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クセナキスを巡っての11の断章(11・了)

11.

老い。

それをどう受け止めるにせよ、彼(の意識、「主体」としての彼)にとって「老い」は外部であったように見える。

結果として、彼の「作品」は、彼の創作の姿勢からして、「老い」を主題化することもなく、またそれ自体が意図的に選択された「晩年様式」として「老い」を纏うこともなかったようだ。

実際にはクセナキスのある時期以降の作品に、老いは、認知症の影響という形で影を落としているし、クセナキスは己の老いを意識していて、謂わば「舞い納め」の作品をさえ遺している(「オメガ」)。

それらはだが、彼がかつて付曲した「コロノスのオイディプス」とは異なって、ジンメル=アドルノ風の「晩年様式」ではなく、恐らくは意図せずに、或いは意に反して、彼が死すべきものであること、更には彼が、老いてゆくものであることを告げ、彼の創作者としての衰えを証言し、或いは「オメガ」以降も続いた認知症との闘い(小説家である妻のフランソワーズの小説、Regarde, nos chemins se sont fermésがそれを証言している)を予告するものと見做し得るようなものであったかに見える。(京都賞受賞のために日本を訪れた時の彼の姿を、高橋悠治さんが冷徹に証言している。)

そこでは方法論としてではなく、方法論の解体が、辛うじてその解体に対する対応という形で、「老い」が刻印されている。或る意味ではそれは、統合失調症発症後の最後期のヘルダーリンの詩作との比較が可能であるような稀有なケースなのかも知れないが、そこにトルンスタム風の「老年的超越」を見出すことはできないように見える。

オリエントを自己の出自として自覚していて、その伝統に意識的であった彼は、だが「東洋の智慧」とは無縁であったかに、寧ろそれを拒絶することを最後まで選び続けたかに見える。だがそれは、オリエンタルを否定することでオリエンタリズムを確立したサイード風の「抵抗の方法」として、やはり一つの「晩年のスタイル」であったと言うべきなのだろうか。常に若き日より、挑発的で、人間の条件や現実に抗い続ける「抵抗のスタイル」の体現者であったかに見える彼において「晩年のスタイル」というのは問うことが困難なものであるように感じられる。

(2005.4--2007.6, 2007.6.13未定稿のまま公開, 7.7改稿、2008.10.7, 10, 2009.2.28加筆, 2024.12.15 加筆・編集, 2025.1.19 noteにて公開)

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