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住大夫さん・錦糸さんの引窓(2004.9)

文楽の9月公演第1部は「双蝶々曲輪日記」の半通しがかかっている。
今回の公演では、「引窓」だけでなくそこに至る脈絡というのが提示される点が興味の一つで あったのだが、この点についていえば、率直に言って中途半端な印象。原作は実に緊密に 構成された話であるらしく、その形跡は語られた浄瑠璃の彼方此方に窺えたのだが。
そのかわり、といっては何だが、今回は住大夫さん・錦糸さんの圧倒的な「引窓」が 聴けて、これで充分(過ぎるくらい)満足した。最近、文楽の公演について私が不熱心である こともあって、ここまで圧倒される印象を受けた本公演は久しぶりである。
批評をしようというわけではなく、単に主観的に受け取ったものを感想として書き留めて いるだけの立場では、どうであったか一言で言えば「恐れ入りました。」で終わってしまう 気もするが、後のための覚えとしてもう少し具体的に書いておくことにする。

住大夫さんの語りの最大の特色は「わかりやすさ」にあると私は思っている。まず文句が はっきりと聞き取れること、話の要点がはっきり浮かび上がり、情緒的な頂点がどこに あるのかが明確であること。この点での凄さは歴然としていて、偶に初めて聴く人と ご一緒することがあるが、初めて聴く人が話の内容を理解できて感動してしまうと いうのを何回も見てきている。「よくわかった」「面白かった」という感想は、 住大夫さんが語っていたのだというのを知らずして発せられる場合も多く、「実はそこの 部分はあの住大夫さんが、、、」と説明すれば、聴いた人は二度納得することになる。
今回の「引窓」は私にとって初めてではなかったが、「わかりやすさ」「面白さ」では 圧倒的で、私がこれまで聞いた住大夫さんのなかでは間違いなく最高の演奏の一つ であると思う。話は長五郎と与兵衛を軸に展開され、それに母親とお早の反応が 絡められるといえば簡単なようだが、そのバランスが素晴らしい。話を情緒的に しようと思えば後者の反応に重点をおけば良いのだが、決してそうはならず、 「外れくじ」をひき続けてしまう長五郎と、なぜか「当たりくじ」をひいてしまう 与兵衛の運命の対比という外枠がはっきりと浮かび上がるのだ。
それゆえ例えば長五郎がお早から話の経緯を聞いてもらしたあの述懐(同じく人を殺しても 、、、)の重みと、そのことばに秘められ、同時にそのことばにより観客には明かされた 長五郎の諦念のようなものに改めて心打たれる。引窓の主眼は、勿論その後の登場人物 それぞれの気持ちの動きの描写の方にあるのだが、そうした描写が時間を遡るように、 それまでの言動を、場面を照らし出すのだ。
各人の気持ちの描写の克明さについては多言を要さない。聴き手の気持ちを確実に捉える 住大夫さんの技量には畏怖の念を覚えるほどである。住大夫さんの語りの中では、人々は みな(ニュアンスは様々でも)前向きで、暖かい気持ちが通っていて、その気持ちの 水準で話が進んでいく。私個人についていえば、そうした特質がいつも感動を保証する ものではないのだが、今回の語りの説得力は、私のそうした懐疑など簡単に打ち壊して しまうほどのものだった。

勿論、登場人物の気持ちを浮かび上がらせる照明法という点では、錦糸さんの三味線に ついて書かないわけにはいかない。いつも錦糸さんの三味線の音は美しく、その演奏は 見事だが、今回のほど心に近く響いて、それが三味線の音であるという物質性を忘れて 聴いたことはなかったと思う。住大夫さんの詞と並行して響く三味線の音は、直接心の 動きであるかのように感じられた。そうした時には、三味線の音を介して、物語の 登場人物と、演じている方々と、そして観客の我々の間に共鳴のようなものが生じる ように感じられる。今回の上演はそうした幸福な瞬間が確かに存在したと私には 思われた。
(2004.9.15 公開, 2025.1.17 noteにて公開)

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