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大田区民プラザでの文楽公演を観て(2005.3)
大田区民プラザでの文楽地方公演は毎春の恒例で、私も文楽を観始めてからずっと観に行っているが、 良い上演に巡りあえる可能性が非常に高いように思う。実際、幾つかの曲では最も印象に残る演奏は この地方公演でのものだった。地方公演ならではのどことなくリラックスした雰囲気と、(実際には 技芸員の方は同じ曲目でもってずっとあちこちを巡業されているのではあるが)一期一会的な 緊張感のバランス、その一方で毎年恒例ということで熱心な観客が産み出す熱気のようなものが、 印象に残る舞台を生み出すことに寄与しているように思える。
今回は「艶姿女舞衣」酒屋、「義経千本桜」道行初音旅、「桂川連理柵」帯屋、 「日高川入相花王」渡し場という番組であったが、いずれも印象に残るものだったので、 それぞれについて感想を残しておきたい。
「艶姿女舞衣」酒屋は、NHKテレビで拝見した嶋大夫さん、清介さんの素浄瑠璃が圧倒的だったが、 今回は同じ床に、簑助さんのお園がつくという豪華なもの。
嶋大夫さん、清介さんの床は、半年前の府中での公演でもそうだったが、前半の宗岸・半兵衛の語りが 感動的。特に宗岸の語りは何回聴いても感動する。
しかし今回は、その後に続くお園のクドキが圧倒的だった。率直に言って、この話は決して良く出来た 話でもないし、文章も優れたものでもないと私は思うが、今回の舞台では、そうした作品自体の出来は どうでも良くなってしまった。変な譬えだが、能でいけば作品自体の出来とは別に、名手が舞うと 舞自体の力に捻じ伏せられてしまう印象を受けることがあるが、それに近い。型の連続が単なる 型の連続ではなく、感情の発露そのものであるような、強い気のようなものの発散を感じたのである。 話の脈絡は措くとして、とにかくそこに表現されたお園の気持ちの純粋さ、感情の真正さが感動を 呼び起すのだ。能ではしばしばあることだが、文楽でこういうタイプの印象を受けたのは初めて だった。
「義経千本桜」道行初音旅は津駒大夫さん・寛治さんのシン、紋寿さんの静御前、勘十郎さんの狐忠信と いう豪華なもので、今まで拝見した中でも最も華がある舞台であったと思う。この道行は詞も 曲もよく出来ていると思うが、春の雰囲気に満ちた寛治さんの三味線で聴くのは格別である。 いつものことながら、春風駘蕩といった風情のゆったりとして華やいだ出だしを聴くと、それだけで 気持ちが良くなってしまう。
静御前は、まさに舞の名手、しかもただの白拍子ではなく、義経を追っているという文脈も感じさせる 品格のあるものだった。一方の忠信は実際は鼓を追う子狐なのだが、その変身ぶりは見事で、 途中の八島の語り、継信最期の場面などは本物の忠信も顔負けといった感じ。大きく勢いのある動きが 気持ちよい。継信最期の扇の矢もきれいに決まり、半時間ほどがあっという間に過ぎてしまう 充実した舞台だったと思う。
夜の部は「桂川連理柵」帯屋から始まる。前半のチャリがかった部分は伊達大夫・富助さんの床。 伊達大夫さんの婆と儀兵衛の語りが豪快で、狂言でいわれる「わわしさ」に近い感触を感じた。 人形では勘緑さんの儀兵衛がそうした語りに見合った大胆さで、これは寧ろ吃驚してしまった。
後半は綱大夫さん・清二郎さんの床に変るが、特に長右衛門・お絹夫婦のやりとりが 息が詰まるような緊張感があって聴き応えがあった。人形では紋寿さんのお絹が印象的。 このお絹は「良妻」ということになっているが、浄瑠璃を聴くと、頭の回転が速く、実行力にも 富んでいるけれど、一方では結構気性は強くて、一筋縄ではない感じがするのだが、そういう 性格がはっきりと感じられた。前半では長吉に対する目配せ、義母に見せる怒り、そして後半では 煙草盆を使ったクドキと、迫真の演技だったと思う、一方の玉女さんの長右衛門は、そうした お絹と対照的な性格がはっきりと伝わり、これも大変に説得力があるものだった。長右衛門というのは なかなか複雑な性格で、そのどの部分が前面に出るかは様々だと思うが、今回の場合には、その 人の良さ、いさぎの良さのような本来長所である筈のものまで、共存する弱さのせいでマイナスに 機能してしまうという長右衛門の性格の問題がはっきりと感じられたように思える。
最後は「日高川入相花王」渡し場。断片的にこの場のみしか取り上げられないということも あって、これまで拝見しても今ひとつぴんと来ない話だったが、今回の簑二郎さんの清姫は 説得力のあるものだった。途中の船頭とのやりとりは、作品そのものがややとって付けた 感じがあるせいでどうしても手持ち無沙汰になるが、出の緊張感や、その後蛇に変貌する過程の などは見ごたえがあったと思う。
(2005.3.26 公開, 2025.1.21 noteにて公開)