嶋大夫さん・紋寿さんの御殿(2004.3)
御殿といえば昨年11/1、銀座のガスホールでの第36回二代目竹本朝重リサイタル の朝重さん・友路さんによる素浄瑠璃の演奏で蒙を 啓かれたことが記憶に新しい。そのときにもう一度、文楽の舞台でこれを観てみたいと 思うと書いたのだが、早速その機会を得た。大田区民プラザでの文楽地方公演。 しかも床が嶋大夫さん・清介さんで政岡を紋寿さんが遣われるという。
大田区民プラザでの嶋大夫さんといえば、お軽の圧倒的な演奏の記憶があるし、 嶋大夫さん・紋寿さんでの片外し物といえば、重の井子別れの放送記録が印象深い。 というわけで楽しみにしていたのだが、期待に違わぬばかりか、またもや言語を 絶するような素晴らしい上演に立ち会うことができた。
まず、前段の「竹の間」が面白かった。特に印象的だったのが睦大夫さん・簑紫郎さんの 鶴喜代で、政岡への信頼を示して八汐を制するところで、幼いながらも君主としての 風格を示す堂々たる振る舞いによって、その後の長大な御殿の場を貫き、 支えるだけの心の交流が存在することを示していたと思う。そして、その信頼に対して 感謝する政岡の姿には、こうした極限的な状況が、今始まったものではなく、われわれは そのほんの一断面(実際にはそのほとんど終わりに近い部分)に立ち会っているのだ ということを感じさせるように思えた。この場面が明確な頂点となることで、このごたごた しがちな場が有機的に次の場につながっていったように思える。
それゆえ「御殿」の場の導入は、一騒動終えた後の緊張の緩んだ空気の裡に始まる。 嶋大夫さんの語りは、すでにその導入でその場の空気の感じ、閉塞感に取り囲まれてはいる けれども、その中で、ようやくそれでも自由に息のつける時間が戻ってきたという 雰囲気を定位した。「もう自由に話していいか?」と政岡に尋ねる鶴喜代の最初の詞に、 客席から笑みが聞かれた。その後も鶴喜代と千松の詞に対してそれは繰り返される ことになるのだが、もう最初のその時点で客席は、三人の心情と同化してしまっていたと思う。
嶋大夫さんの語りは、片外し役は勿論なのだが子役の詞が際立って素晴らしく、 自分達の措かれた状況を自分なりに理解して気丈なところを見せる聡明さと 時折のぞかせる頼りなさの交錯が、彼らのおかれた状況の痛々しさを感じさせずにはおかない。
ここでも「竹の間」同様、簑紫郎さんの鶴喜代は、政岡に示す信頼と 幼いながらも主君としての自分に忍耐を課する健気さ、そして主君としての品格とを 示して素晴らしかったが、紋臣さんの遣う千松は、その挙動の一つ一つに会場が笑い、 泣くというような状況にまでなる程の出来だった。子役の人形は仕掛けがないのだけれども、 その表情に会場がまさに一喜一憂だったのである。
紋寿さんの政岡についていえば、型をもって動くところの美しさは勿論なのだが、それに劣らず、 あるいはそれにも増して雄弁なのは、何でもない部分でふと動きを止めて うつむいている姿であったり、ふと首を傾げる、そのわずかな動きであったりする。 その雄弁さはそれが人形であることを最早感じさせないものだったと思う。
俯いて泣いていた千松が涙を拭って、涙に霞んだ目で見上げる先にいるのは、 紛れもない自分の母親であり、同様に政岡が、自らご飯の炊ける 時間が待ち切れずに歌う歌の向かう先には自分の子供の千松がいるのだということが、 とてつもなく痛切なかたちで客席に伝わってくるのだ。
その歌を縁取る清介さんの三味線の音色は、感情の深みを際だたせ、空間をその情態で 染め上げてしまう。まさに三業一体の素晴らしい舞台によって、この話の基本は政岡と千松の 親子の情なのだ、ということを身をもって感じとることができたように思える。
こうした内に篭っていく緊張は、悲劇的にも千松の死によって、一気に外に向かって 放たれる。その場面を語るのは千歳大夫さん、錦糸さんの床だが、ほとばしる 政岡の気持ちを雄弁に伝えていた。一転して激しい動きの政岡の型どころも 間合いよく決まって、客席は拍手の連続である。 「竹の間」同様、勘十郎さんの八汐、清之助さんの沖の井も素晴らしく、 最後まで息継ぐまもなく一気に観れた。
それにしても、この演目、休憩を挟むとはいえ、「竹の間」から「御殿」の終わりまで、 政岡の役はほぼ出ずっぱりである。しかもある地点までは抑えに抑えた心理表現が 要求されるのに、最後の最後で、今度は派手な動きのある型が連続するのだ。 それゆえに人形遣いにとって最高の役と言われもするのだろうが、これは実際に演ずる には極めて過酷な役なのであろう。幕が下りた後も、鶴喜代を抱き、長刀を抱える 有名な型を決めて肩で息をする政岡を思い浮かべながら、最後にふとそうしたことに 思い当たった、観るものにとっては誠に幸福な2時間であった。 この後も地方公演は続くとのこと、さぞ疲れもたまっておられるのではと思われるが、 最後までお元気で、こうした素晴らしい演奏を続けてくださることを願ってやまない。
(2004.3.20, 2025.1.10 noteにて公開)