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国性爺合戦を観る(2004.2)

文楽の2月公演初日の「国性爺合戦」を観た。今年はこれが初めての文楽鑑賞である。 「国性爺合戦」を観るのは2度目。他の時代物の名作同様、初回の印象は芳しく なかったが、その後他の作品において、否定的な印象は得てしてこちらの見方の問題である という経験をしてきていることもあり、「国性爺合戦」はどうだろうか、と考えながら出かけた。 前回の公演は、唯一、住大夫さん語る「甘輝館」の説得力のみが印象に残っている。 それも、物語に納得したのではなく、住大夫さんの語りを聴いたというに近い。

今回の公演では、全体の話の流れをスムーズに追うことができた。物語としては「甘輝館」を 挟む前後の「楼門」と「紅流し・獅子が城」が素晴らしかった。とりわけ、「紅流し・獅子が城」で 築かれた圧倒的な頂点は文楽の公演では久しぶりに聴くことができたもので、伊達大夫さん、 燕二郎さんの演奏の素晴らしさは出色のものであったと思う。

「楼門」では、英大夫さんの語りが、時代物には似つかわしくないのではと思えるほどしっとりと して丁寧なものに感じられたが、その手ごたえの確かさが親子の再会の場面に相応しいものに 思え、それゆえ特に、紋寿さんの遣われる錦祥女が登場して以降の話には説得させられた。
「甘輝館」での綱大夫さんの語りもやはり丁寧なもので、登場人物の感情のありようを 過不足なく描いているように思えた。

「紅流し・獅子が城」については、まずは燕二郎さんの三味線の音色の多様性と表現の 繊細さに目が覚める思いがした。情景を描写する際の表現の豊かさへのこだわりを感じたが、 それが音響として美しく巧みに弾くことに対するのではなく、表現としての音色の適切さへの こだわりであるように感じられ、それが非常に成功していたように思われた。一方で、 特に段切れに向かっての足取りはゆったりとした堂々としたもので、これもまた、特に錦祥女と 甘輝の感情の通い合いがはっきりと感じられた人形に相応しいものに思えた。 三味線というのは弾く人によって音色の次元の数が異なるようだが、文楽の若い三味線弾きの 方の中で、その次元の豊かさという点で燕二郎さんは群を抜いているように思う。今回の演奏は、 その特色が遺憾なく発揮されたものだったと思う。

伊達大夫さんの語りもまた圧倒的なもので、前回観た際にはどちらかといえば陳腐であるように 思えた物語で感動したのには、率直に言って驚いた。「紅流し・獅子が城」は場面が次々と 展開していき、動きが多いところなのだが、各場面場面が充実していて、次々に山場が訪れるような 構成になっていると感じられ、散漫な印象は微塵もなく、力ずくになったり勢いに任せる感じになって 上滑りすることなく、ぎっしりとした内容の物語を体全体で味わうという、素晴らしい経験をすることが できた。

印象に残った部分をあげれば限りが無いが、特に印象的だったのは、獅子が城での錦祥女が 息絶えてから、一官妻がその後を追う部分。錦祥女が甘輝に別れを告げる部分の透明感と、 その後の一官妻の詞の悲痛の真正さに心打たれた。その二人を見る甘輝と和藤内の表情もまた、 印象的で、月並みな言い方になるが、語りと三味線と人形が一体となった感動的な舞台だった。
(2004.2.15 公開, 2025.1.8 noteにて公開)

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