神霊矢口渡(2002年9月)
9/16神霊矢口渡を観た。
平賀源内作の江戸狂言とのこと。話は特に印象に残るようなものではないが、それに生命を 吹き込んだのは十九大夫さん、清治さんの床と、お舟、それから六蔵の人形だった。
文字久大夫さん、宗助さんの端場はきっちりと状況設定、人物設定、背景が説明され、 切場へと仕組まれていくのが印象的であった。
切場は特に後半、頓兵衛に向けてのお舟の感情の迸りがすさまじく、こういった趣向の話に これほどの迫真性が感じられるとは予想していなかったこともあり、圧倒された。人形の 動きは激しく、様式的なのだが、その動きも止まった姿勢も全く自然に感じられ、 その視線から、身体からまるで人間のように気が放たれているのを感じるのだ。 最近よく思うのだが、これは丁度、能のシテの極度に様式化された動きが、その一瞬に 矯められた気によって強烈な感情表現を可能にするのと並行するかのようだ。もっとも ここでは人形が身体を獲得するのであって、方向はいわば逆なのだが、人間には不可能な 有り得ない不自然さも人形なら容易にできてしまうことを考えれば、一回人間の動きに 辿り着いて、その地点から逆に様式へと辿っているのであり(勿論、実際にそのような 往還があるわけではないだろうが)、これはただただ驚異だ。考えてみれば語っているのだって 床の大夫さんで、しかも科白を写実的に語っているのでは全くないのに、そこに聞えるのは お舟の声なのだ。醒めて考えれば他愛も無い、もしかしたらやや不自然な話に違いなくとも、 そこにあるのは疑いなく真正で自然な感情なのだ。この作品でこうした自然さに遭遇するとは、 思いもよらないことだった。
人形の遣い方の鮮やかさ、という点では玉也さんの六蔵もまた、圧倒的だった。六蔵の ようや役はやりすぎもやらなさすぎも気になるという、(少なくとも私にとって)やっかいな タイプの役柄なのだが、その性格がこれまた自然に感じられ、特に細かい動きに六蔵の心の裡が 感じ取れたのは特に印象的だった。今回は紙屋内の五左衛門も素晴らしく、最近玉也さんの 舞台は皆、印象に残っている。
最後お舟と格闘して川に投げ込まれるところ、六蔵が川に落ちるところの間合はあまりに 素晴らしく、客席から感嘆のどよめきが挙がったほど。お舟が櫓で息絶えた瞬間に幕が ひかれるまで息継ぐ暇ない見事さで、充実感のある舞台だった。
併演は夏祭浪花鑑。寧ろ演目としてはこちらがメインだが、夏祭浪花鑑は昨年TVで観た 大阪公演の印象が強すぎ、そのせいか違和感や疑問を感じる部分が非常に多かったが、 これはそうした個人的な条件の問題だろう。
そのなかでも住大夫さん、錦糸さんの床のうまさはさすが。人形で印象的だったのは、 玉英さんの傾城琴浦。琴浦に関しては、今回の方が印象に残った。勘寿さん改め紋豊さんの 磯之丞は変わらず良かったと思う。
長町裏は緊張感と迫力があり良かったと思うが、私の好みからは少々くどく、 陰惨な感じが勝り、救いの無い世界に感じられた。勿論これは純粋に好みの問題だし、 私も近松とかであればこうした感じ方は納得のいくものなのだが。
(2002.9 公開, 2024.10.11 noteにて公開)