真夜中インク【短編小説・フリー朗読台本】
深夜の二時に、明かりを消してベッドに入る。
すると暗闇がまるで呼び水のようになって、胸の奥で何かが疼く。
それを具体的に何と言ったらいいか、わからないけれど、一言で言えば「もやもや」だった。音はしないがひどくうるさくて、本当に気持ちが悪いわけではないものの吐き出したくて、とにかく何か悪いもので、熱にうなされるように、私は何度も寝返りを打つ。
ついに息が詰まりそうになって、起き上がる。
こういう時は注射器がいい。
注射器を手にとって、胸に刺す。ちくりとした痛みは、慣れてしまえば心地がいい。ピストンをゆっくり引けば「もやもや」が吸われていく。
シリンジに溜まるのは、真っ黒な液体。いっぱいになるまで吸い上げる。
こうして悪いものを取り除けば、すっきりする。
けれども取り出した漆黒の液体をどうしたらいいのか、未だにわからない。
だから私は、適当に瓶に詰めている。
かわいらしい形をした瓶の半分以上が、もう漆黒に満たされている。昨日の分、一昨日の分、そのまた前の分、全てが入っている。今日の分も、そこにいれる。ちゅうっ、と水鉄砲のように新鮮な漆黒を溶かし込む。
こうやって保存することで、少しは好きになれるかもしれないから。
夜のように真っ黒な液体。もしこの中に、星を見つけられたのなら。
胸にあるいくつもの注射の跡を、パジャマのボタンを閉めて隠して、眠りにつく。
* * *
毎晩生まれる漆黒の液体は、瓶に貯まる一方で、使い道は特にない。
インクのように黒いのだから、何か書けるかもしれないと思い、ガラスペンを手に取った。
きらめく先端をインクに触れさせると、輝きは一瞬にして消え失せる。
美しい夜空のようなものが書けるかもしれないと、私は思っていた。
「死にたい」
ペン先が紙に触れたとたん、インクは生き物のように動き出す。
「もう嫌だ」「何も考えたくない」「泣きたい」
紙の上で、漆黒のインクが悲鳴を上げている。
「つらい」「殺したい」「何もしたくない」
インク瓶から、漆黒が飛び出し、紙を染め上げる。
「意味も何もない」「消えてなくなれ」
きっと私の悲鳴だった。
「死にたい」
* * *
私は耳を塞ぐ。
残っていたインク全てをトイレに流した。
何の役にも立たない廃棄物。醜すぎて、それすらもわからないほどに汚いもの。
誰がこんな吐瀉物を愛せるというのだろう。
ガラス瓶も割って捨てた。取り出して眺めるのも嫌だから、注射器も捨てた。
全てが全て、馬鹿らしくて意味がない。
それでも夜はやってきて、胸の奥から「もやもや」が生まれ出る。
取り出したところで、また生まれてくるくせに。
何をしても終わりのない日々に、胸をかきむしる。
爪が肌を裂いて、長い傷ができた。「もやもや」があふれ出る。行き場のない漆黒が血のように流れ出て、肌を伝い、ベッドを汚す。
漆黒は止まることがない。部屋の中を満たしていき、気付けば私は溺れていた。
必死にもがいて、暴れて、けれども身体は沈むばかりで、助けだって誰も来ない。
でも不意に、全てが軽くなった。
息ができなくなったからだった。
身体から力が抜ければ、あとは優しく沈んでいくだけで、それがとても楽だった。
私の全てが漆黒に染まって、私がいなくなるときが来た。
やっと終わる。最後に笑うことを思い出した。
【終】
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