実盛(2005.2)
2005年2月の文楽公演の第一部のはメインは源平布引滝・九郎助内の段である。 初日を拝見して感銘を受けたので感想を書き留めておく。
幼少の頃より親しんできた平家物語の中で実盛というのは、馬齢を重ねるにつれ、 私の中でその存在感が少しずつ大きくなってきている登場人物である。子供のときには 印象深いエピソードの主人公の一人といった程度であったのが、例えば頼政が そうであるように、実盛もまた存在感を確実に増している人物なのである。 従って、私の興味は実盛がどのように描かれているかにあり、結論から言えば、 明らかに能の実盛を踏まえて更に一ひねりが加わった構成の巧みさに圧倒された。
実盛が登場する最初の印象深い場面は、富士川の合戦であろう。 自分自身が坂東武者である実盛がちょうど東国の案内人という立場で、 坂東武者の強弓と戦に対する心構えの違いを平家方に説き聞かせて、 夜襲を恐れた平家が水鳥の飛び立つ音に驚いて戦わずして逃亡する きっかけを作ってしまうのだ。不甲斐ない平家の大将は、文楽では 鮨屋で有名なあの維盛だ。
しかし実盛が有名なのは勿論、その最期によってである。篠原の合戦で白髪を染めて、 大将のなりたちで出陣して討ち取られる老将というのが実盛のイメージであって、 従って、熊谷のような壮年の姿で出てくるのは、個人的にはちょっと意外な感じが ある。
ちなみに義仲の父義賢が討たれたときに木曽に逃すエピソードは源平盛衰記の ものだ。けれどもこのエピソードがあるとないとでは、篠原の合戦の意味というのが 全く異なってしまう。篠原の合戦の敵方の大将は義仲なのだから。能で世阿弥は はっきりとそう語らせている、義仲に討たれるというのが実盛が選んだ最期だった という側面は、幼時の駒王丸との経緯があってこそのものなのだ。
源平布引滝の作者は、そうした話の脈絡をいわば裏返して見せる。その手際は 見事で、私が拝見した回は、十九大夫さん・富助さん、咲大夫さん・燕二郎さんの 素晴らしい床と、気迫に満ちて表情豊かな文吾さんの実盛の人形により、30年後の最期が 重層的にはっきりと浮び上がるような感動的な舞台となったように感じられた。 平家物語に出てくる武将はたいていの場合、豊かな感情をもっていて、しかも それをストレートに表現する。実盛もどちらかというと思慮深くはあるが、 さっぱりとした朴訥といってよいような人ではなかったか。今回の上演はそうした 実盛のイメージにぴったりとしてものであると感じられた。
源平布引滝は実際には平家物語というよりは、世阿弥の傑作である「実盛」の謡の 夥しい引用からなっている。それだけでなく、構成面でも、例えば時間の処理の 融通無碍なところも能の影響ととれないこともない。能の「実盛」では亡霊が過去の ことを語るのだが、その語りの順序には、先に首洗いを物語ってから合戦で手塚 太郎に討たれる様子を描くという時間の逆流がある。それに対して源平布引滝は 同じことを未来のこととして語るのである。白髪の瀬尾の首が、まだ赤子に過ぎない駒王丸 (義仲)のもとにもたらされ、実盛は、これまたまだ幼い手塚太郎に対して、 未来の出来事を語る。それも手塚の郎党を鞍の前輪に押し付けて首を切って 捨てるというエピソードを先取りしてやってみせたりする念の入れようだ。 勿論「合理的」に解釈すれば、そんなことはその時点の実盛は知らない筈だということに なるのだろうが、はっきりいってそんなことはどうでも良いことである。 とにかく、馬に乗った実盛の姿が、能舞台で見られるような老武者とオーバーラップ するのを目の当たりにするのは感動的な経験だった。
篠原の合戦に向かうとき、実盛はもう都に生きて戻ることはないことを 知っていた。平家の凋落ということであれば、既に富士川の合戦のときに それを悟ったに違いない。けれども実盛は凋落する平家に最後まで従い、そして 自分が救った義仲に討たれることを選んだのだ。しかも越前は実盛の故郷で ある。故郷に錦を飾るという言葉通りに、請うて大将のいでたちをして、 髪を染めて。
源平布引滝は時点を30年前のエピソードに戻しながら、そうした実盛の 「覚悟」を克明に描き出している。それは平家物語、源平盛衰記、世阿弥の 「実盛」といった伝承の重層性を利用した見事なものだ。
実際には多分、源平布引滝そのものを眺めた時には、こうした実盛のみをクローズ アップするような見方は正しくないのかも知れない。文楽ではしばしば行われるように、 ここでも実盛と義仲のエピソードは枠物語であって、その中では小まんを中心とした 祖父と母と子の物語が物語られているのだから。
けれども少なくとも私にとっては、この物語は実盛の物語なのである。 今回の上演を拝見して、実盛の生き様への共感が時代を経て今に至るまで脈々と 引き継がれている、そしてまた自分がその末端にいるのだという認識を実感として はっきり抱いた。これはとても貴重な経験であったと思う。
(2005.2 公開, 2025.1.19 noteにて公開)