちとの対話により場面の設定がなされ、その後次第の囃子に誘われてまず子方の 義経が、ついでシテの弁慶が、そしてその後に付き随って立衆が橋掛かりに登場する。子方の内田貴成君は当初の配役の怪我のため 急遽の代役とのことだったが、折り目正しい演技と謡も勿論だが、立っているときだけでなく、着座したり床机にかけているときも姿勢良く、 落ち着いていて、見事に義経を演じていたと思う。能のみならず、他の様々なジャンルで義経は様々に演じられているが、 私見ではその中で義経に投影されたイメージを最も鮮やかに演じているように感じられ、代役とは思えない素晴らしい演技だったと思う。
その義経とのやりとりから浮かび上がる弁慶は、何よりも義経のことを思い、追い詰められた状況で次から次へと押し寄せる危難に対し、 沈着冷静に部下をまとめて対処することで切り抜けていく有能なリーダーであり、状況の推移に応じて変化する弁慶の心理が詞や 謡の端々に克明に浮かび上がるのが印象的だった。枚挙に暇がないところをほんの一例をあげれば、有名な勧進帳を読む場面、 「もとより勧進帳はあらばこそ」の詞に篭められた一瞬の心の動きは見所の肺腑を突くような激しさを内に秘めているように感じられた。
長大な道行から始まって場面と登場人物が次々と入れ替わる構造の能だが、囃子の先導での場面転換は非常にスムーズで、 巨視的な構造の把握も確かなものに感じられた。特に松田弘之さんの笛の鮮やかさには瞠目すべきものがあって、とりわけ 要所要所でのここぞという間合いでの一閃は圧倒的だった。またこの上演でも立衆のツレが7人と非常に登場人物の多い能だが、 連吟となる冒頭の道行きやノットの迫力もさることながら、立衆の所作も統率が取れていて、少しも雑然としてやかましい感じにならないのは見事。 更には他の芸能であればもっと写実的に演じられるであろう勧進帳を覗き込もうとする富樫とそれを妨げる弁慶のやりとりも、強力に扮したものの富樫に 見咎められた義経を弁慶が打つ場面も簡潔な型で表現されていたのが却ってまるで心理劇を観るような奥行きを感じさせる。
これほど素晴らしい演能となるとある部分を取り立てること自体躊躇われるくらいなのだが、全曲の流れの中であえて特に印象に 残った部分ということになれば、勧進帳を読み終え、義経の強力の扮装を見咎められたのをあえて主君を打擲する演技により切り抜けて 無事に関を通過した後、一行が一息入れる場面だろうか。 先ほどの振る舞いを詫びる弁慶の詞に対して義経が「これ弁慶が謀にあらず八幡の」と詞を返し、それを友枝昭世さん地頭の地謡が引き継ぐところで 雰囲気が一気に変わるのは地謡の力量であろう。更に子方が「げにや現在の果を見て過去未来を知るといふ事」と謡うのを地謡が再び受け、 今度は弁慶が「たださながらに十余人」と謡うところは、前段の読み物の場面の緊張と、後続の場面が用意する全曲のもう一つの頂点たる 延年之舞の間にあって、ゆったりとした、いわばアドルノのマーラー論における「一時止揚」(Suspension)に相当する局面であり、 奥州への道程の中途での中休み、エピソードを為す。この部分のシテと子方の対話、子方の謡を、ついでシテの謡を引き取る地謡の 音調の穏やかさは心に沁みて忘れ難い。
けれどもここでもエピソードは本質的な意味を担っていて、この場面こそが義経・弁慶主従の置かれた境遇を照らし出す機能を担っている。 つかの間の平穏のもとで、主従は自分達の置かれた絶望的な状況を再認せざるを得ない。突飛な連想で牽強付会の謗りを承知で敢えて 感じたままを記せば、それは丁度、震災後の1年をどこか緊張しつつ過して再び巡った春の中で、 だが自分達の置かれた状況が依然として多難で予断を許さないものであることを否でも再認せざるを得ない自分の心境に呼応するようで、 その穏やかさが却って胸を打つ。
