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お姉ちゃん

お姉ちゃんなんだから
お姉ちゃんなのに
お姉ちゃんでしょ

さすがお姉ちゃん
やっぱりお姉ちゃん
お姉ちゃんだもんね

私は2歳のときお姉ちゃんになった。
そして6歳のとき三姉妹の長女になった。

1番目も2番目も女の子。
祖母が跡取りの男の子を欲しがったそうだ。
でも3番目も女の子。
そうして三姉妹になった。

妹たちからお姉ちゃんと呼ばれたことは一度もない。
妹たちは私のことをよいこちゃんと呼ぶ。

だからお姉ちゃんという言葉は大人が都合よく使う嫌な言葉でしかない。

2歳になってすぐお姉ちゃんになった私は、それ以来、親に甘えることができなくなってしまった。
共働きの両親は非常に忙しい。
面倒をみてくれる祖母は若い頃から腰が90度以下に曲がって常に神経痛に悩まされていた。農作業もあった。家事もあった。

お姉ちゃんなんだから我慢して
お姉ちゃんなんだから手伝って
お姉ちゃんなんだから妹の分もやってあげなさい
お姉ちゃんなんだからこれくらい自分でできるよね

何度も言われなくとも
お姉ちゃんという立場の人間がどう振る舞うべきかすぐに理解した。
理解せざるを得なかっただけとも言えるし、彼らが狡猾だったとも言えるし、私が物分りの良い子だったからとも言えるし、私がバカ正直で純粋だったからとも言える。

お姉ちゃんらしく振る舞う私に対して
彼らはこうも言った。

さすがお姉ちゃんはしっかりしてる
やっぱりお姉ちゃんはすごい
お姉ちゃんだもんね、えらいね

そうして幼い私の自尊心をくすぐって、自ら進んでお姉ちゃんという役をやるように仕向ける。
まんまとその策にハマった私はその先ずっとその役割を忠実にこなしていった。
それが自分の感情に蓋をして封じ込める一因となることも知らずに…
その後、理不尽で腸煮えくり返る日が来るなんて知らずに…

私は幼い頃から大人でいなくてはいけなかった。私はたくさんお手伝いをした、特に掃除や整理整頓、壊れたもの不具合のあるものを直すこと、祖母の愚痴やネガティブ垂れ流しを聞いて慰めること、妹の面倒をみること、妹のしつけをすること、必要とされることはほとんど全て…
そして大人たちの機嫌をとること、家庭内の雰囲気を穏やかに保つこと…

我ながら健気で甲斐甲斐しい働きぶりだった。

私のお陰で彼らはかなり楽をしたはずだ。家庭内の仕事やごたごたが減って仕事にだけ集中できて、ご機嫌に過ごせる時間も多かったはずだ。周囲に娘自慢もでき、いい家族だとアピールでき、周囲から称賛され羨ましがられ得意気だった。

その裏に私の涙ぐましい我慢と努力、自己犠牲があったことを彼らは気付きもしない。

「全く手がかからなくて楽だった」
これは私の育児に関する彼らの言葉だ。

「そんなにがんばらなくていいよ」
「もっと甘えていいんだよ」
「子どもらしくわがまま言っていいんだよ」
と誰か一人でも言ってくれたら未来は変わっていただろうか?

今更何を言ってもしょうがないけれど…

そう言ってもらえたらどんなに良かったか、どんなに心が救われたか、と思う今の気持ちは大切にしたい。

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