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水色の風が吹く

川崎フロンターレというサッカークラブをご存じだろうか。

神奈川県川崎市をホームタウンとするJ1所属のサッカークラブだ。恐らくほとんどの人が名前は知っているだろう。詳細は知らなくとも、選手の名前を一人は言える人が多いのではないかと感じている。無論、日本に住むサッカーファンには冒頭の質問など必要ないだろう。
今回のテーマは川崎フロンターレの歴史でも戦術でもない。私が考える、川崎市に住む者から見た川崎フロンターレの存在とは何かということである。あくまで個人の意見となるため、かなり認識が異なることがあるとは思うが了承いただきたい。また間違っていることがあればご指摘いただけると幸いである。

川崎市には20年以上住む生まれも育ちも川崎の人間だ。
治安が悪いと散々言われる川崎市だが、かなり平和な地域に生まれ、小学校、中学校時代をごく普通に過ごした。卒業後、神奈川県内の高校に、東京の大学へ進学といった割とありがちなコースを辿っていった。特段『川崎市民である!』ということを強く主張したこともしようという気もなく、自覚も薄かった。学校に関しては、各市の教育機関の数によって左右される面ではあるが高校は川崎市内は考えてもいなかったくらいである。

ここまで読んだ方の中には『フロンターレに出会って川崎市民であることを誇るようになったからこんなのを書いているんだろ』と思った方がいるだろう。その可能性はまずないことを先に言っておきたい。

なぜならフロンターレには物心ついた時から出会っていたからだ。

とは言っても後援会などに所属するような典型的なサポーターではなかった。試合を自分から見るようになり、選手の顔と背番号が一致するようになったのもここ2、3年のこと。インスタをフォローしたのもYouTubeチャンネルを登録をしたのも昨年の出来事である。後援会に至っては2021年始まってからの出来事である。ユニフォームはまだ胸の星が一つだったものと三つに増えたものは自宅にある。 どちらも12の背番号だ。

それでもフロンターレに出会っていたと感じるのは、街頭に揺らめく川崎フロンターレ後援会の旗や近所の飲食店がシーズン中に壁に貼っていた試合結果と今後の組み合わせ、近所のお祭りやイベントに来ていたフロン太くん、ショッピングモールに貼られていた選手紹介などがあったからだろう。成績などは言えなかったが、片手に収まる人数の選手の名前は知っていた。気が付くとそこにいる。それが私の川崎フロンターレに対する印象である。
フロンターレの試合は現地で観戦したことはなく、テレビでやっているのをみつけると観る程度の人間だった。感覚的には、母校や県内の知っている高校が試合をしているから見てみるかといった具合だろうか。そのようなテンションで観ていると何が起こるか。チャンネル変更を家族に提案され簡単に受け入れてしまうのだ。また、洗濯が終わった自分の洋服をタンスにしまっている間に変えられてしまうことも珍しくなかった。そんな経緯もあり試合をフルで観ることができた回数はさほど多くない。
ここでふと思ったのだが、プロの試合をそんな心持で観ても良いものなのだろうか。この疑問に関しては広げるとまた新たな疑問を呼びかねないので後日、気が向いたときに話せればと思っている。

選手の認識もまた同様である。サッカー日本代表に川島永嗣選手、中村憲剛選手、稲本潤一選手の三名が選出されたFIFA ワールドカップ2010。この時期は今までの人生で一番テレビを観ていたと自負できる。当時はとあるアイドルグループにドはまりしていたこともあり、家にいる大体の時間はテレビを観て過ごしていた。それは食事の時間でも変わりはなかった。私の家は昔から食事の時はテレビは必須、テレビがないと会話がないような家庭だった。録画やらなんやらを駆使して、家にいる時は極力テレビの音が途切れないようにしていた。そんな中、テレビがあっても会話は少ないが、居心地が悪くなることがなかった時期があった。オリンピックやワールドカップの時期だ。本当にありがたかったとしみじみ思う。
今はある程度のルールは理解し、審判のサインなどもわかるようになっているが当時はルールをまともに知らなかった。オフサイドも知らずなぜここで笛が鳴ったのかすら理解が追い付かなかったような状態で試合を観ていた。サッカーをそこまで知らない小学生の知識とはその程度なのだ。そんな中、確か選手紹介か何かで中村選手の名前が映し出された時に、『知ってる人だ!』としか思っていなかった。その時の試合結果なども月日の関係もあり覚えていないが、恐らく最後まで見れていないのだろうと思う。
そんな私の記憶に強く残っている日がある。

