善い行いも諸刃の剣?
◆違和感
サッカー大好きなのですが、炎上覚悟の投稿です(-_-;)。
さきに謝罪から……。
さて、サッカーWカップでの日本サポーターのごみ清掃報道。
前回大会でも称賛された善い行い。それはそれで単純に素敵。
しかしながら、そもそもスポンサーがつく公式なスポーツの大会はお祭り騒ぎ。ある意味、騒いで汚れて当然のお祭り。
きれいにするのはサポーターの仕事ではなく大会側のお仕事のひとつ。経費計上されていると推察。
役割分担で考えたら、ちょっとおかしなことに思えてくるのは自然なこと。
観客は感動するのが仕事。そうでないと、そのうち試合に出る選手が試合後にピッチで清掃しだすかも。。。
大きな大会はビジネスの世界。アマチュア大会や災害時にマルチに活躍するボランティアの世界とは意味が違う。
試合後に清掃するのがトレンドになったら、観客は減る、大会収入は減る、大会自体が減る、選手の活躍の場が減る、選手の収入も減る、人気低迷しスポーツ衰退……なんてね。
◆炎上?
もしかしたら、こういうことを発言すると炎上し封殺される世の中か。
世の大勢に反する意見をいうとよく炎上するもの。今日の投稿も覚悟。
最近だと、45歳定年制発言の炎上、コロナ自粛初期に営業する飲食店やパチンコ店への攻撃……あれこれ。
特に、多数意見に反する考えや行いにはかなり厳しい日本の国民感情。
◆いろんな人がいるから面白い。
みんながみんな黙々と清掃している姿が恐ろしくみえると発言したとき、この意見に違和感以上に敵意が芽生えてこないか?
そう感じたら、ちょっとだけ心の中で、自分の考えに反することへの寛容さが欠け始めていないか注意が必要か。
気をつけないと、多様性の時代に対応していけなくなる可能性を感じる。
単一民族の中でずっと生きてきた自分も、このことに十分気をつけていきたいと感じる。
◆多様性とは何ぞや。
ちなみに、違う意見に寛容なことが多様性というなら、「排除」や「理解」も必要がないということ。
そこに当たり前に存在していて、当たり前に公平に扱われる。
ほぼ空気?みたいなもの。
でも、人間(の考えや感情)が空気のようになることはないと思う。
まずは違う意見、考え方の存在に気づく。
ひとつの意見に流されない。
特に、目的から逸れるような感動とか怒りとかを覚えさせる情報には要注意。
気持ちをもっていかれないことが大切。
◆純粋に感動したり怒るのは普通。
最後に、スポーツはスポーツとして純粋に感動するべきもの。
勝った負けたで一喜一憂して泣き笑いしてよいもの。
失礼ながら、ピッチ外や試合後のエピソードで感情を揺さぶるのは、なにか他意がありそうで危険なにおいを感じる。
ノーベル文学賞受賞者エリアス・カネッティ氏の云う、大衆(群衆)が権力に対抗する唯一の集団であると私も信じますが、現実的には諸刃の剣のような危うさも感じます。
だから、多様性の世の中ではありますが、何かに誘導しようとする雑念には要注意と感じています。
多分、誘導される側のみならず誘導している側さえそれに気づいていないのが世の常。
ピッチ外の善い行い情報も、報道側からするとせいぜい視聴率稼ぎ程度の認識でないかと感じるが、実際に起こりうることはそれに留まらず集団的で同質的な流れ。
熱狂させれば熱狂されてしまうほど多様性を封じる可能性を感じるものだ。
予期せぬ事態に向かわぬよう、自分も注意深く俯瞰してみていけるようになりたい。
日々そう思いながら、noteのスペース使わせていただいております。
yoitenki4110
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