丞相名残(2002年5月)
「菅原伝授手習鑑」丞相名残 十九大夫・清治 管丞相:玉男 覚寿:文雀 輝国:紋寿
「同」佐太村 住大夫・錦糸 八重:紋寿
5/12、菅原伝授手習鑑の一段目、二段目を観た。
二段目の切、丞相名残りの最後が感動的であったので、書き残しておきたい。
劇的な事件はすんで、舞台上の人形が減り、覚寿と管丞相の二人になったとたんに、 空気が変わり、少し虚ろな気配すら漂い始める、まずはその空気の変化に驚いた。 いよいよ旅立ちの時が来たのだということが肌で感じられる。
けれども、決定的 だと思われたのは、管丞相が外に出るべく軒先に向かうのに呼応するかのように、 それまでほとんど動かなかった判官代輝国が後ろに動いたことだった。そして、 管丞相のための草履を用意したのだがこの動きに心打たれた。
考えてみればこの動きには何も特別なものはないかも知れない。けれども、 私にはこの動きが、輝国の気持ちの発露、その内容を分析することは到底できない けれども、何か、畏怖の念と同情が入り混じったような輝国の管丞相への気持ちが この動きにこめられているように思えた。
それは丁度、能のワキがシテの動きを 脇座に座ってじっと見つめていて、その後、脇座から立って、劇を終結へと導く、 決定的な動作と同じように思えた。そして、草履を履いて外に出た管丞相は、 ほんの一瞬だが、体を震わせ、面を曇らせて、後ろにしさり、そして座り込んで しまう。それまでは、自分と自分の身代わりの木像の周りで起きる出来事(とは いえ、それは自分が殺されかかるということなのだが)を寧ろ超然として眺めて いるかに見え、ごくわずかな心の動きしか表面に表していなかった管丞相が、 この輝国の動作に導かれるように、草履を履いて後、一瞬だが感情をあらわにするのだ。
(勿論、「草履を履く」というのは極めて重要な動作だ。なぜなら、草履を履くのは 木像でなく、生身の管丞相でしかあり得ず、したがってここで管丞相は自分が本物で あるという証をしつつ、自分の心のうちを一回だけ表出するのだ。)
劇場は静まり返っていた。その場にいて、その瞬間に心動かされなかった人は いなかったのではないか。そして(これもまた能のワキのように)輝国もまた、そうした 見所の気持ちを伝えるかのように、己の心の動きをかすかな体の動きと首の動きで表現する。
それから段切までの動きは、抑制されながら深い感情を湛えていて、忘れがたいものと なった。
判官代輝国はあらすじでもちょっと言及されるだけの役で、確かに脇役なのだが、 この役は舞台のトーンを決めてしまうほど重要な役だと思えた。繰り返しになるが、 これは能でのワキの役割に非常に近いように思える。勿論、管丞相がシテ、覚寿が ツレで、この二人の演技を支えるだけのものが輝国役には要求されているように 思えたのである。
観るまでは、よもやこんなに重要な役だとは思わなかったので 驚くとともに、輝国を遣われた紋寿さんには頭が下がった。
管丞相を遣われた 玉男さん、覚寿を遣われた文雀さんについては、ただただ素晴らしかったというほか ない。こういう舞台を見れることは本当に幸せだと感じる。
その他の部分については、東天紅が床(津駒さん・清友さん)・人形(蓑太郎さん、 玉也さん、そして玉英さん)とも素晴らしかった。
加茂堤は、八重の人形の 可憐さにつきる。
筆法伝授は、人形に関して率直にいって疑問を感じた。好みの問題かも知れず、 私が間違っているのだと思うが、主観的には一部、不快感すら覚えた。嶋大夫さんの 代演の呂勢大夫さん、清介さんの床が良かった、特に清介さんの三味線が素晴らし かったので残念。ただし、その中でも勘寿さんの戸浪は素晴らしく、後半を観るのが 楽しみ。
(2002.5 執筆・公開, 2024.9.18 noteにて公開)