「赤ずきんちゃん伴奏器」「東の唄」の再演を聴いて
2016年11月6日 アーツ千代田3331 2階体育館
「メディアパフォーマンスとは何か?IAMAS20周年から考える」
三輪眞弘:メゾソプラノとコンピュータ制御による自動ピアノのための「赤ずきんちゃん伴奏器」(1988)
ソプラノ:太田真紀
三輪眞弘:2台のピアノと1人のピアニストのための「東の唄」(1922)
ピアノ:寒川晶子
テクニカル・サポート:松本祐一
音響エンジニア:ウエヤマトモコ
ステージ・マネージャ;後藤天
司会:松井茂
三輪さんの「赤ずきんちゃん伴奏器」「東の唄」の約四半世紀ぶりの再演に立ち会った感想を以下にまとめておく。
近年、三輪さんの初期作品の再演が続いていることについては、今年の2月に再演された 「歌えよそしてパチャママに祈れ」の演奏の感想にも記した通りで、今回の再演により、 CDアルバム「赤ずきんちゃん伴奏器」所収の作品のうち、いわゆる「テープ音楽」で上演の契機を欠く Dithyrambe以外の3作品が総て再演されたことになるし、三輪さんの初期作品群の頂点であることについては 衆目が一致するであろう「東の唄」の再演が、今後も続くらしい一連の再演のプロセスの節目の一つと なるであろうことは間違いない。コンピュータ音楽ならではの機種依存性のために、エミュレーション環境を 用意しなくてはならないといった技術的な困難に加え、自動ピアノ2台と、島唄を流すための スピーカシステムを必要とする作品の上演には高いハードルがあることは容易に想像される。
こうした再演が可能になったのは、文化庁「メディア芸術アーカイブ推進支援事業」の一環として 行われているIAMASの「三輪眞弘メディアパフォーマンス作品の保存・修復・資料化プロジェクト」の 枠組みあってのことらしく、この演奏会も、メディア芸術祭20周年企画展の連携企画として行われた 「メディア・パフォーマンスとは何か?IAMAS20周年から考える」というコンサートとシンポジウムの 2部構成からなるイベントの第1部として行われたものであった。会場は(近年よくあることだが) 神田にある元公立学校の建物をイベントスペースとして活用したアーツ千代田3331の2階の体育館。 周囲の元教室ではメディア芸術祭20周年企画展が行われていて、来場者で賑わっており、 イベントの入場も含めて無料ということもあって、通常のコンサートとは雰囲気を異にしたものであった。
或る種の記念イベントであることを考えれば、メディア芸術の祭典の奉納儀礼の一つとして、 それは三輪さんの作品のコンセプトに相応しくもあり、他方で、コンサートホールやスタジオではない、 元体育館での演奏は、音響的には凡そ理想的とは言い難く、後述のように、演奏を聴取するという観点からは 制約があるものであったが、例えば能楽が奉納の目的で行われる場合を考えれば、それは副次的なもの であると考えるべきなのかも知れない。演奏会場たるホールもメディアの一部には違いなく、 演奏会の文脈もまた、広義では「媒体」の一部を為すものであろうが、イベントのタイトルにある 「メディア・パフォーマンス」の観点から、今回の企画自体がどうであったかについては、 門外漢の私に語る資格はなく、また、時間的な制約から、第2部のシンポジウムを聴くことが叶わず、 会場を後にしたこともあって、以下に記録するのは、あくまでも通常の音楽の聴取の感想であることを 事前にお断りしておきたい。三輪さん以外に日本の電子音楽についての大著のある川崎弘二さん、 芸術学の伊村靖子さんが登壇し、松井茂さんがモデレータをされたシンポジウムがどんな内容であったかは その内容に相応しい別の方が報告してくださることであろう。
