マーラーの音楽の「自伝的性格」について
マーラーの音楽を形容する言葉として、しばしば「自伝的」という言い回しが用いられることがある。だが、「自伝的」であるというのは どういうことなのだろう。一般にはそれは、マーラーの作品にはその創作時期のマーラー自身の心境が色濃く反映されているといった 意味合いで用いられているようだ。そしてそれは確かに間違いではないだろう。マーラーは職業的な作曲家にはならなかったので、 作曲に充てられる時間が制限されるかわりに、作曲の内容については職業的な作曲家に比べて遙かに制約のない立場にあったという 事情と、そうした自伝的性格とは多分密接に関連しているのだ。時代を代表する名指揮者マーラーの作曲に対する同時代の 平均的な反応が「道楽」であったのも無理がないどころか、経済的な視点からすれば実際にそれは道楽以外の何物でもなかった筈である。 一方で、「道楽」であることと「自伝的性格」を持つことは必ずしも直接の因果を持つわけではないだろう。それは多分に音楽観の問題で あって、マーラーとて時代の制約から自由なわけではなく、時代の影響は無視できないだろうが、それでもなお、幾ばくかはマーラーその人の 意識的な選択であるに違いない。否、作曲を生活の糧を得るための手段としなかったこと自体が、マーラーの選択であったのではないか。
最後の点については、マーラー自身の言葉に基づく、一見したところ実証的な反論がありうる。「嘆きの歌」がベートーヴェン賞を受賞して いたら、指揮者なんぞやっていなかったに違いない、といったような内容の言葉が残っているからだ。逆にウィーンを去ってニューヨークで シーズンを過ごした晩年には、ゼメリングに地所を買い、そこで作曲に専念するという計画を抱いていたらしい。そのための資金稼ぎの 途中で没したため、ゼメリングで作曲をする夢は実現することはなかったけれど。だが実は、若きマーラーには作曲のための飢えに耐えるという 選択肢は無かったに違いない。ここでもまたユダヤ家父長制という環境の拘束下にあったマーラーは、実質的に長男としての役割を 果たさなくてはならないという自覚を持っていて、飢えても自業自得といった「自由」はマーラーには与えられていなかった。とりわけ若き日の マーラーが指揮者としての仕事と作曲の間で葛藤を感じた様子もあり、しばしば作曲のために職務怠慢を咎められたこともあったようだが、 結局のところマーラーは「バカンスの作曲家」になることで両者のバランスを取り続ける事になる。勿論、仕方なしの選択であったのだろうが、 それでもマーラーは充分に自覚的にそうしたことを選択したはずである。
そのようにして確保した作曲のためのゆとりを用いて、それではマーラーは「自伝」を書こうとしたのだろうか。ここでもまた、とりわけ標題的な説明が 豊富に遺されている若き日の作品についての彼自身の言葉や、第6交響曲のアルマの主題、あるいは第9交響曲や第10交響曲の草稿に 書き込まれた言葉を証拠に、そのような主張が行われるのだろう。だがその一方で、第3交響曲の作曲の頃に述べたとされる「世界を 構築すること」という言葉は、よしんばそれが彼個人の世界観の表明を音楽の形態で行うことだと読み替えたとしても、やはり「自伝」という 言葉とは背馳するように感じられる。ベッカー以来、世界観の表明としてマーラーの音楽を捉えようとする立場は有力だが、そこでは今度は、 それがマーラー個人のそれであるという契機の方はずっと弱められ、しばしば文化史的な文脈に還元されがちにすらなる。「世界観音楽」もまた それはそれで時代精神の賜物というわけだ。
