形から入る日本人。休むことさえルール化しないと休めないの?決して自分のために休むことができないのは、なぜ?
日本人は何かと形からはいる傾向を感じませんか。
例えば、仕事をする場合もまずはやりたい仕事をやっている会社に入ろうとします。いきなり起業という選択肢をとるのはごく一部の方々で稀であり、普通は会社という箱選びから始めますよね。何をするかよりどこでするかを優先している印象です。
同じように、何かやろうとしたらまず形からはいるものが身近にも多々あります。例えば、男性育休、高齢者雇用、女性活躍など働き方改革も形からはいりますよね。学校もルールや校則ありき。
そういう集団では、それがないと人はなかなか行動しなくなり様々な不満をマネジメント側のせいにして自分をみなくなります。一見、正論そうな不満も行き着くところ会社や学校という箱や形への他者依存ということ。重大な勘違いにある印象。
箱や形に頼るというのは、要するに制度やルールありきということかもしれませんね。
典型例として「休む」ということ。
休む日=祝日。日本の祝日は17日あります。長期バカンスのあるドイツは11日、アメリカや韓国10日、フランスやスペイン9日であり、日本って祝日が世界的にも多い部類の国です。でもたくさん休むイメージは全くないですよね。不思議。
この祝日ですが、日本では「国民の祝日に関する法律」で決められています。つまり、裏を返すと日本人は制度で休む日を決めてなんとか休んでいる。いやいや制度化してもまだ休まない。だからか、労基法第39条7で従業員の有給休暇取得を事業主責務と定めています。会社に言われてやっと休む始末なのです。極限の他者依存状態。生き死にまで他者に依存する気でしょうか。
形からはいることに縛られ、なぜ?どうして?ということが後回しになっていますから、結果は伴わないのが当たり前。休まないのでしょうね。
残念ながら日本の社会では自分のことを自分で決めて行動することが難しい息苦しい社会風潮なのかもしれませんね。日頃から会社は休みにくいし、勤務時間終了後も帰りにくい。
特に集団行動を乱さないための同調圧力が強くかかり、制度やルールを作ってもなお動けないので、これはもう最悪な悪循環…。
休む目的のために休むことすらできませんし、みんなが一斉に休むときくらいしか休めなくて、毎日疲弊し疲れきっている。仮に休む目的のために休んでもソワソワまともに休めない。挙句、それを会社のせいにして他者依存し決して自らの意志や信念で行動できない。誰一人、得することなく全員で仲良く沈没しております。
ホントにどうしましょうか?
また法律化しちゃいます?
本末転倒。
yoitenki4110