(前書きの終わりに個人的な文脈について記しておきたい。「歌えよ、そしてパチャママに祈れ!」の 再演の感想の末尾で、三輪さんの作品の演奏に立ち会うことが、私にとっては「巡礼」のサイクルの一つ、 それを欠けば後でそのことを必ずや惜しむことになるに違いない一つであること、 私個人の聴取の姿勢というのは、それが能楽であろうが、クラシックのコンサートであろうが、 あるいは美術展であろうが、最早対象を問わず、ある種の「巡礼」でしかないこと、 それは聴取に限らず、何某かそこに意義があるとしたら、その意義は、その行為が「巡礼」であることに 帰着するように感じられることを記した。そしてそのコンサートの行われた渋谷のホールのある場所は、 北村透谷にゆかりのある聖ヶ丘教会のすぐ近くで、私個人としては、そちらの「巡礼」ルートの 近傍であることを意識せざるを得なかったことを記した。そのすぐ後の「スポーツ劇」の公演会場は、 若き日の透谷が通訳のアルバイトに通ったかつての外国人居留地で、建物の脇には、 その当時の建物の一部が保存されていたのだが、今回もまた、その「巡礼」の続きとなったことを、 これは専ら個人的な備忘として記録しておくことにする。今度は透谷が後に妻となる美那と再会した場所、 後に透谷の義父となった石坂昌孝の別宅「慶令居」があったとされる本郷龍岡町が比較的近く、 私にとってはいずれも最寄りが千代田線湯島駅ということで、「透谷巡礼」の経路との交錯をまたもや 経験することになった。)
会場である体育館の時計で開演予定の15時30分を5分ほど過ぎて、イベント全体のモデレータである 松井さんの挨拶があり、各作品の演奏の前には、三輪さんのかなり詳細な作品の説明が行われた。 この点も通常の演奏会とはやや性質を異にする点だったかも知れないが、現代音楽のコンサートでは しばしば見られることでもあり、シンポジウムの基調講演に相当するものと考えれば、寧ろ自然でさえあり、 違和感はない。「赤ずきんちゃん伴奏器」は1988年の作品の再演ということで、 三輪さんが冒頭に触れたのは、その当時のテクノロジカルな環境のことで、ワープロはまだ専用機の時代、 携帯電話は普及する前、Webはまだ存在せず、インターネットがようやく日本の大学で利用され始めた 時期という特徴づけをされていた。個人的には卒業論文をフランス語入力に苦労しながらワープロ 専用機で書き上げ、就職した先ではすぐ隣の部署で、今はIAMASの学長をされている吉田茂樹さんが インターネットの管理をされていた時期であり、当時もまたAIの流行の最中であったことを思い出す。 当時は三輪さんの活動を知るべくもなく、UNIX上で文字認識システムや自然言語処理システムの 開発の末端に連なりながら、あっという間にLPレコードにとって替ったCDで音楽を聴き、 ごく偶に、ある時期には職場のすぐ隣に物理的には存在していたサントリーホールでコンサートを聴く、 といった状況であったことを思い出す。当時の私が具体的に接することができたコンピュータを用いた 音楽は、ほぼクセナキスの試みに限定され、高橋悠治さんが翻訳された「音楽と建築」から刺激を 受けていた私が三輪さんの音楽に出会うのは、丁度、現在までの期間の中間点あたりのこと、 CDで聴いた「赤ずきんちゃん伴奏器」と「東の唄」を通してであった。 音楽、特に現代音楽を専門としている人にとっては事情は異なるだろうが、私のような 普通の市井の音楽の聴き手にとっては「録楽」が、三輪さんの音楽に接する唯一の経路であったし、 作品のみならず、「東の唄」CDに含まれていた自動音声読み上げシステムによる自作品解説は、 やっと自分が漠然とイメージしていた「音楽」を実際に実現しているということを実感させる上で 決定的であり、その活動をそれまで知らなかったことに愕然としたことが思い出される。
ということで、この2曲についてはCDに付された解説もあり、更に「赤ずきんちゃん伴奏器」については 三輪さん自身による詳細な紹介が「コンピュータエイジの音楽理論」に収められてもいるので、 作品自体についての説明は割愛して、上演に立ち会った印象のみを書き留めておくことにしたい。
最初の太田真紀さんの歌唱による「赤ずきんちゃん伴奏器」の実演は、この作品の面白さを十二分に伝える 素晴らしいものであり、再演がこれ一度きりというのが残念なほどであった。 太田さんの表現の幅の広さと歌唱技術は、狭義では音楽的な表現を超えた側面を持つ作品に対して、 余裕を感じさせるほどの自在さで、三輪さんが、いわば苦し紛れに用意した「狂った母親」の 歌い聞かせという枠組みは不要、寧ろ自在に自動ピアノの反応を引き出す魔法使いであるかのような、 圧倒的な独演パフォーマンスであったと思う。