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五世豊竹呂大夫を偲ぶ会(2002年8月14日)

舞踊「三成」(五世豊竹呂大夫を偲ぶ会) 立方:尾上菊之丞 津駒大夫・清治・藤舎呂船 他

8/14、五世豊竹呂大夫を偲ぶ会に国立劇場へ。
自由席とのことなので、開場前には着こうと出かけ、30分前くらいに着いたのだが、 既に長蛇の列で驚嘆。立見も出る盛会で何よりだった。

最後の「三成」が立方も、語りも、三味線も囃子も緊張感が高く、見ごたえ、 聞きごたえのある素晴らしいものだった。作品も演奏もいずれにも非常に強い 印象を持った。これは是非、今後も繰り返し演奏されて欲しいと思う。
個人的には石田三成という人物には関心があり、三成の最期にまつわるエピソード なども幾つかは聞き覚えがあり、それらが巧みに取り込まれていたのを楽しむこと ができ、説得力を感じた。これはある意味では意外ですらあった。なぜなら、 これらのエピソードが作り上げる三成の人物像、現実的・現世的で、仏教的な 信仰の文脈に取り込むことが困難であり、さりとて風流にも縁遠く、また、 身分や血筋を問題にすることもできないという点で、例えば能の負修羅物のシテの 典型的な造形からは遠く、何となく舞踊や劇の登場人物としては華に欠けるように 思えていたからだ。しかしこれは例えば観世元雅作と考えられる作品(「隅田川」や 「弱法師」「盛久」など)、あるいは「俊寛(鬼界島)」(これもまた元雅に帰する 説があるらしいが、これは素人目にはいかにもふさわしいと思える)で表現されて いるものを思えば、必ずしも当を得ていないということがわかるし、拝見した舞踊も、 絶望的な状況にあって、孤独のうちに、なおも良く生きることの理想を捨てない人物の 姿を描き出して、感動的であった。私個人としては、三成のような生に執着し、 生き様にこだわり、現世で何ができるかをひたすらに考え抜くような生き方には それなりの共感を覚えないでもなく、非常に心打たれるものがあった。
私は日本舞踊はほとんど観ないので、立方の所作も、囃子の手も、相対的には 見慣れた能の舞囃子と無意識のうちに比べてしまうことが多いのだが、そうした 印象を少しだけ書けば、所作はもっと動かない振付けもありうるように思えた。 立ち姿が如何にもそれにふさわしいものに思えたので。ただし、それでは三成では なくなってしまうかもしれないが。また囃子では、鼓の手が華やかなのに驚いた。

「奥庭狐火」は、床を舞台の上に設けたので、常とは寸法も勝手も異なるようで、 大変そうだった。また、この場面はやはり十種香の後に来るのがふさわしい のだということも強く感じた。これは私の側の問題であって、結局、最後まで うまく入り込むことができず、残念だった。

中間の映像詩とやらでは、呂大夫さんの語りの素晴らしさが認識できた。 もともとそれが目的であったようなので、そうした意味ではこの企画は 成功だったと思われる。 (ある人がこの映像詩をタンドゥンの「門」と比較したが、これは的確と 思われた。呂大夫さん、雀右衛門さんといった人達の芸の持つ力、そして そこでとった姿よりは寧ろオリジナルの物語が持っている力がまざまざと 印象づけられるという点で、確かに共通している。)
実は呂大夫さんの実演には接したことがない。私にとって初めての実演は 呂大夫さんが平右衛門を勤めることのできなかった「忠臣蔵」だったから。 それゆえ今回初めて、呂大夫さんの幅広く意欲的な活動を知ることができたの だった。
いただいた冊子を読みながら思ったのは、能における観世寿夫さんの歩みだった。 芸の円熟を前に夭逝されたこともまた、共通しているように思われ、何より 観世寿夫さんもある時期、能を超えた活動を志されたことと、この映像詩への 呂大夫さんの取組みとが重なり合うように思えたのである。しかしながら これは適切な連想ではなかった。というのも、くだんの映像詩が1990年代に 入ってからの制作であることを知って驚くとともに、戸惑いを覚えることに なってしまったので。ここでもう一度、タンドゥンとの比較の 方が遥かに当を得ていることを確認せざるを得なかった。そして更に、 噂に聞く最近の子供向けの新作の演出方針等を思い浮かべ、(これは個々の 演者の次元の問題ではないので、)制作者の考えている可能性の行く方が 示されているように思えた。
一方で、呂大夫さんの芸を偲ぶのであれば、もっと他にあったのでは、という 思いもまた、拭えなかった。せめて素浄瑠璃でも本公演でも、何らかの上演記録こそ、 呂大夫さんの素晴らしさをよりよく知ることができるのではと思う。もっともこれは 私が呂大夫さんの芸に接していなかったという、まさにそのことのためかも知れず、 会に参加された多くの、呂大夫さんの芸をよくご存知の方にとっては、くだんの映像詩こそ、 その幅広い活動を偲ぶにふさわしいものであったに違いないが。

呂大夫さん後の文楽、ということに関しては、今回の公演では特に津駒大夫さん、清治さんが 印象的だった。清治さんは作曲・演奏の両方に接することができ圧倒的であったし、津駒大夫 さんは本公演同様、素晴らしい演奏だった。考えてみればこの組み合わせ の床を聞く機会はあまりなく、私は初めてだったが、今後も是非聴いてみたい組み合せだと 思う。呂大夫さんが復曲してその後再演の機会に恵まれない作品など、是非取り上げて いただけたらと願わずにいられない。

(2002.8 執筆・公開, 2024.9.21 noteにて公開)

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