2017年12月2日だ。

サポーターの中にはこの日付だけで何の試合かわかる人がいるだろう。明治安田生命J1リーグ最終節、川崎フロンターレ対大宮アルディージャ戦。クラブ設立から21年目にして初めての優勝の時だ。
たまにしか動かなかった中学時代のクラスのLINEグループが騒がしく動いていたのはこの日が初めてだった。当時高校生だった私は土曜日の午前中に授業がある学校に通っており、その日もいつも通り授業を受けていた。この時もサポーターとは呼べない、”フロンターレは知っている”程度の人間であった。休み時間に来た『今日の2時から試合観る人!』のメッセージには特に返信はしなかったが『そんなに盛り上がる試合なのかー』とかなんとか思っていた。もう少し興味を持って生活しようとこの一か月後に強く思ったのも覚えている。余談ではあるがこの試合はリアルタイムはおろか後半しか観れていない。
等々力競技場で観戦する報告や、ファンエリアだっただろうかに辿り着き現在地を送ってくる友人、家で観戦するから誰か来ないかなど恐らくクラスの半分以上の人がこの試合を観る意思表示をしていたかのように思える。キックオフの時間は予備校の授業中だったため確認はできなかったが、何件か通知は来ていたようだった。授業終わりに確認した際には試合は終わっていたが結果に関しては誰も話していなかった。
予備校を終え、高い夜の空を尻目に電車に乗り込みツイッターを開くとトレンドに”フロンターレ”の文字が。開くと”優勝” の文字が踊り、歓喜の声があふれていた。前述の通り、当時はサポーターと称することもできないただの"川崎フロンターレを知っている人"に過ぎなかった。それでも”初優勝”の文字とサポーターの喜びの声を見た時『よかったなぁ』と思えたのだ。駅から自宅までの帰り道にはためく後援会の旗のフロン太君が少し輝いて見えた。

川崎フロンターレ元プロモーション部部長の天野春香さんは2015年時のインタビューでこう語っている

まずは、川崎市民144万人が後援会会員になることですよね。川崎市民なのだから川崎フロンターレを応援することがごく自然、当たり前という状況まで持っていきたいです。

――――【サッカー人インタビュー企画vol.5】サッカーで人を幸せにする 川崎フロンターレプロモーション部 天野春香
http://www.worldfut.com/?p=1932

現在川崎市の人口は150万人を突破しており、年々増加傾向にある。その中で川崎市内の後援会会員数は2万5982人と川崎市の人口にはまだ遠い位置にある。勿論後援会の会員だけがサポーターと呼べるというのは違うが、明確に数字が出ている一つの指針であると言えるだろう。ではサポーターになりえる、具体的には後援会会員となる可能性が高いのはどのような人たちなのか。それは、川崎市に住んでいる市民や馴染み深い誰もがフロンターレサポーターの可能性を秘めているのではないかと私は感じている。そうでなければ地元と言えどそれほど知らないプロのクラブチームの優勝を『よかった』と思えるはずがないのだ。
ここ数年の間に、情報の取得方法というのは目まぐるしく変わってきた。個人が、膨大な量の情報を簡単に手にすることができるようになり、情報の価値が変わった。しかしそれは、興味のないものはとことん切り離すことができる状況も同時に産んだ。そのような状況で目につくようにすること、知ってもらうことというのは非常に難しいものである。届いてほしい人に届かないというのは珍しくない。そんな中でもそう思えたのは、川崎市内には日常的にフロンターレに関して触れることができる環境が、どの年代に対しても用意されているからではないのかと私は感じている。
自分でもなぜ『よかった』思うことができたのか、これだ!という理由はわかっていない。けれどもここ数年でこの時と似た気持ちを味わった。母校がとある大会で日本一になったのだ。知り合いの生徒はおらず、知っているのはスポットが当たっている数名と監督のみという状態だったが試合を見届けた時、やはり『よかったなぁ』と思えたのだ。

川崎市民にとって川崎フロンターレの存在とは、いつも傍にあるものなのだとここまで書き連ねてくる過程で強く実感した。私が今まで熱を上げてきたどのジャンルよりも距離が近いようにも思える。そう感じるのは日常的に目にする機会も、SNSを通さずとも触れる機会も多く、本当の意味で身近にいるという実感を得ているからではないだろうか。それにしても母校の試合を観るような感覚で応援しようと思えるプロクラブはほとんどないのではなかろうか。もちろんこれまで記した感覚や思いは私だけかもしれない。けれど、数多いるサポーター候補のうちの一人がそう感じていたことは確かなのだ。

私にとって川崎フロンターレは風である。当たり前にあるため普段は気にしないことも多いが、何気ない瞬間にそこにある事を自覚する。そして心の内をはためかせ、まだ知らなかった音や色、風景を見せてくれるのだ。

今日もこれから先も川崎の街と共にあり、多くの人々の心を揺らす存在であってほしいと願っている。

参考
ウィキペディア 川崎フロンターレ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AC#2011%E5%B9%B4
川崎市:長期時系列データ
https://www.city.kawasaki.jp/170/page/0000010875.html
川崎フロンターレ公式サイト ファンクラブについて
https://www.frontale.co.jp/fanclub/about.html


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