実演に接してみると主人公は実は歌手である人間であり、 高度に訓練された人間のプロフェッショナルの歌唱者が、如何に鋭敏に機械の反応に対して フィードバックを行って自分の演奏を組み立てていくが目の前で鮮やかに繰り広げられるのに 圧倒されたというのが率直な印象である。当日は楽譜も展示されており、幸い「赤ずきんちゃん伴奏器」の 方は手にとって確認することができたのだが、何箇所かの歌唱パートの楽譜が付されている以外は 読み上げるべき言葉とインストラクションのみの情報で、細部は演奏者に委ねられている上に、 最初に述べた四半世紀前のコンピュータ上で動いていた作品を現在の環境で動かすという技術的な困難から、 リハーサルの時間も限定されたものであったことが想像できるだけに、寧ろ人間という音楽自動演奏機械の 能力の高さを強烈に印象づけられることになったように感じられる。この作品の本来の価値は、 実演でしか感じ取れないものではないかと思うが、それでもなお、CDに加えて、これまで写真から 想像するしかなかった演奏の映像の記録が残ることは特にこの作品の場合には貴重であり、今回の アーカイブの価値は極めて大きいと思われる。
二曲目の「東の唄」の前にも三輪さんの事前説明があったが、その中でゲネプロでは演奏の終盤で システムが落ちてしまい、自動演奏が止まってしまったという説明があった。その後での演奏では、 まず最後まで落ちずに辿り着けるかが何よりも気になってしまうのは致し方の無いことである。 エミュレーション環境のWindowsへのリソース割当の問題であったらしく(この曲の最後のパートが 「メモリ・オーバーフロウ」と名づけられているのは偶然にしては出来過ぎだが)、設定を変更しての実演は 無事に最後まで辿り着いて何よりであった。こうした反応は、何度も繰り返し演奏されてきた作品の 解釈を享受することに重きが置かれ、超絶技巧を要求する難曲を弾きこなす名人芸にフォーカス されることはあっても、「芸術性」は二の次のような扱いを受けることが多いクラシック音楽の コンサートを基準にとれば、本質的でない部分に気を取られているという判断を下されかねないが、 これを奉納と考えれば、間違いなく最後まで演奏がされることが第一義的となるのは当然のことである。 日本の伝統芸能では「翁」の例が思い浮かぶが、高度に「芸術」化され、演者の解釈が問われる能においても、 「翁」のみは別格で祭礼としての側面を濃厚に遺しており、それ故に演者の注意は、 第一義的には間違いなく、滞りなく上演が為されることにフォーカスされるようであるし、 三輪さん自身の作品でも、後年の「逆シミュレーション」音楽でも、そこでは間違いが 状態遷移のエラーを惹き起こすという構造的な特性もあって、間違いなく演奏されることが重視されることを 思えば、こうした状況は別段異様なこととは言えないだろう。
一方で、「東の唄」の演奏では、会場が体育館であるが故の音響の制約を感じずにはいられなかった。 私が聴いた位置が自動演奏されるピアノの正面であったことや、島唄が再生されるスピーカーの正面でも あったこともあり、2台のピアノとスピーカーからの音響が交錯する音響的な頂点では飽和が起きて、 寒川さんの弾くピアノの音響が埋没しがちな印象を受けたのである。一方で、いわば「遠慮なく」鳴り響く 再生装置の音響や、MIDIシーケンスを自動再生するピアノの音響と、寒川さんが弾くピアノのタッチの 異質性もまた際立ったものと感じられた。(ラッヘンマンならそれは「異なる楽器」であると言うのでは なかろうか。)近年ではピアノの自動再生の技術の進展も著しく、人間のタッチの再生の追求も行われて いるようだが、この作品では寧ろ、差異が際立つことこそが想定されていたのであろうことを思えば、 どれもが全て等しく、スピーカーから再生されてしまう「録楽」ではなく、実演に接することの意味は やはりこの作品においても極めて大きいものと思われる。人間の演奏者が、自分の演奏したフラグメントの 再生も含めた周囲の音響に対して敏感に反応して「音楽」が実現されていく圧倒的なプロセスを経験することの 意義については「赤ずきんちゃん伴奏器」と同様である。
