どこまで行くかは、自分次第
Aさんは飲みの席で必ずと言っていい程この言葉を発言します。
当初はこの言葉の意味の肝の部分を全く理解できていませんでした。
Aさんとの仕事に慣れ始め、私はAさんの実現したいことを成すために自分の出来る精一杯の業務成果を挙げれるよう務めてました。
私自身はAさんの目標が大きなプロジェクトで非常に困難であるということを認識していて、その目標が実現したら物凄いことだと興奮しており今までにない充実感を感じる日々を過ごしておりました。
毎日何かしら課題や問題が降り注ぎ、Aさんが方針を決め、私が雑務を行うという『当たり前の社会人生活』を送っておりました。
仕事も徐々に動き、周りにも協力者が増え始め
【Aさんは凄いなぁ。全くの異業種にも関わらず、1つ1つ知識を得て、自身の知識や経験を他者に与えて信頼を勝ち取っていく。やると宣言したことはすべて形にするということは中々できない!】
と心底心酔し、師事しておりました。
そしてプロジェクトは進み、大きな決断をする場面が訪れます。
連日のように仕事を終えたあと、飲み屋で飲むという流れができていたので、いい仕事ができた後の明日も頑張ろうという主旨の飲み会だろうと思って、気持ちよく酔っておりました。
ですが、徐々に雲行きが変わって空気が変わりました。
この時私が任された仕事は、工場での原価計算の試算及び運営コストの割り出しだったかと思います。
A「この仕事をお前に任せたんだ。お前はどうしたい?」(真顔)
どうしたい?と言われても私が関わってきた仕事内容はお手伝いという雑務であり、方針はAさんが決めていたため、何を言っているかわからない。
私「どうと言われましても。。。集計し計算すると収益見込みは難しいのではないかと。。。。採算性を求めるのであれば、売上規模の拡大もしくはコスト削減に努めるしかないかと。。。」
A「となると、売上拡大が難しい現状、取るべき手段はコスト削減ということになり、工場閉鎖ということだな」
私「はぁ。。そうなりますね」
A「だから、お前はどうしたいんだ?」
なんだ?この禅問答は。レポートを集計し、現状求められた仕事内容はクリアしているはずではないか。後は経営が決めることで私が口をだすことではないではないか。と不服そうな面持ちでいたら
A「このままだと、工場を閉鎖して従業員をリストラすることになる。この判断で問題ないんだな」
Aさんは経営陣であり、私はただの平社員。
言われた命令を忠実に行うことが最上の行動ではないのか。
物凄い違和感を覚え黙っていると
A「私は〇〇(本名)に聞いている。従業員ではなく〇〇にだ」
私「えっ?私個人の意見ですか?」
A「そうだ。お前に聞いている。お前のBestは何なんだ」と。
その時、初めて仕事に対しての意見を求められていることに気づきました。
事務で経理の人間からすれば、レポートを提出すれば上司が判断し経営陣に報告をするという流れが染み付いていたため、20代後半の私に対して還暦前の役員から意見を求められるなんて想像が欠如しておりました。
平社員が会社の経営に意見することは、思っていても中々発言することは躊躇われるものとだと考えていたため、急にことの重大さに気づいたのです。
『私の資料で、路頭に迷う人がいる』という事実に。
仕事はDRYに向き合うことがBestだと考えていたのですが、実際は無機質で機械のように作業をしていただけ。
その日は、酔っていたこともあり、Aさんに認められたことの嬉しさと、今携わってる仕事の本当の【重み】に気づき、感情の整理がつかず泣いていたことを覚えています。
そしていつもの様に言うのです。
「お前はどうしたい。」
そして続けるのです。
「どこまで行くかは、自分次第」
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ここまで読んでいただいてありがとうございます。
20代のころを思い返しながら書いております。
誤字脱字等読みづらいところも多々あると思いますが、
よろしくお願いします。
よろしくおねがいします!