その一方で上記のような捉え方に対して、それはマーラーの意図の水準の話で、音楽として何が実現されているかとは別問題であるとして、 「自伝的」というのも、あくまでも結果としての音楽がそうである、という意味合いに解するべきである、という主張があるかも知れない。 そうした主張は、実は世界観音楽についても、時代を映す鏡という捉え方についても、全く同様に成立するのだが。こちらの意味合いに とるならば、冒頭に書いた心境の反映というのは、音楽はマーラーの自己の経験についての音楽ではなく、自己の経験を素材の 一部として用いつつ、別の何かについての音楽であるわけでもなく、その音楽に、意識的であれ無意識的であれ、マーラーの経験が 映り込んでいるということなのだろう。この場合の「経験」は普通には(比喩的・類比的に捉えない限り)音楽の外部にあるものと 考えられている。更に音楽を作曲することもそうした一連の経験の系列の一部だから、それが映りこんでいても良いはずだ。 作曲「について」の音楽といった意味合いでのメタ音楽であるという捉え方は、一般には寧ろ意図の水準で考えられるだろうから、 実現されているもののレベルでの議論とは一応区別すべきだろうし、作曲行為を抽象化したり分析したりという作業は、そうした作業 自体は経験の一部だが、作曲行為の方は分析の対象であり、経験そのものではないので区別して考えるべきだろうが。
上記のような捉え方をすれば、どのような意図と内容を持つ音楽であれ、作曲者の音楽外の経験の映り込みを主張することは 可能だろう。極端な話、アルゴリズミック・コンポジションであってもなお、そうした主張は可能だろう。だが、一般に「自伝的」と 呼ばれる場合にはそうした意味合いで言われているわけではあるまいし、とりわけマーラーの場合についてはそうではあるまい。 私もまた、マーラーの音楽には「自伝的」と言われかねない、極めて私的な性質があることを感じずにいられない。だが、しかし、 だからといって、マーラーの生涯における特定の伝記的事実に行き当たって、音楽と人生の結びつきを感じるということはない。 天才神話というのは奇妙なもので、才能の在処とは別の、本来は素材に過ぎない世界観や、人生における経験とそれに 対する反応自体が何か特別に価値あるものと思い込まれかねないようなのだ。よしんばそうした物事に対する感受性、 激情や繊細な感覚の揺らめきといったものが、作曲においてもまた効用を持つものであることを認めたとしても、それでもなお、 天才や才能はそうした感受性そのものを評価してのものではないはずで、天才の称揚には何かすり替えが潜んでいるように 思えてならないのである。マーラーは指揮者として、作曲家として天才であったに違いない。だが音楽的能力におけるその天才を 控除すれば何が残るだろう。夢想的で極端に傷つきやすく、人の心を読むに長け、心を掴む能力に富んでいながら、 それでいて人付き合いの苦手な、散歩と(当時流行の)サイクリングと水泳が好きだが、読書の嗜好は些かアナクロ、 哲学や自然科学への強い嗜好を持った、などなどといった平凡な人間像が浮かんでくるだけである。マーラーの伝記は 波瀾に富んだ「面白い」ものかも知れないが、それが天才を担保することなどありえないだろう。
シェーンベルクは、マーラーのネクタイの締め方を知ることが楽理の勉強よりも価値あることだといったような発言をしたそうで、 ド・ラ・グランジュは、その大部の伝記の劈頭、その言葉を引いて、自己の企ての支えとしている。ド・ラ・グランジュの業績の 大きさには疑問の余地がないし、一次文献にあたることができない人間にとって、その調査結果はマーラーについて何かを 語るにあたっての貴重な拠りどころなのだが、誤解を恐れずに言えば、少なくとも極東の僻遠の地で1世紀後に、主として 録音と楽譜によってマーラーの音楽を「消費」している私にとって、その微に入り細を穿った伝記的事実は、正直なところ それほど自分のマーラー受容の動機とは関わりがないと言わざるを得ない。私は文化史の研究者ではないし、 19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパを俯瞰することになぞ興味はない。ラ・グランジュの言う水準での「自伝的要素」を 全く無視しようとは思わないが、実のところ、それが私にとってのマーラーの音楽の魅力と直接関係するわけではないのである。