既述の通り、演奏会が終わった後、休憩を挟んでのシンポジウムは残念ながら聴くことができなかったので、 そこでどのような議論が為されたかは知るべくもないが、まさに「メディア・パフォーマンス」として、 どちらの作品も、実は人間の演奏者の独演である、というのが実演に接した私個人の印象であることは 再度強調しておきたい。顕著なのは、人間が機械に合わせる反応の側面であって、周囲の音響に反応する ということ自体は人間同時のアンサンブルでもそうなのだが、ここでのそれは人間だけのアンサンブルとは 異質なものであることがはっきりと感じ取れるのである。つまり、ここでの機械のリアクションは アンサンブルにおけるリアクションではなく、コミュニケーションは双方向に見えるが、 実は異なる性質の向きの異なるコミュニケーションがあるのであって、それぞれは一方通行なのだ。 これは、AIの初期、つまり今回再演された作品以前に既に、「チューリングテスト」同様の 文字での機械との対話において、人間の側が構成する認知的なフレーム、志向的スタンスにより あたかも機械を人間であるかのように思い為す機制ともどこかで通じていて、それはテクノロジーが 進展した現在では、ロボットやアバターと人間とのコミュニケーションでも起きていることでもあり、 そうした側面を、当時の技術的な制限下で、その制限を逆手に取るように作品のコンセプトとした 先見性は、まさに驚異的なものだと感じられる。勿論それは、CDの演奏記録を通じても感じ取れたし、 だからこそ10年以上に亘って三輪さんの活動を追うことになったのだが、初めて実演に接して改めて、 その凄みのようなものを感じたことを記録しておきたい。
その上で、門外漢であることを前提に敢て言えば、メディア・アートにおける「メディア」という 言葉の肌理の粗さを感じずにはいられない。それはメディア・アート「ではないもの」の側の大きさを 逆説的に示しているように思われる。勿論実際には、メディア・アートではないものにも テクノロジーの浸蝕は進んでおり、そこではメディアは不可視で透明なものとして、気づかれないことも 多いだろう。従って勿論、それを可視化して、主題化することの意義は疑うべくもないが、 もしそれを「定義」とするならば、勿論、例えばスティグレールのように長大なパースペクティブを 持つ例もあるとはいえ、一般にはその射程の短さが気になってしまう。音楽の領域で一例だけ挙げれば、 例えば記譜法のシステムは、音楽的思考と表裏一体の関係にある。白色定量記譜法による音楽を 現在の記譜法に書き直して演奏することを考えて見れば良い。一対一の対応は成立しえず、ムジカ・ フィクタのような側面や小節線を考慮した「翻訳」がそこには入り込むのだが、裏返せば、 当時の人間と同一の認知が可能であり、完全な復元が可能であるというのは虚構に過ぎず、 そもそも音の重なりをどのように聴いていたのかは、推測により構成するより他ないのだ。 だとしたら、今回のように技術的な困難が克服され、エミュレーションによる再現が 可能になったとして、それでは聴く側は四半世紀前と同じように聴いているのだろうかという疑問は残る。
それはメディアについてのラディカルな思考に裏付けられた作品こそが人に突きつける問いではなかろうか。 単に既成のメディアを利用して作品を制作すればメディア・アートであるというような安直なものは論外として、 同じメディアを用いても、それが主題化されなければメディア・アートではないのだろうか? それを主題化した受容をしなければメディア・アートではないのだろうか?メディア・アートの側の 事情は詳らかにしないが、結局、あまりその点には私は関心が持てそうにないのである。 寧ろ、メディア・アート以前から常に行われてきた素材との格闘(そこでは当然、素材は意識化されるが それ自体が主題化され目的と化することは決してない)と、それによって何が実現できたかが 問題ではないのか。メディア・アートの評価基準がそうでないのだとしたら、そしてその結果として、 単に媒体へのコンセプチュアルな問題意識だけで評価されてしまう、実現としては陳腐にしか感じられない もの(そういうものはたくさんあるし、それが評価されていることも知っているし、その事実に違和感と 苛立ちを感じずにはいられないのだが)こそがメディア・アートなのだとしたら、 私にとってそれは疎遠なもの、端的に言って不要なものと言う外ない。 しかもそうした水準に留まるものは、一見したところそれが批判していると思っている当のものに 容易に反転しうる危険を孕んでいることが多い。個人的にはそれは「アート」とは別のものであると 言いたいように感じる。「アート」はそれとは別のものに価値を置いていて、それゆえ、そうした 脆弱さから逃れうるものではないだろうか。
