女流義太夫公演2004年5月
2004年5月の女流義太夫公演は駒之助さん・津賀寿さんの道春館、朝重さん・友路さんの 帯屋であった。演目についていえば玉藻前はかつて文楽公演で観たことがあるが 桂川連理柵は実演に接するのは初めて。前者は最高の床で聞いたはずなのだが、こちらの コンディションのせいか、あるいは運が悪かったせいか、ひどく退屈した記憶しかない。 けれども、そんなに熱心な義太夫の聴き手ではないので、多くの場合、別の上演で 演目に対する印象というのは変わってしまうという体験をしてきていて、今回も この演奏者で聴かないというのはあまりにもったいなく、国立演芸場に足を運んだ。
女流義太夫の公演は能と同じで一発勝負、同じ演目を何日かかけるということは しない。同じ演目を何日も演じるのは、それはそれで演者の方にとっては大変な 部分もあると思うが、一発勝負というのは、まあ運・不運みたいなものがあって、 一度きりで何かを評価したり、判断することはひどくバランスを欠いたことに なる危険があると思うのだが、そうした意味では幸運なのか、駒之助さんにせよ、 朝重さん・友路さんにせよ、がっかりしたというのがない。そればかりか、 作品について何かを発見するような新鮮な経験を毎回させてもらっている。 いつも書いていることだが、こんな経験をするのが、演芸場のあの客席すら埋まり きらない状況下であるのは信じ難い。
前半が駒之助さん・津賀寿さんの道春館。駒之助さんの語りはとにかく豊かだ。 何か一つの要素が闇雲に強調されたり、誰か一人だけに焦点があたるということが ない、でもそれは平凡さには全く陥らない、寧ろ、ぎっしりと詰まった内容に 圧倒されるのである。この日も、勿論、劇的な頂点である父であることの独白の 場面の感情のほとばしりはすさまじかったが、それはそれに至るまでの経過に 完全に見合っている、その巨視的な均衡の達成こそ真に圧倒的なものであったと 思う。緩急の自在さ、息を詰めるその緊張の激しさと流れるような経過の対比、 人物を語り分けるパレットの多彩さ、いつものことながら、「これはとんでも ないものを聴いている」「でも自分の容量が足りなくて受け止め切れない」と 思いながら聴き終えることになったのである。
津賀寿さんの三味線も、この曲の曲柄にはまって印象的、とにかくお二人とも うまい、の一言につきる。
後半の桂川は、現代劇を見るような心理的な克明さが印象的、朝重さんは朗読も よくされるが、この曲についてはとりわけ詞の部分においては、むしろ肌合いは そちらに近いと感じた。けれども、今回の演奏で圧倒的だったのは、終曲近く、 お半がやってきて、書置きを遺して去っていく場面以降にあった。
友路さんの三味線が魔法のように紡ぎ出す闇の深さは、それが素浄瑠璃で、 目の前が舞台であることを忘れ去れるほどであり、その中に現われるお半は、 気配もおぼろげである。長右衛門は書置きを読んで、あわてて闇の中に 飛び出し後を追おうとする。繁斎がよむ経の響く闇の中、けれどもすでにない お半の気配に四辻で立ち尽くす、その場面の展開は、まるで悪夢を見るような 恐慌の裡にある。それは、浄瑠璃よりは寧ろ怪談か、あるいは夢幻能の感触に 近いように思えた。
この最後の場面は、繁斎がよむ経が通奏低音になっている。それはずっと確かに 続いているのだ。浄瑠璃の音楽としては二回、丁度意識が遠のいて朧になった瞬間に その空隙を埋めて入ってくるように挿入されるのだが、ここの演奏の効果は 局所的にみれば今まで聴いた浄瑠璃のなかでも群を抜く、一種異様な心理的な リアリティを持っていたと思う。
そもそも、長右衛門を訪れたのは本物のお半なのか?それは生ある者だったのか? お半は既にその時点で死んでいたのではないか?この物語の中では時間が歪んで いるのか、それとも、後世追加された道行が(あるいはわざと?)誤解したのか? 長右衛門がすぐさま合理化したのももっとも、それは最早、かつての心中相手の 女性なのか、お半なのかすら区別がつかない。けれどもここで長右衛門をいざなった のは死者の声ではなかったか?
(不気味なものにゆきあたるといえば、近松のある種の世話物が思い浮かぶ。演奏 ならまず嶋大夫さんだろう。けれど、ここで聴いたものは質的に近松のそれとは 少し違う気がする。今はまだその違いを言い表す適切な言葉が浮かばないのだが、 これは菅専助の作品の持つ質なのだろうか。明らかに他の作者の浄瑠璃には ない、特異なもののように思える。というわけで他の菅専助の作品も機会があれば 聴いてみたいと思っている。)
この演奏が、一般的な浄瑠璃演奏と比べてどうであるかは素人の私にはわからない。 またこの曲も例えば文楽で鑑賞する機会もあろうかと思う。けれども、この日に 聴いた演奏の持つ凄みというのは、私個人にとっては比類ない圧倒的なものだった。 何しろあの四辻の闇の感覚は今だに甦るくらいなのだ。
(2004.07.03公開)