「恋人」という肩書き
恋人=彼氏or彼女
一方通行またはすれ違っていた想いが通じ、互いの時間を共有し合う。
楽しいことも悲しいことも分かち合って、お互いを干渉しすぎず程よい距離感で付き合えたらどんなに理想か。
現実問題、難しいカップルがこの世にごまんといることだろう。
私達もそれを目指していた。楽しいこと、こんなことをしたいと未来の話を何度も語り合って、翌日仕事があるのに夜遅くまで起きていたことも。たまに喧嘩をしたり、仕事で辛いことがあって泣き、慰め、静かな夜を過ごしたり。日々を切り取れば、どれも平凡で日常的で、でも、それでよかった。
誰かの目線から見たら、何気ない、特別なものではなくてもいい。
でも、いつからか喧嘩が増えていった。相手のことを知れば知るほど、喧嘩が増えることは分かってた。でも、いつも大抵同じことで喧嘩することが増えていった。
「好き」が分からなくなっていった。離れようをすると、胸のどこかで好きが叫んでていた。でも、現実、不満ばかりが積もっていって喧嘩をしてしまう。こんな日々が嫌で仕方なかった。
恋人には、何度も引き留められた。その度に恋人もとへ帰っていた。
これまでに何度恋人に「別れる」と言葉をぶつけてきただろう。それなのに、別れることはなかった。好きだったのかもしれない。
先日、恋人と真剣に話し合った。
今後、関わっていくかは任せるけど、「恋人」という肩書きをなくしたい。
「恋人」という肩書きをとにかくなくしたかった。
夫婦とは違って、口約束でしかないようなもの。
好きじゃなくなったといえば、嘘になるかもしれない。でも、このままじゃだめだと思った。このまま、この人のもとに居てもいいことはない。私の求めているものをそのタイミングでくれる人ではないのだから。
確かに優しい人だったし、支えてもらった。色んな事を寛容な心で許してくれた。でも、色んな不満が溜まってしまった。
その度に消化してきたはずだったけど、見えないようにしているだけで、消化はできてはいなかった。見えないように隠しているだけで、それがどんどん溜まっていた。
たぶん、今夜、恋人と別れる。
まさか記念日の日に別れるとは思ってもなかったし、記念日だってこともさっきまで忘れていた。友達と話していてたまたま思い出したくらいだ。
今日で11か月。私は恋人に、別れると言い放った日から何度も1周年が経つ前に別れると言った。それがそろそろ現実になりそうだ。
今後の関係は、肩書きが消えた状態で友達以上恋人未満の状態がしばらくは続きそうだ。でも、これは前進だと思っている。
Twitterで見たあるツイート
恋人と別れても友達に戻らないのは1つの礼儀だと思っている。「あなたと別れて友達に戻れるほど適当に愛していませんでした」という意思表示の意味もあると思う。二人の恋を否定せずに肯定するためのもので、新しい誰かとちゃんと幸せになってもらうために相手の先を見据えた最後の優しさのつもり。
というものを見つけた。確かにその考えもあるんだなと思った。
でも、友達に戻ったからと言って悪いわけでもないと思う。その恋人とどんな別れ方をしたかによって変わるのだと思う。一人の理解者としてたまに話を聞いてくれる存在になってもらってもいいかもと思うが、それは恋人がいないときだけにしないといけないとも思うが。
自分の選択に胸を張りたい。後悔はしてないといいたい。
でも、今よりもっと素敵になって現れたら、また恋人になってとアタックしたくなるかもしれない。好きだったことだけは確かだから、その想いだけは否定しない。