私見では三輪さんの作品にも、そうした危険を孕むものがないではないけれども、少なくともこの2作品は そうではないし、逆シミュレーション音楽以降の近年の作品もそうではないと思う。 2つだけ例を挙げれば、(その音楽が同時代に置かれた状況も含め)オケゲム、パレストリーナや バッハの音楽に通じるもの、そして「東の唄」で幾たびか煌めく、ラヴェルの音楽の持つ或る種の質、 寒川さんのピアノのタッチが捉えている何物かを三輪さんの作品が備えていること、そのことが 作品を「音楽」たらしめているように思うのである。勿論、「メディア・アート」というコンセプトが 重要な意義を持つ文脈が存在することを否定するつもりは全くないが、少なくともここでは、 メディア・パフォーマンスであるかどうかといったことは二義的なものに過ぎないように私には感じられる。 端的に言えば、たとえ保守的と言われようと、私は三輪さんの「音楽」を聴きたいし、 三輪さんの「音楽芸術」に向きあっていたいのであり、それが「メディア・アート」としてどのように 評価されるかは副次的な問題に過ぎないのである。
今回は個人的に三輪さんの「音楽」を知るきっかけとなった2枚のCDに収められた作品の再演ということで、 一際感慨深いものがあった。こちら側に進歩がないのではという疑念も頭をもたげてくるが、 「覚え書」を書いて三輪さんにコンタクトをした時に「録楽」を通して予感していたものが、 ようやく接することのできた実演においても確認できたことは感慨深い。思えば少し前に、 ペルゴレージの「スターバト・マーテル」の自動音声合成アコーディオンと人間による「重奏」の オルガン伴奏での演奏の際に、「新しい時代」の再演も行われ、これまたCDでの歌唱のみで知っていた さかいれいしうさんの歌唱に接した折、「赤ずきんちゃん伴奏器」の実演も是非聴いてみたいと 三輪さんに伝えたことがあった。まずはそれを実現していただけたことに対して、三輪さんをはじめとする 関係者の方々に感謝しなくてはならないのだが、ファンというのは欲張りなもので、それならば、 という想いが次々と湧いてくるのを抑えることは難しい。
例えば、コンピュータのリアクションを利用した作品にはその後の三輪さんは取り組んでいない。 かつては素材であるテクノロジーに存在した制約を逆用して書かれた作品の方は、四半世紀の時を 経て再演され、それが時代を超えた価値があることが確認された。だがその実現のために、実際には わざわざエミュレーションが行われているのである。それでは現在の技術を用いたらどうなるのか? 室内楽の演奏に自動ピアノが加わるようにさえなりつつある現在のテクノロジーを前提にした場合、 同じ枠組みであったとしても、結果は同じにならず、全く異なる作品となることだろう。 ある意味では、これは時代の制約に基づく産物を期待していることになり、それは三輪さんの活動が、 もっと先に行っていて、アーカイブされて時代を超えて記録されようとしている現在には相応しからぬ 問いなのかも知れない。実際、近年の三輪さんの作品でも、機械と人間との合奏そのものは 存在する。既述の「スターバト・マーテル」のようなフォルマント兄弟名義での活動もそうだし、 「ひとのきえさり」のような自動演奏機械との合奏作品もある。だが、そこでは機械は、人間の 補綴的な器官として、迂回してではあるが人間の操作する道具であるか、超然としていて、人間の 側がそれに寄り添うしかないかのいずれかであるように思われる。今一度、現在のテクノロジーで、 例えば「逆シミュレーション音楽」のコンセプトの延長線上で、機械からのリアクションを伴う 人間と機械の合奏を期待するのは聴き手の勝手な夢、現在の状況には相応しからぬ、 禁じられた夢なのだろうか?それはこの再演を通じて、三輪さんから突きつけられた問いとして、 まずは聴き手が各々考えるべき問題なのかも知れない。
(2016.11.10初稿公開, 2024.10.17 noteにて公開)