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駒之助さんの河庄(第8回駒之助の会)
最近演奏を聴く毎に感銘を受けている駒之助さんが個人の会で「河庄」を語られると いうことで、紀尾井ホールに出かけた。文楽での近松物の扱いには色々な意見が あるようで、やりすぎだとお考えの方も、やらなさすぎだとお考えの方もいらっしゃる ようだが、女流義太夫では珍しく聞き逃すのはもったいない。越路大夫さんのお弟子で いらっしゃる駒之助さんならではの演目である。女流義太夫の公演は大体において 一発勝負なのだが、それでも番組は繰り返し取り上げられたものであることが多い だろうが、その点でも今回の演目は例外的で、非常に貴重な機会だと思われた。
「河庄」の曲の方についていえばこれまで数種類の演奏を聴いている。数少ない演奏の 中でも、小春の描き方は勿論、治兵衛、そして孫左衛門の性格付けなど、それぞれ 異なっており、解釈の興味は尽きない。
個人的にはこの段だけでなく、この作品全体が重たくて、結構聴くのがしんどいというふうに 感じていて、聴く前にはちょっと敬遠してしまい勝ちになる。少なくとも気軽に聞こうとは 思わない。そのくせ、聴き出せば面白くて、結局くたくたになるまで聴いてしまうのだが。
今回の演奏は、一言でいえば隅々まで神経の行き届いた緊張感の漲ったものであったと思う。 場面毎の描きこみが徹底していて、焦点があてられる登場人物の描写も克明であり、 そういう場面が交代しながら話が進んでいく様はスリリングだ。
興味深く思われたのは、小春、治兵衛、孫左衛門の間の力関係で、場合によって、 孫左衛門、小春いずれかが超然としていたり健気であったりすることが多く、治兵衛は まるっきり子供に描かれなくても、若くて無分別であることが強調されることが多いように 思えるが、今回の演奏では、これまでの演奏より、三人とも大人びて、対等に感じられた のである。ただし大人びて、というのが、必ずしもプラスの方向に作用するのではない ところが、如何にも近松作品に相応しいのだが。
小春は年齢に比してずっと色々なことを経験してきていて、その経験ゆえの分別というのが 感じられ、理想化されたヒロインになってしまわない。その分別が、文字通り「分別」の、 つまり意思的な決断の結果であり、それゆえ結末近く感情の復讐に遭って苦しむ部分の リアリティは凄まじい。孫左衛門とて全てを知り尽くし、大所高所に立って二人に説教を 垂れるようなところはなく、変装に対する自嘲のことばを待つまでもなく、事のなりゆきに 対して超然としていられない。治兵衛はといえば、まるっきり無自覚に我儘であるわけでは ない分、余計始末におえないのだ。一人だけ状況が見えていなくて、だからその言動は 浮きっぱなしなのだが、自暴自棄に近いその振る舞いを見ているうちに、わかってない ならわかってないなりに、わかっていない自分というのにだけは薄々気付いている ようなのが余計にみっともない。
つまり恐らく近松の視線がそうである通りに、登場人物の描写は情け容赦ない。 それゆえ聴いている私は、どうしようもない現実の醜さに対する拒絶感と、その度し難さ、 頑固さに対する徒労感みたいなものを同時に感じて、正直なところ、辟易すら感じた くらいである。段切れも、音楽は沸騰し、高潮したあげくに偽終止のところで打ち切られて しまったかのようで(勿論これは、内容的にであって、形式的にはきちんとした終結に なっているのだが)、カタルシスというのには程遠い。「もうこれで お腹いっぱい」の一方で「次が続かないと、これじゃ宙ぶらりん」という背反する感覚に 終演後囚われた。
こうして書くと、印象がネガティブだったかのように思われるかも知れないが、 勿論、決してそうではない。両価的な感覚は近松の原作にあっては不思議ではなく、 寧ろ作品自体がそうしたものを含み持っているとさえ言えるかも知れない。 終結感が欠如している点について、一つだけはっきりしているのは、それは「おさん」の影が そうさせているのだ、ということである。今回の演奏を聴いて最も強烈なのは、その場には いないおさんの存在感だったとさえ言えるかも知れないくらいなのだから。
私にとっては、それゆえ、以下の二点の希望が今回の感想を整理した結果になるのかも 知れないと感じている。
まず一点目は再演する機会があれば、是非また聴いてみたいということであり、 もう一点は、機会があれば是非「紙屋内」を取り上げていただきたい、ということである。 「大和屋」については、少し以前の記録ではあるが、CDで素晴らしい演奏を聴くことが できるようになった(津賀寿さんの奨励賞受賞に因んだ録音が発売されたのである)だけに、 前と後の両方に影を落すおさんその人を目の当たりにしたいと思わずにはいられない。
(2004.9.15 公開, 2025.1.15 noteにて公開)