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「仮名手本忠臣蔵」山科閑居(女流義太夫2002年12月公演)

「仮名手本忠臣蔵」山科閑居(女流義太夫12月公演) 朝重・友路

2002年最後の聞き納めは、女流義太夫演奏会。朝重さん、友路さんの山科閑居が出る、という ので迷わず出かける。勿論、堀川猿回しの記憶も鮮明だし、FMで放送された山科閑居は素浄瑠璃 では今まで聴いた中で文句無しに最高の演奏。実は女流義太夫のいわゆる定期演奏会は今回が 初めて。

演芸場につくと、待ち合いの席がほとんど埋まったくらいの状態。率直に言って、あまりに 空いていて驚いてしまった。やっと半分か三分の二の席が埋まったかというところだろう。

一方では小劇場の公演が大変な混雑をしていたというのに、これはどうしたことか。 同じ義太夫節で、間違いなく現在最高の演奏が聴けるというのに。おまけに、聞くところに よれば、女流義太夫の定期演奏会は自主公演なので、記録がなされることもないらしい。 思うに現在、伝統芸能はちょっとした流行期にあるに違いないのだが、その中でのこうした 状況には一観客として疑問と、若干の怒りすら覚えずにはいられない。もっとも、他の ジャンルでも同じような感慨を抱かれている方は、少なからずおられるに違いないとは 思うし、流行というものには、良し悪しの問題とは別に常に作られた側面があり、 恣意的な選択が行われてしまうものだとは思うが。

今、当日聴けた演奏を思い出すにつけ、そうした感覚は強まりこそすれ、決して弱まることは ない。朝重さんの語りの現代的な緻密さと、明晰さは素浄瑠璃にも関わらず、そこに人物を 現出させるし、友路さんの三味線は、その導入から、山科の風景に聴衆を連れ込む。

朝重さんの語りは、誰か一人に焦点を当て、聞かせどころというのを設定する語りではない けれど、話の持つ構造を自ずと浮かび上がらせ、この場合であれば三人の女性のそれぞれの 心理を隈なく浮かび上がらせる。語りの頂点はお石の難題に窮した戸無瀬の心のためらいに ある。しんとしずまりかえった冬の空気の冷たさが、語りの間に流れ込んでくる時、戸無瀬の 気丈さと、気弱さを往来する気持ちの痛ましさが浮かび上がる。しかし、ここでは戸無瀬 だけに焦点があたることはない。お石のその鋭い言葉を支える気迫の端々に、強さの背後に 隠された悲しみが浮かび上がる。小浪の心には母二人のような屈折はなく、それゆえに一層、 母二人のそれぞれの屈折の襞に影を投げかけずにはおかない。そうしたことがしじまのうちに 現出するのだ。

友路さんの三味線については、どんなに言葉を尽くしても足りないだろう。とにかく、 これは普段文楽で聴くのとは別の楽器ではないか、と思わせる。音のパレットの広さの 桁が違うのだ。よく言われる「弾きわけ」という言葉は、こうした演奏でなら、私のような 素人でも容易に理解できる。私は三味線の演奏技術に関する専門的な知識はなく、単に そこに現象する音響を享受するだけの立場だし、まだ聴き始めて日も浅く、 その違いの内容を技術的には云々できない。しかし、その違いはここに至ってはあまりに 明らかである。一言でいって情報量が違う気がする。普段耳にする演奏、特に若い人の演奏では、 一つか二つ次元が退化してしまっているのではないかと疑いたくなるほどである。 確かに音程・音形は同じかもしれないが、音が均質化され、平板な印象を拭うことができない。 思うにこれは芸の格とか、歳の功とかいうのとは違う次元の話ではなかろうか?

勿論、これは実は演奏様式の違いに過ぎないのかも知れないし、一概に善し悪しの問題には できないのかもしれない。そしてまたこれが、友路さんの独自のものなのか、それとも伝え られ、伝えられていくべきものなのかも私にはわからない。しかし、その素人目にも明らかな 違いを前にすると、こうした演奏を実際に聴けたことの幸運を感じる一方で、それが記録として 残らないかも知れない、そしてその演奏様式が伝わらないかも知れないと思いにいたたまれない 気持ちになる。私が聴いても、自分なりの狭い見識と感受性でしかその素晴らしさを享受する ことができないし、その感動を残す術も持たない。もっと、聴くにふさわしい人、聴くことを 何らかのかたちで再生産に繋げることができる人が、たくさん居るのではないかという気が してならない。

何か、演奏を聴いての感想とは違った内容になってしまったかも知れないが、これらもまた、 演奏を聴いて感じたことには違いなく、記録にとどめておきたいと思う。

とにかく、最初からもう、全く違うのだ。三味線の音が時空を生成するのだ。三味線の音は 語りを少し先取りするように、風景を現出させる。その音はこれから起こることの予感と、 現在に充溢する情動と、過去化する現実の豊かさに充ちている。それは決して実在しない 語りの現実の重みに充ちているのだ。

(2002.12 執筆・公開, 2024.9.30 noteにて公開)

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