それゆえ富樫との再会もまた、道行における何度目かの試練に過ぎず、前の場面が自ずと準備したものであるとさえ感じられるのだが、 その試練に対して弁慶が延年之舞を舞うことによって作品上の2度目の頂点が形作られる。曲の終盤で舞を納めることそのものが 機能的には(まずもって見所にとって)アドルノの言う「充足」(Erfüllung)であるのだが、ここでは更に、ありもしない勧進帳を読み上げる機転のみならず、 図らずも主君を打擲することにより危難を脱することを余儀なくされ、そうした状況におかれた主君と己の立場にやりきれなさを感じた 弁慶の心情の充足のためのものでもあるだろう。その一方で、未来に到来するであろう更なる試練を予感し、それに立ち向かうにあたり己の 力のみを恃むことの限界を弁えている弁慶が主君の将来を慮り、神に願う気持ちを感じずには居られない。 能の舞には色々とあるけれど、現在能のこの作品においては舞はまさに生身の人間が捧げる祈りそのものなのだ。
その一方で最初に深く一礼して始めるの弁慶の舞は舞い進むに従い、だんだんと非人間的な力に充たされていくかにさえ感じられるほどの見事さで、 そこに居るのは一人の人間ではなく、馬場さんが語っておられたように、見所も含めた「世の成り行き」に翻弄されながら生きていく人間の願いや 思いが産み出した「弁慶」の姿が結晶化したものであるかのように感じられる。見所はそれに引き寄せられ、いつしか個別的な心情を超えて、 己の心を舞に虚心に同調させずには居られない。勿論、そうしたことが可能になるのはシテの香川さんの圧倒的な技量あってのことで、無条件で 起きることが約束されているわけでは全くないのだが、この上演においてはそうしたことがあたかも必然であるかのように起きたと感じられた。
延年の舞の途中でまるで何物かを切り裂き、「突破」(Durchbruch)するかのように、掛け声とともに弁慶が空中に飛んで降りる型があり、一瞬沈黙が支配する。 丁度作品の巨視的な構成と呼応するように、それを境に音調が変わり、松田さんの笛の一閃とともに舞の音調そのものもまた「充足」の 局面に入って再び高潮してゆく。そこから最後に、既にその場を離れた弁慶や立衆を追うように弁慶が橋掛かりに進んで揚幕の前で留めるまで、 見所は息をするのを忘れたかのように静まりかえって、その余韻は終演後、囃子方が橋掛かりにかかるころまで続く。まばらな拍手はこの上演が 見所にもたらしたものが、単なる演劇の鑑賞とは質の異なるものであることを物語るものに違いない。
現在能であっても、能は単なる写実的でリアルな心情の表現に留まることはないのだ。 そもそもがフィクショナルな存在である弁慶が舞う延年之舞は、物語の内側においては弁慶が義経の運命を思う心情の表出であるとともに、 様々な人の思いを集約するアトラクターのような働きをしているに違いない。だからこそ、私のように、他の上演と比較して特徴を述べることはおろか、 この上演の素晴らしさを技術的に言い当てる適切な言葉を持たない者であっても、この上演の帯びていた凄まじい力に対峙した印象を 述べることはできるのだと思いたい。それは長く続いた緊張の中で痛めつけられ、その挙句に痛みの感覚すら 麻痺しかかってしまい、その一方で貴重な何かに接しても感動することが出来なくなってしまい、干上がりかかっていた人間の心にも注がれ、 沁みわたり、鳴り響いて心を甦らせる滝の水のようなものであったことをここに証言することで、この貴重な舞台を拝見しての感想の結びとしたい。
(2012.4.8初稿, 2024.8.12 noteにて公開)