黙って喋ってと三億円事件
続け様にヒコロヒーの話です。すいませんね。
今朝は仕事が休みなので、フルリモートの旦那と一緒にモーニングをしながら本を読む。
ヒコロヒーの短編恋愛小説
黙って喋って
私は本や映画を読む(観る)と、キャラクターになりきる人間である。
ブラックウィドウを観た時はナターシャになりきり強く賢く生きざるを得なくなった女になることに成功したし、きいろいゾウを読み切った後に子どもを保育園に迎えに行った私は、森羅万象、目に映る全てに命を宿していた。
そんな人間なのだが、恋愛というジャンルについては別だ。
31歳子持ち主婦の私にとって恋愛は、既に卒業したステージであり、妙に現実味のある、あぁ、そういえばそんな思いもしたな、と懐かしむくらいに過去のものなのである。
頭がそう処理しているが故、どうも感情移入しにくい。
恋愛小説かぁ〜、短編集なら読めるか。
と思いながら開いた。
本当に文章が上手いな。感心した。
私は著名人のエッセイや半生が記されたもの、ドキュメンタリーが好きなので、先述した『きれはし』ほどでは、正直無かったが、黙々とスラスラと入り込んだ。
女優の恋愛話は、これ誰かモデルおんのかなと余計な野次馬心が出たりもした。
作品全てに、寂しさや、それにつけこむ優しさ、人としての狡さ、浅ましい感情が儚く伝わってきた。
私はまんまと、幾つもの恋愛を乗り越えずとも経験してきたアンニュイ女に変身した。
アンニュイ女は、儚気な、そして妖艶な雰囲気をかもしだしながらモーニングを食べ終わり、フルリモート男とWi-Fiスポットを探しながら美味い美味しいランチを楽しめるカフェへと移動する。
移動中、そう言えば以前友人が、
『もし他の人と結婚していたとしても、今の旦那に何かのタイミングで出会ってしまったら、旦那と不倫していると思う』
と言っていた事を思い出し、人間は毎秒選択し続けていて、今じゃ考え着かない世界線に行き着くことも容易に有るんだろうなぁ。そしてこの友人は、振り返っても悔むことのない正解を手繰り寄せたんだなぁと、小説の内容をなぞるように思いふけっていた。アンニュイ。
カフェに到着。
旦那はPCを開き、私は新しい本を開く。
『府中三億円事件を計画・実行したのは私です』
だ。
恋愛小説を読み、儚い気持ちになり、アンニュイに物思いに耽っていた女が次に読む本ではない。
カフェにあったのだ。
悪いのは私じゃない。
カフェにあったから手に取らざるを得なかった。
正直手に取ったとき、もうアンニュイはほとんど消え去っていた。
残っていたのは白田への興味のみ。
これってノンフィクションなの?
本人なの?
出版当時、超話題になってはいたものの、なんとなく読んでいなかった本。
こんなタイミングで読むことになるとは。
これも次の世界線に繋ぐ点か。
すぐさま読んで、2時間ほどで読了した。
これほんまか?
こんなに鮮明に覚えてる?
そんなドラマみたいなことあるか?
動機が稚拙すぎないか?
そんな印象はあるものの、こちらも小説としてはとても読み応えがあった。
当時の学生運動と、10代ならではの沸々とした気持ち、友情、恋愛、そして裏切り。
全てが複雑に絡み合った物語だった。
勿論真実かどうかでいえば、そうじゃない気もする。
窃盗した金の行方、京子さんとはどうなったか、犯行後どこでどう過ごしたか等、真実として証明するには疑問に思う点がいくつもある。
なので、事実を元にしたノンフィクション小説として読むと、これはとても面白かった。
これもまた、人間の弱さ、脆さ、狡さが顕著に描かれていて、読んでいて寂しさを感じた。
こう書いていると、黙って喋ってとほんのすこーしだけ似ているのかもしれない。
というか、ちゃんと恋愛小説なのかもしれない。
予想していた内容とは少し違ったが、満足度は高い。
何より今日は2冊も読めて、美味しいものを2回も食べれた。そして台風のはずか天気がいい。
さて、1968年に起きた大事件の真相を知った私は、その余りにも大きすぎる隠し事を抱えながら粛々と日常を生活していくことにする。
あぁ、もう子供を迎えに行く時間だ。