同様に、マーラーの音楽で表現されているらしい「世界観」とやらの方も、それを当時の文脈に即して読み取る限りにおいて、 それにどんな意義があるのか、私には判然としない。同時代における展望と今日の日本からの展望は自ずと異なる筈で、 それをマーラーの音楽の核心であるかの如く説明されても白けるだけで、解説する本人は一体、自分の住まっている世界と 語っている内容の間の落差をどう考えているのか、訝しく思うばかりだ。大きなお世話だが、そういう人はマーラーの音楽 そのものを一体どう聴いているのだろう、と思ってしまいもする。もっともだからといって、コンサートホールそのものが異郷の 過去の文化的遺物であって、それ自体が文化財、骨董品の類であると思っているわけではない。その点については 私はアナクロ人間であって、特殊な接点を持っていると感じられる三輪眞弘のような例外を除けば、同時代の同じ場所での 問題意識と展望の共有(実際には完全な一致などありえないにせよ)を前提に音楽を聴くことができない。「共感」という点 では、ジャンルを問わず、同時代の大抵のものよりも近しいものは過去の異郷にある。そんなことではどのみち真の理解に 達することはできないのだ、と言われてしまえば返す言葉はなく、そうかも知れないと諦めるしかない。マーラーフリークであった かつての私なら困ったかも知れないが、マーラーに対して距離感をはっきりと感じている今なら、別にそれで困るわけではない。
マーラーの音楽は「自伝的」かも知れないが、その実質は充分に明らかではない、というのが現時点での私の印象である。 マーラーにとって作曲とは、個人的で私的な行為だったが、「心から心へ」式のコミュニケーションモデルを信じていたとは 到底思えない。仮にそれを私的な独白であったと見做しても、マーラーが選択した手段は交響曲であり、選択した素材も、例えば 歌詞にしても、それぞれどこかで主観的な扱いを拒むものであったことに留意すべきだろう。それなら思想の表明と考えればその器は 適切だろうということになるのかも知れないが、その場合でも、マーラーの音楽の魅力の淵源が、内容としての思想なり 世界観にあるのか、疑問が残る。マーラー自身の「書きとらされている」という意識は、寧ろ後期ロマン派的な態度の典型、 己を司祭と見做す誇大妄想の類と受け取られるのかも知れないが、そこに自己を下降して超え、その根拠からの声に 耳を傾ける動きを見出せないだろうか。とはいっても今日の時点でそれを殊更に神秘化する必要はない。例えば、 ジェインズの二院制の心のような議論を思い浮かべていただいても良いのだ。
結局のところ、ある時代の音楽の持つ傾向やある種の作曲技法が無条件に固有の結果を担保することはない。 良く出来た音楽とそうでない音楽がある、という意味においてもそうだが、それ以上に、見かけの、あるいは場合よっては 作曲者の意図を超えて、三輪眞弘の言う、「人間ならば誰もが心の奥底に宿しているはずの合理的思考を越えた 内なる宇宙を想起させるための儀式のようなもの、そこには自我もなく思想や感情もない、というより、 そこからぼくらの思考や感情が湧き出してくる、そのありかをぼくらの前に一瞬だけ、顕わにする技法」 たることがありえるのではないだろうか。三輪眞弘のこの言葉はロマン派的な美学に対する批判の文脈で語られていて、 「音楽とは、才能ある人が抱いた思想や激情や繊細な感覚の揺らめきを聴衆に伝えるためのものなのだろうか? その例をぼくは無数に知ってはいるが、そんな一方的で趣味的なものでは決してない、といつも思っている。」という表明と 対になっている。さながらマーラーなど、その批判のやり玉に真っ先にあげられる格好の標的である、というのが 一般的な考え方だろうし、確認したわけではないけれど、発言者自身ももしかしたらそう考えているかも知れない。 だが、私にとってのマーラーは、批判されている側に属していないとまでは言わないにせよ、控えめに言っても同時に、 その反対側の要件も備えているように感じられてならないのである。そう、更に三輪眞弘の顰に倣えば、そうでなければ 今日の日本でマーラーを聴くことなぞ「単なるイケテナイ娯楽でしかない」のではなかろうか。結局のところ、マーラーの 音楽は狭義で「自伝的」というに留まらない何かを備えているに違いないのである。
(2008.9.13, 2024.6.25 noteにて公開)