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日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』を読む

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ジッド『狭き門』の読解。原題「日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ」, 2013.9.15 Web公開, 2014.6.28 blogで…
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#ドストエフスキー

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(25)

25. だがそれでもなお、アリサに欠けていたものが何であったか、というのはジェロームとともにアリサを記憶するものにとってのみ相応しい問いだろう。 ベンヤミンの短いが重要な「狭き門」についての文章で、ベンヤミンはジッドの企てはそもそも最初の構想からして不可能事であったと 語っている。ところで、ベンヤミンは、紫水晶の十字架について、全くの勘違いをしている。それはベンヤミンの主張にとって実は致命的で、 「狭き門」の破綻を指摘するベンヤミンの主張が、今度はその一点から破綻することは

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(23)

23. 最後の場面、名付け親になること(consentirais-tu à être parrain de cette petite?)、 名前の継承(Quel est le nom de ma filleule ? – Alissa… répondit Juliette à voix basse. Elle lui ressemble un peu, ne trouves-tu pas ?)、 そしてここでは、そうした記憶の継承への同意の後で、改めて忘却と記憶が問題にされ

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(22)

22. 結局のところ、私が同意できるのは、石川淳の1923年5月の日付を持つ、山内義雄訳への跋である。ここでニーチェを参照するのは全く妥当のことのように 思われる。ジェロームはアリサの生の軌跡を、上記の論者達のような仕方で乱すには忍びなかったに違いない。それが行き着くところがわかっていても、 最後の部分で、現在の時点から回顧してもなお、彼はアリサの生き方を否定しきれないし、自分が「一歩を踏み出さなかった」ことについても 後悔していない。否、寧ろ、彼もまた、かつてアリサが感じ

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(14)

14. 一般に思われている以上に、文学作品における間テクスト性というのはありふれた出来事だ。ある作品の持つ固有の圏というのが、その作品の中で 言及され、参照されている他の作品が構成する星座によって浮かび上がってくるという側面は否みがたく、逆にそうした側面を持たない作品、 そうした側面がとりたてて問題にならない作品というのは珍しい。端的に言えば、作中人物が書物を読む習慣を持ち、それがその人物の人格形成に とって本質的な意味を持つように作者が設定してしまうのはごくありふれたこと

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(9)

9. 何人かが指摘する箇所。 例えば川口篤は、「『狭き門』で作者が書きたかったもの、書かねばならぬと信じたものは何か?アリサのピューリタニスムという表面のテーゼに対する 裏面のアンチテーゼではあるまいか。」とし、それが上記の「一句に要約されるかと思う。」としている。そしてそれを敷衍して「つまり、人間性の 回復とでも言ったらよかろうか。」とし「『狭き門』は、自己抑制の行き過ぎ、を戒めたものと解したらいかがであろう?」としている。 これとほぼ同じことを淀野隆三も言っている。

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(8)

8. 多くの評者は、ジッド自身が後に語った言葉をそのまま受け止め、ここにプロテスタンティスムの批判があるという立場を採るようだ。 だが、本当にそうだろうか。ジッド自身、アリサのようなあり方を批判しおおせなかったことが、逆説的に「狭き門」を他のジッドの作品のような 醜悪さから救っているのではないか。ジッドがそこから身を振り解きかたっかプロテスタンティズムの、ありえたかも知れない極限がここでは示されている。 アリサの日記が終わった後の後日譚、作品冒頭の「現在」に戻っての去年の出

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(5)

5. Efforcez-vous d’entrer par la porte étroite.(Luc, XIII, 24)という銘が題名を直接指示してしまうという率直さ。だが一方で「狭き門」の コノテーションは極めて広大である。ドストエフスキーとカフカはジッド自身が参照しているから、カフカの「審判」「掟の門前」はどうしても 浮かび上がって来る。カネッティの説自体は受容し難いとしてもなお、フェーリツェ・バウアーとカフカ自身の関係が「審判」とある種の構造的な 対応を示している