見出し画像

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(8)

8.

多くの評者は、ジッド自身が後に語った言葉をそのまま受け止め、ここにプロテスタンティスムの批判があるという立場を採るようだ。 だが、本当にそうだろうか。ジッド自身、アリサのようなあり方を批判しおおせなかったことが、逆説的に「狭き門」を他のジッドの作品のような 醜悪さから救っているのではないか。ジッドがそこから身を振り解きかたっかプロテスタンティズムの、ありえたかも知れない極限がここでは示されている。 アリサの日記が終わった後の後日譚、作品冒頭の「現在」に戻っての去年の出来事は、アリサが決して記憶から拭い去られていないことを示している。 ジェロームはアリサといる筈であった場所、だがその時には自分をそこに見出すことができず、それを望まなかった場所に、今いるのだし、今後もい続けるであろう。 これが批判の筈がない。

掉尾の「目を覚まさねば」というのは、遠く、「白痴」のエパンチン将軍夫人の言葉と共鳴するが、ジュリエットはその言葉を全うできないことが 暗示されている。「狭き門」の結末を「白痴」の結末と比較することは興味深いだろう。「白痴」が悲劇と或る種の失敗の翳に強く覆われているのに対し、 「狭き門」のそれも悲哀の翳が濃く立ちこめているとはいえ、ここには失敗の色調は全く感じられない。あるのは静かな受容であり、もしかしたら、控えめな 肯定すら含意されているのかも知れない。齢を重ねてプランティエの叔母に似るようになったジュリエットは、齢を重ねてエパンチン将軍夫人リザヴェータに 似るようになったアグラーヤではないか。現実のアグラーヤはしかし、ジュリエットとは異なって(否、より適切には母親のリザヴェータとは異なって、 というべきかも知れない)、いわば「妥協」することはなかった。ナスターシャと直接対決することを選択した彼女は、「カラマーゾフの兄弟」の エカチェリーナに寧ろ似ている。ジュリエットはアリサと争うことはしなかった。その違いが結末の構図の違いとなっている。もしかしたら、 エパンチン将軍家の三姉妹については、寧ろ長女のアレクサンドラがジュリエットに近く、アリサはアグラーヤに近接するのかも知れないが、 それよりも自己否定の傾向において、ナスターシャにより近づくのは疑いないし、結局「目を覚まさねば」と語って物語を留める役割を果たすという点で、 エパンチン将軍夫人リザヴェータこそ構造的にジュリエットの位置にいて、アグラーヤが母親のようになれなかったことは、 リザヴェータが語りかけるのがムイシュキンその人ではなく、ムイシュキンを引き取ったエウゲニーであること、そのエウゲニーはレベージェフの 娘のヴェーラと結婚していることと構造的にはまさに対応しているのだろう。

リュシル・ビュコランの《発作》は、その娘であるアリサがドストエフスキー風には「聖痴愚」であることの記号かも知れないが、ここではその点は指摘に留める。 だが、「おしばい」であるとされるこれは、もう一人の娘ジュリエットに伝播してしまうことに留意すべきだ。ヒステリーと癲癇の発作の違いについての 加賀乙彦の指摘を参照のこと。いずれにしてもジュリエットのそれを「おしばい」と言う者はいないだろう。

ジッドはもう一人「白痴」を描いた。「田園交響楽」のジェルトリュードである。ジェルトリュードは寧ろ「白痴」のナスターシャに似るが、アリサもまた、 原稿のかなり後の段階まで、ジェルトリュードと名付けられていたということを考えると、アリサとジェルトリュードが或る種相補的な関係におかれていることに 気付かざるを得ない。正確には最初期にはジュヌヴィエーヴであったのが、ジェルトリュードになり、最後のタイプ稿を作成が進んだ段階、すなわち ほぼ物語の流れが決まり、文体上の調整作業を行う段階になってアリサに変更されたことが訂正の書き込みの含む自筆稿やタイプ稿より 知ることができるようだが、それゆえ「アリサの日記」は一度は「ジェルトリュードの日記」と題されていたのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?